与謝蕪村(玉城司訳注)『蕪村句集』を読む。
蕪村の発句 約2850句のうち千句を選んだもの。
芭蕉の、
田一枚植ゑて立ち去る柳かな(奥の細道)、
にゆかりのの遊行柳は、西行の、
道のべに清水流るゝ柳陰しばしとてこそ立ち止まりつれ(新古今集)、
からきているが、その場所を50年後訪ねて、
柳散(ちり)清水涸れ石処々(ところどころ)
と、蕪村は詠んだ。この、良くも悪くも、
けれんみ、
が身上にに見える。もうひとつ、
しら梅のかれ木に戻る月夜哉
寝た人に眠る人あり春の雨
熊谷も夕日まばゆき雲雀哉
帰る雁有楽の筆の余り哉
等々のように、何といったらいいか、
理屈っぽい、
というか、
観念的というか、
これも、特徴に見える。ま、いくつか選んだのは、
おし鳥に美をつくしてや冬木立
老武者と大根(だいこ)あなどる若菜哉
みじか夜や六里の松に更(ふけ)たらず
とかくして一把(いちは)に折(をり)ぬ女郎花(をみなへし)
秋かぜのうごかして行(ゆく)案山子(かがし)哉
一雨(ひとあめ)の一升泣やほとゝぎす
夏河(なつかは)を越すうれしさよ手に草履(ざうり)
春の海終日(ひねもす)のたりのたりかな
きぬきせぬ家中(かちゅう)ゆゝしき衣更(ころもがへ)
狩ぎぬの袖の裏這ふほたる哉
手すさびの団画(うちはゑがか)ん草の汁
大粒な雨はいのりの奇特(きどく)哉
秋来ぬと合点させたる嚔(くさめ)かな
稲妻や波もてゆへる秋津しま
月天心貧しき町を通りけり
鳥羽殿へ五六騎いそぐ野分哉
遠近(をちこち)おちこちと打つきぬた哉
火桶(ひをけ)炭団(たどん)を喰(くらふ)事夜ごとにひとつづゝ
凩や広野にどうと吹起る
大鼾(おほいびき)そしれば動く生海鼠(なまこ)かな
足袋はいて寝る夜物うき夢見哉
極楽のちか道いくつ寒念仏
寝ごゝろやいづちともなく春は来ぬ
雛見世(ひなみせ)の灯(ひ)を引くころや春の雨
牡丹散(ちり)て打(うち)かさなりぬ二三片
蚊屋の内にほたるはなしてア丶楽や
欠ケ欠ケて月もなくなる夜寒哉
草枯て狐の飛脚通りけり
みどり子の頭巾眉深(まぶか)きいとおしみ
寒梅やほくちにうつる二三輪
いなづまや二折(ふたをれ)三折(みをれ)剣沢(つるぎざわ)
蓑笠之助殿(みのかさのすけどの)の田の案山子(かがし)哉
鷺ぬれて鶴に日の照時雨哉
らうそくの泪(なみだ)氷るや夜の鶴
出る杭(くひ)を打うとしたりや柳哉
喰ふて寝て牛にならばや桃の花
うすぎぬに君が朧(おぼろ)や峨眉の月
明やすき夜や稲妻の鞘走り
学問は尻からぬけるほたる哉
みのむしのぶらと世にふる時雨哉
みのむしの得たりかしこし初しぐれ
古傘の婆裟(ばさ)と月夜のしぐれ哉
なの花や月は東に日は西に
夕風や水青鷺の脛をうつ
霜百里舟中(しうちゆう)に我(われ)月を領ス
居眠(いねぶ)りて我にかくれん冬ごもり
ちりて後おもかげにたつぼたん哉
さし汐に雨のほそ江のほたる哉
暮まだき星のかゝやくかれの哉
こもり居て雨うたがふや蝸牛(かたつぶり)
方(ほう)百里雨雲(あまぐも)よせぬぼたむ哉
涼しさや鐘をはなるゝかねの声
脱すてゝ我ゆかしさよ薄羽折
百日紅(さるすべり)やゝちりがての小町寺
松明(まつ)消(きえ)て海少し見(みゆ)る花野かな
人は何に化(ばく)るかもしらじ秋のくれ
破(わ)レぬべき年も有(あり)しを古火桶(ふるひをけ)
蒲公(たんぽぽ)のわすれ花有(あり)路(みち)の霜
絶々(たえだえ)の雲しのびずよ初しぐれ
虹を吐(はひ)てひらかんとする牡丹哉
きのふ暮けふ又くれてゆく春や
摑(つか)みとりて心の闇(やみ)のほたる哉
春雨や暮なんとしてけふも有(あり)
雲を呑で花を吐(はく)なるよしの山
後の月鴫(しぎ)たつあとの水の中
山暮れて紅葉の朱(あけ)を奪ひけり
いさゝかな価(おひめ)乞はれぬ暮の秋
箱を出る皃(かお)わすれめや雛二対
しら梅に明る夜ばかりとなりにけり
帰る雁田ごとの月の曇る夜に
色も香もうしろ姿や弥生尽
己が身の闇より吼(ほえ)て夜半の秋
朝皃(あさがお)にうすきゆかりの木槿(むくげ)哉
蕭条(せうでう)として石に日の入(いる)枯野かな
寒月や鋸岩(のこぎりいは)のあからさま
等々だが、蕪村の句は、確かに、一方で、
稲妻や波もてゆへる秋津しま
雲の峰に肘する酒呑童子かな
というように、スケールが大きいか、
鳥羽殿へ五六騎いそぐ野分哉
栗飯や根来法師の五器折敷(をしき)
いもが子は鰒喰ふほどと成にけり
といった歴史的背景、歴物語風、あるいは、
梨の園に人彳めり宵の月
熊野路や三日の粮(かて)の今年米(ことしまい)
ふく汁の君よ我等よ子期(しき)伯牙(はくが)
宿老の紙子の肩や朱陳村(しゆちんそん)
木(こ)の下が蹄(ひずめ)のかぜや散さくら
温公(をんこう)の岩越す音や落し水
と、中国の典籍、古典をバックにした句が目立つ。一種、
知的遊び、
といった高尚趣味があり、悪くすると、
既得し鯨や迯(にげ)て月ひとり、
宿かせと刀投出す雪吹哉
兀山(はげやま)や何にかくれてきじの声
春雨にぬれつゝ屋根の毬(てまり)哉
春雨や人住ミてけぶり壁を洩(も)る
島原の草履(ざうり)にちかき小蝶(こてふ)哉
伏勢(ふせぜい)の錣(しひろ)にとまる胡蝶(こてふ)哉
みじか夜や毛むしの上に露の玉
秋風におくれて吹や秋の風
戸に犬の寝がへる音や冬籠
物書いて鴨に換けり夜の雪
御手打の夫婦(めうと)なりしを更衣
雪舟の不二雪信(ゆきのぶ)が佐野いづれ歟(か)寒き
飯盗む狐追うつ麦の秋
名月や神泉苑の魚躍る
と、
作為的、
だったり、
不二ひとつうづみのこして若葉哉
閻王の口や牡丹を吐んとす
みじか夜や地蔵を切て戻りけり
見うしなふ鵜の出所や鼻の先
時鳥(ほととぎす)柩(ひつぎ)をつかむ雲間より
狐火や髑髏に雨のたまる夜に
ところてん逆(さか)しまに銀河三千尺
と、
虚仮縅(こけおど)し的、
だったり、
変化すむやしき貰ふて冬籠
売喰(うりぐひ)の調度のこりて冬ごもり
はるさめや綱が袂(たもと)に小でうちん(提灯)
瓜小家の月にやおはす隠君子
雪信が蠅打払硯かな
夕顔や行燈(あんど)さげたる君は誰
石に詩を題して過る枯野哉
西行は死そこなふて袷かな
と、
衒学的、
な感じがして、俳句には素人だが、俳句を、
知的操作、
知的遊戯、
の道具としているように感じ、個人的には、あまり好きになれなかった。蕪村自身、句評で、
「春雨や椿の花の落る音」という句を「あまた聞たる趣向也(常套的な趣向)」と批判、
したというから、
ありきたり、
を嫌い、どうしても、
さくら狩美人の腹や減却す、
というような、
奇を衒う、
形にならざるを得ないのかもしれないが。
こうした印象を裏付けるかのように、蕪村は、俳諧とは、
俗語を用いて俗を離るゝを尚ぶ、
といい、その捷径を、
多く書を読めば則書巻之気上升し、市俗の気下降す… それ画の俗を去だも筆を投じて書を読しむ、
という。つまり、
漢詩を多読して俗気を去り、其角・嵐雪・素堂・鬼貫に親しみ、俗世を離れた林園や山水に遊び、酒を酌み交わして談笑し、不用意に詠むことで、オリジナルな句を得ることができる、
と(編者解説)。だから、
衒学的、
と感じてしまうのではないか。
参考文献;
与謝蕪村(玉城司訳注)『蕪村句集』(角川ソフィア文庫)
ホームページ;http://ppnetwork.c.ooco.jp/index.htm
コトバの辞典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba.htm#%E7%9B%AE%E6%AC%A1
スキル事典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/skill.htm#%E3%82%B9%E3%82%AD%E3%83%AB%E4%BA%8B%E5%85%B8
書評;http://ppnetwork.c.ooco.jp/critic3.htm#%E6%9B%B8%E8%A9%95
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