2023年10月10日
一乗妙法
氷(こほり)を敲(たた)きて水掬(むす)び、霜をへ拂ひて薪(たきぎ)採り、千歳(ちとせ)の春秋(はるあき)を過(すぐ)してぞ、一乗妙法聞きそめし(梁塵秘抄)、
の、
一乗妙法、
とは、
妙法一乗、
といい、
法華経(ほけきょう)に説かれている一乗の教えのこと、
をいい(新明解四字熟語辞典)、
妙法、
は、
仏法、
と同義、とりわけ、
妙法蓮華経(みょうほうれんげきょう)、
を指す(仝上)。
法華経だけが悟りを得られる唯一のものと説いたもの、
という意味になる(https://yoji.jitenon.jp/yoji/192.html)。
一乗、
の、
一とは、唯一無二の義、乗とは、乗物の舟車などにて、如来の教法、衆生を載運して、生死界を去らしむる意となると云ふ、
とある(大言海)、
衆生の成仏すべき、最上の教法、
の意だが、普通、
妙法蓮華経の法門、
をいい、妙法蓮華経提婆達多品(だいばだったぼん)第十二に、
大智徳勇健(大智徳勇健にして)
化度無量衆(無量の衆を化度せり)
今此諸大会(今此の諸の大会)
及我皆已見(及び我皆已に見つ)
演暢実相義(実相の義を演暢し)
開闡一乗法(一乗の法を開闡して)
広導諸群生(広く諸の群生を導いて)
令速成菩提(速かに菩提を成ぜしむ)
とある(https://www.kosaiji.org/hokke/kaisetsu/hokekyo/5/12.htm)ように、
一乗経、
一乗妙典、
という(大言海)。
法華一乗(ほっけいちじょう)、
とは、
法華経に説かれる一乗の教え、
をいい、
一乗には、声聞(しょうもん)・縁覚(えんが)くの二乗および菩薩(ぼさつ)を加えた三乗(声聞乗(しょうもんじょう)・縁覚乗(えんがくじょう)・菩薩乗(ぼさつじょう))の実践法がいずれも融合されているということ、
をいう(デジタル大辞泉)。
一仏乗(いちぶつじょう)、
仏乗(ぶつじょう)、
ともいう。法華経を中心に置く天台宗で特に強調するが、
法華一乗、
の他、
華厳一乗、
本願一乗、
等々とも用いられる(精選版日本国語大辞典)。
一乗、
とは、つまり、
仏の真実の教えは一つであり、すべての衆生が平等に仏になれると説く教え、
であるのに対して、
声聞・縁覚・菩薩のそれぞれに、固有な三種の覚りへの道があるとするのが、
三乗、
である(http://jodoshuzensho.jp/daijiten/index.php/%E4%B8%80%E4%B9%97)。上述のように、
天台宗、
や、また、
華厳宗、
では、
一乗が真実であり三乗は方便である、
と主張したが、
法相宗、
では、
三乗真実・一乗方便、
と主張した(仝上)とある。この場合、
一乗、
と、
三乗、
の中の、
菩薩乗、
が同一か否かという点でも見解が分かれる(仝上)とある。
「声聞」で触れたように、
声聞(しょうもん)、
縁覚(えんがく)、
菩薩(ぼだい)、
は、
三乗、
とされる。「声聞」は、
梵語śrāvaka(シュラーヴァカ)、
の訳語、
声を聞くもの、
の意で、
弟子、
とも訳し(精選版日本国語大辞典)、
釈迦の説法する声を聞いて悟る弟子、
であるのに対し、「縁覚」(えんがく)は、
梵語pratyeka-buddhaの訳語、
で、
各自にさとった者、
の意、
独覚(どっかく)、
とも訳し、
辟支仏(びゃくしぶつ)
ともいい(辟支はpratyeka の略音写、仏はbuddha の音訳)、
仏の教えによらず、師なく、自ら独りで覚り、他に教えを説こうとしない孤高の聖者、
をいう(仝上・日本大百科全書)。「菩薩」は、
サンスクリット語ボーディサットバbodhisattva、
の音訳、
菩提薩埵(ぼだいさった)、
の省略語であり、
bodhi(菩提、悟り)+sattva(薩埵、人)、
より、
悟りを求める人、
の意であり、元来は、
釈尊の成道(じょうどう)以前の修行の姿、
をさしている(仝上)とされる(「薩埵」については触れた)。
部派仏教(小乗仏教)では、
菩薩はつねに単数で示され、成仏(じょうぶつ)以前の修行中の釈尊、
だけを意味する。そして他の修行者は、
釈尊の説いた四諦(したい)などの法を修習して「阿羅漢(あらかん)」になることを目標にした(仝上)。「阿羅漢」とは、
サンスクリット語アルハトarhatのアルハンarhanの音写語、
で、
尊敬を受けるに値する者、
の意。
究極の悟りを得て、尊敬し供養される人、
をいう。部派仏教では、
仏弟子(声聞)の到達しうる最高の位、
をさし、仏とは区別して使い、これ以上学修すべきものがないので、
無学(むがく)、
ともいう(仝上)。ただ、大乗仏教の立場からは、
個人的な解脱を目的とする者、
とみなされ、
声聞を独覚(縁覚)と並べて、この2つを二乗・小乗として貶している、
とある(https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A3%B0%E8%81%9E)。ちなみに、「乗」とは、
「乗」は乗物
の意で、
世のすべてのものを救って、悟りにと運んでいく教え、
を指し、「三乗」とは、
悟りに至るに3種の方法、
をいい、
声聞乗(しょうもんじょう 教えを聞いて初めて悟る声聞 小乗)、
縁覚乗(えんがくじょう 自ら悟るが人に教えない縁覚 中乗)、
菩薩乗(ぼさつじょう 一切衆生のために仏道を実践する菩薩 大乗)、
の三つをいう(仝上)。大乗仏教では、
菩薩、
を、
修行を経た未来に仏になる者、
の意で用いている。
悟りを求め修行するとともに、他の者も悟りに到達させようと努める者、
また、仏の後継者としての、
観世音、
彌勒、
地蔵、
等々をさすようになっている(精選版日本国語大辞典)。で、大乗仏教では、「阿羅漢」も、
小乗の聖者をさし、大乗の求道者(菩薩)には及ばない、
とされた(https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A3%B0%E8%81%9E)。だから、
一乗、
と
三乗、
の中の、
菩薩乗、
が、同じなのかどうかが、問題になるのではある。なお、
四乗(しじょう)、
という場合、
声聞(しょうもん)乗・縁覚(えんがく)乗・菩薩乗・仏乗、
をいい(http://labo.wikidharma.org/index.php/%E5%9B%9B%E4%B9%97)、
五乗(ごじょう)、
という場合、
仏乗、菩薩乗、縁覚(えんがく)乗、声聞(しょうもん)乗、人天乗、
あるいは、
声聞乗、縁覚乗、菩薩乗、人間乗(人乗)、天上乗(天乗)、
の五種の教法の総称をいう(精選版日本国語大辞典)。宗派によって異なるらしいが、天台宗の教学では、人間の心の境涯を、
地獄・餓鬼・畜生・修羅・人間・天上・声聞・縁覚・菩薩・仏、
の十の世界(十界)に分け、
声聞と縁覚、
を小乗の教法として、
二乗、
と呼び、
菩薩・仏、
の大乗の教法と分け、
声聞・縁覚・菩薩、
を、
三乗、
人間界から菩薩界までを、
五乗、
と呼ぶ(https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%80%E4%B9%97)とある。
参考文献;
大槻文彦『大言海』(冨山房)
ホームページ;http://ppnetwork.c.ooco.jp/index.htm
コトバの辞典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba.htm#%E7%9B%AE%E6%AC%A1
スキル事典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/skill.htm#%E3%82%B9%E3%82%AD%E3%83%AB%E4%BA%8B%E5%85%B8
書評;http://ppnetwork.c.ooco.jp/critic3.htm#%E6%9B%B8%E8%A9%95
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