五智


忍辱衣(ころも)を身に着れば、戒香(かいこう)涼しく身に匂ひ、弘誓(ぐぜい)瓔珞(やうらく)かけつれば、五智の光ぞ輝ける(梁塵秘抄)、

の、

五智(ごち)、

は、密教で、

大日如来の智を五種に分けて説いたもの、

をいい、大日の智の総体の、

法界体性(ほっかいたいしょう)智(法界の本性を明らかにする智慧 宇宙に存在するすべての智慧)、

と、

大円鏡智(大円鏡のようにあらゆるものを顕現する智慧 鏡のようにすべてのものを本当の照し出す智慧)、
平等性智(すべての事象と自他の平等を観ずる智慧 すべてのものが平等であることを知る智慧)、
妙観察智(すべての事象の差別相を正しく観ずる智慧 すべての真実を正しく認識する智慧)、
成所作(じょうしょさ)智(自他のために為すべきことを成就する智慧 すべてのものを完成させる智慧)、

の、

四智をいう(ブリタニカ国際大百科事典・http://jodoshuzensho.jp/daijiten/index.php/%E4%BA%94%E6%99%BA)。浄土教では、

仏智・不思議智・不可称智・大乗広智・無等無倫最上勝智、

の五つを、

阿弥陀仏、

の智とする(仝上)。密教では、この五智を、

五大(地・水・火・風・空)

金剛界の五智如来(大日・阿閦(あしゅく)・宝生・阿弥陀・不空成就)

に配し(仝上)、

五智如来(五大如来)、
あるいは、
五智五佛、

として(大言海)、

五体の如来にあてはめ、

法界体性智 大日如来(だいにちにょらい)
大円鏡智 阿閦如来(あしゅくにょらい 薬師如来と同一視される)
平等性智 宝生如来(ほうしょうにょらい)
妙観察智 観自在王如来(かんじざいおうにょらい 阿弥陀如来と同一視される)
成所作智 不空成就如来(ふくうじょうじゅにょらい 釈迦如来と同一視される)

としているhttps://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BA%94%E6%99%BA%E5%A6%82%E6%9D%A5

大日如来、

が、

智慧そのものであり、他の仏は大日如来の智慧の一部を取り出したもの

で、この、

五智、

は、

存在するすべての智慧を5種類に分類したもの、

ともあるhttps://note.com/hotokudo/n/n313452de0709

五智如来像.jpg

(五智如来像(和歌山・金剛三昧院多宝塔) 中央は大日如来、向かって右手前は不空成就如来。以下時計回りに、阿閦如来、宝生如来、阿弥陀如来 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BA%94%E6%99%BA%E5%A6%82%E6%9D%A5より)

大日如来の戴く冠は、五角形にて、五方面に、五仏の像あり、これを、五智の宝冠、又、五仏の宝冠と云ふ、是れは、大日如来の五智、五仏の総体なることを表示するなりと云ふ、

とある(大言海)。なお、

戒香(かいこう)、

は、

戒律を堅く守る功徳が広まることを香の匂いが広まることに例えたもの、

とありhttps://ja.wiktionary.org/wiki/%E6%88%92%E9%A6%99

未来生処、聞上妙香、常以戒香、為身瓔珞(「往生要集(984~85)」)、

と、

持戒の人の徳を、芳香のかおるのにたとえていう語、

あるいは、

忍辱(にんにく)の衣を著きつれば、戒香匂ひにしみ薫かほりて(栄花物語)、

と、

持戒の人の徳が四方に影響することを、芳香の遠くまで香ることにたとえていう語、

とも使われるが、中国語では、

仏戒の功徳のたとえ、

とあるので、原意は、前者のようである。

持戒」は、

持律、

ともいい、

仏教の戒律を堅く守ること、

である(精選版日本国語大辞典)。

智慧によって欲望を制御して、悪を行わないように自覚的に実践すること、

である(ブリタニカ国際大百科事典)。「四衆」で触れたように、世俗人が実践すべき戒としては、

不殺生、
不邪淫、
不偸盗、
不妄語、
不飲酒、

の、

五戒、

があるが、出家者(比丘、比丘尼)は、『四分律』で、

男性の修行者は250戒、女性は348戒、

あるとされる(精選版日本国語大辞典)。ただ、「戒」は、

サンスクリット語のシーラśīla、

の訳語で、

自ら心に誓って順守する、

徳目であるとされる(日本大百科全書)が、「シーラ」は、

習慣性、

を意味し、

自分にとって良い習慣を身につける、

というのが持戒の意味https://www.nichiren.or.jp/glossary/id57/とある。これによって悟りの彼岸に至ることを、

持戒波羅蜜、

という(百科事典マイペディア)とある。

六波羅蜜、

のひとつである。「六波羅蜜」については、「禅定」で触れたが、

波羅蜜(はらみつ)、

は、

サンスクリット語のパーラミター pāramitāの音写、

で、「六波羅蜜(ろくはらみつ)」は、

大乗仏教の求道者が実践すべき六種の完全な徳目、

布施波羅蜜(施しという完全な徳)、
持戒波羅蜜(戒律を守るという完全な徳)、
忍辱波羅蜜(にんにくはらみつ 忍耐という完全な徳)、
精進波羅蜜(努力を行うという完全な徳)、
禅定波羅蜜(精神統一という完全な徳)、
般若波羅蜜(仏教の究極目的である悟りの智慧という完全な徳)、

を指し、般若波羅蜜は、他の波羅蜜のよりどころとなるもの、とされる(仝上)。

持戒の対語が、

破戒、

である。その、

持戒の人の徳が四方に影響することを、香の遠く匂うのにたとえた、

のが、

戒香(かいこう)、

である(広辞苑・精選版日本国語大辞典)。

ところで、焼香の時に唱える偈文(げもん)に、華厳経の、

戒香定香解脱香(かいこうじょうこうげだっこう)、
光明雲台遍法界(こうみょううんたいへんほっかい)
供養十方無量仏
供養十方無量法
供養十方無量僧
見聞普薫証寂滅(けんもんふくんしょうじゃくめつ)

があるhttps://kougetsuin.com/blog/%E3%81%8A%E9%A6%99/6368。このお香も、

戒定慧(かいじょうえ)香

と、

仏教修行の三学

にたとえている(仝上)、とある。この辺りも、「香」に、喩えとしての意味がありそうである。ちなみに、

三学(さんがく、

は、「禅定」で触れたように、

仏道修行者が修すべき三つの基本的な道、

つまり、

戒学(戒学は戒律を護持すること)、
定学(精神を集中して心を散乱させないこと)、
慧学(煩悩を離れ真実を知る智慧を獲得するように努めること)

をいう。この戒、定、慧の三学は互いに補い合って修すべきものであるとし、

戒あれば慧あり、慧あれば戒あり、

などという(仝上・ブリタニカ国際大百科事典)。この三学が、大乗仏教では、基本的実践道である六波羅蜜に発展する。なお、浄土宗では、「日常勤行式」は、

願我身淨如香炉(がんがしんじょうにょこうろ)
願我心如智慧火(がんがじんにょちえか)
念念焚焼戒定香(ねんねんぼんじょうかいじょうこう)
供養十方三世仏(くようじっぽうさんぜぶ)

という、

香偈、

という偈文(げもん)で始まるhttp://www13.plala.or.jp/houkaiji/kouge.htmlとされ、

私はこの体が、香炉のように浄らかであることを願います。私はこの心が、あらゆる煩悩を焼き尽くす(仏の)智慧の火のようであることを願います。私は一瞬一瞬の想いの中で、仏弟子として守るべき戒と求めるべき心の静寂という香を、(私の体という香炉の中で静かに)焚き上げ(実践し)、あらゆる世界の、あらゆるみ仏に供養を捧げます、

との意http://jodoshuzensho.jp/daijiten/index.php/%E9%A6%99%E5%81%88で、ここでも、

香、

は、象徴的な意味を対している。ちなみに、

定香(じょうこう)、

は、

事の善し悪しや好き嫌いという感情によって動揺する心をなくすこと、

をいうhttp://www13.plala.or.jp/houkaiji/kouge.htmlらしい。

金剛界大日如来像(ホノルル美術館蔵).jpg

(金剛界大日如来像(ホノルル美術館蔵) https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A7%E6%97%A5%E5%A6%82%E6%9D%A5より)

参考文献;
大槻文彦『大言海』(冨山房)

ホームページ;http://ppnetwork.c.ooco.jp/index.htm
コトバの辞典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba.htm#%E7%9B%AE%E6%AC%A1
スキル事典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/skill.htm#%E3%82%B9%E3%82%AD%E3%83%AB%E4%BA%8B%E5%85%B8
書評;http://ppnetwork.c.ooco.jp/critic3.htm#%E6%9B%B8%E8%A9%95

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