2023年09月17日
健児(こんでい)
今聞く、大日本国(おおやまとのくに)の救将(すくいのきみ)廬原君臣(いおはらのきみおみ)、健児(こんでい)万余(よろづあまり)を率(い)て、正に海を越えて至らむ(日本書紀)、
の、
健児、
は、
けんじ、
と訓むと、
快馬健児、不如老嫗吹篪(洛陽伽藍記)、
と、
壮士、
と同義で、
血気盛んな若者、
の意であり、さらに、漢語では、
天下諸軍有健児(六典)、
と、
軍卒の職名、
として使われる(字源)が、我が国では、古く、
ちからひと、
と訓ませ、
乃ち健児に命(ことおお)せて、翹岐(ぎょうき)が前に相撲(すまひ)とらしむ(日本書紀・皇極天皇元年(641年)7月22日)、
今聞く、大日本国(おおやまとのくに)の救将(すくいのきみ)廬原君臣(いおはらのきみおみ)、健児万余(よろづあまり)を率(い)て、正に海を越えて至らむ(同・天智天皇2年8月13日)、
等々、
武勇者、
兵士、
の意味で用いられている(https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%81%A5%E5%85%90)が、後の、軍制に組み込まれた健児(こんでい)制度の謂いではない(日本大百科全書)。
こんでい、
と訓ませるのは、
奈良時代中期以降現れた兵士の一種、
の、
健児制度、
を指し、
一般の兵士の中から強健で武芸に秀でた300人を選んだもの、
をいい、
田租と雑徭(ぞうよう)が半分免除され、中男(ちゅうなん 17~20歳男子)二人が馬子として付けられた、
とあり、
こんに、
とも訓ませ、天平宝字六年(762)には、
郡司の子弟、および良民の20~40歳の中から選ぶこととした(精選版日本国語大辞典)とある。
健児(こんでい)、
は、
騎馬を自弁し、弓馬の術に長じた者が選抜され、騎馬の世話をする馬丁が国から支給された、
とあり、後世の武士の原型をなす(日本大百科全書)とされる。これは、
唐で府兵制の変質過程で募兵の一形式として軍鎮(ぐんちん)勤務のものとして「健児」が現れる、
とあるのを模倣した用語とみられる(仝上)。健児制度の初見は、近江国(滋賀県)志賀郡の大友吉備麻呂(きびまろ)で、725年(神亀2)から734年(天平6)まで健児であった。この間、735年には、
兵士300人を健児としたことや、翌年、健児、儲士(ちょし)、選士に対して田租(でんそ)、雑徭(ぞうよう)のなかばが免除となった、
という記事が残っている(仝上)。その後738年5月に、
東海、東山、山陰、山陽、西海諸道の健児を停止、
したとあり、約10年間の存在であった(仝上)。
軍団が私物化され農民の疲弊を招いた、
軍団の兵士は弓馬の心得あるものが少ない、
などが原因で、延暦11年(792)に軍団の制度が一部を除いて廃止されると、代わりに、質の向上を図るため、その代わりに設けた兵制をも、
健児(こんでい)、
という(精選版日本国語大辞典)。
郡司や富裕者、有位者の子弟を採用して健児とし、軍団の兵士と同様の任務につけ、国府におかれた健児所が彼らを統率した、
とあり(ブリタニカ国際大百科事典)、国衙(こくが)に健児所(こんでいどころ)を置いて所属させ、
各国の国府、兵庫、鈴蔵などを警備した、
という(精選版日本国語大辞典)。のち、
勲位を持つ者、さらには白丁(はくてい 無位無官の良民。口分田を支給されて租を納め課役を負担する者)、
をも採用し、その数は国の大きさによって違い、
約 20~200人、
全国で、
3155人、
延喜式には、
3964人、
とあった。彼らは 60日交代で勤務し、徭役は免除された。その費用には健児田(こんでいでん 健児の食料にあてるため国衙で営作した田。不輸租田であった)からの収入があてられた(仝上)。健児所は平安末まで存続した。
健児、
という用語の採用は、農民兵士の義務制を否定し、郡司子弟からのみ募兵するという理念を表現するものであったと考えられる(日本大百科全書)とあり、
後世の武士の原型をなす、
とはその意味であろう。そのためか、
健児(こんでい)、
には、武家隆盛の、中世には、
健児童(こんでいわらわ)、
ともいい、
こんてい童(わらは)もしは格勤者(かくごしや)なんどにて召し使はれけるが(平家物語)、
と、
中間(ちゅうげん)、足軽などをさしていう語、
になっていく。なお、
健児、
を、
こんでい、
こんに、
と訓ませることについては、
和訓栞は、「コンデイ」は、
健児の転音、
とある。
コン、
は、
健の呉音、
ニ、
と訓むのは、
児の呉音、
で、
尼の字の漢音はヂ、デイ、呉音はニ、相通じるものか、
とある(大言海)。これだと、
コンニ、
と訓む理由はわかるが、
コンデイ、
と転じた理由ははっきりしない。
「健」(漢音ケン、呉音ゴン)は、
会意兼形声。建は「聿(筆の原字で、筆を手で立てて持つさま)+廴(歩く)」の会意文字で、すっくとたつ、からだをたてて歩くの意を含む。健は「人+音符建」。建が単に、たつのいとなったため、健の字でからだを高く立てて行動するの原義をあらわすようになった、
とある(漢字源)。別に、
会意兼形声文字です(人+建)。「横から見た人」の象形と「十字路の左半分を取り出し、それを延ばした」象形(「のびる」の意味)と「手で筆記用具を持つ」象形(「ふで」の意味)から、のびやかに立つ人を意味し、それが転じて(派生して・新しい意味が分かれ出て)、「元気・健全」を意味する「健」という漢字が成り立ちました、
ともある(https://okjiten.jp/kanji570.html)。
参考文献;
大槻文彦『大言海』(冨山房)
ホームページ;http://ppnetwork.c.ooco.jp/index.htm
コトバの辞典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba.htm#%E7%9B%AE%E6%AC%A1
スキル事典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/skill.htm#%E3%82%B9%E3%82%AD%E3%83%AB%E4%BA%8B%E5%85%B8
書評;http://ppnetwork.c.ooco.jp/critic3.htm#%E6%9B%B8%E8%A9%95
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