2023年10月30日

十界十如


十界十如は法算木、法界唯心(ゆひしん)覚(さと)りなば、一文一偈を聞く人の、仏に成らぬは一人無し(梁塵秘抄)、

の、

十界十如(じっかいじゅうにょ)

は、天台宗で説く、

十界と十如是、

をいい、

一念三千の理において、密接に関係する十界と十如を強調したもの、

とある(精選版日本国語大辞典)。これでは何のことかわからない。

十界(じっかい)、

とは、中国天台宗の祖智顗(ちぎ)が教義としてまとめた、

迷いと悟りの両界を十に分けたもの、

をいい(仝上・日本大百科全書)、

十法界(じっぽうかい)、
十界論、
十方界、

ともいう(仝上・https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8D%81%E7%95%8C)。

迷いの生存、

は、「六道の辻」、「六道四生」で触れたように、

地獄(じごく)界(あらゆる恐怖に苛まれた状態)、
餓鬼(がき)界(眼前の事象に固執する餓鬼の状態)、
畜生(ちくしょう)界(動物的本能のままに行動する状態。欲望のままに行動する状態)、
阿修羅(あしゅら)界(修羅 会話を持たず「武力」をもって解決を目指す状態)、
人間界(平常心である状態。だが、人間的な疑心暗鬼を指す)、
天上界(天道 諸々の「喜び」を感じる状態。主に瞬間的な喜びを指す)、

の六種(仝上)、

を、

六道、

という。

迷界、

ともいう

地獄界・餓鬼界・畜生界、

を、

三悪趣(三悪道)、

三悪趣に「修羅界」を加え、

四悪趣(しあくしゅ)、

ともされ、三悪道に対し、

阿修羅界・人間界・天上界、

の三種を、

三善道、

ともいわれる(仝上)。六道での生存はその行為の業(ごう)によってそれぞれの世界に転生するので、

六道輪廻(ろくどうりんね)、

という。

六道絵(阿修羅道).jpg


十界(じっかい)、

は、

天台宗の教義において、

人間の心の全ての境地を十種に分類したもの、

で、上記の「六道」に、

悟りの境界、

として、

声聞・縁覚・菩薩・仏、

の四つを付加したものである。

十界論、
十方界、
十法界(じっぽうかい)、

とも言われる(https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8D%81%E7%95%8C・日本大百科全書)。

天台宗が加えた

悟りの境界、

の、

聞(しょうもん)界(仏法を学んでいる状態)、
縁覚(えんがく 独覚 どくかく)界(仏道に縁することで、自己の内面において自意識的な悟りに至った状態)、
菩薩(ぼさつ)界(仏の使いとして行動する状態)、
仏界(悟りを開いた状態)、

の四界は、

四聖(ししょう)、
悟界(ごかい)、

ともいい、「迷いの生存」と「「悟りの境界」をあわせて、

六凡四聖(ろくぼんししょう)、

ともいう。「声聞」(しょうもん)と「縁覚」(えんがく)と呼ばれる小乗の、

阿羅漢による世界、

を、

「菩薩界」は、大乗の、

菩薩による世界、最後はそれらを越える存在として、仏陀や諸仏を指す、

如来の世界、

を表している(仝上)。天台智顗は、

すべての生存を十界で代表させ、仏界以外は迷いと苦しみの世界や不完全の悟りであるが、十界おのおのが互いに他の九界を含み具備しているから、十界の生存であるすべての衆生(しゅじょう)は一切成仏(いっさいじょうぶつ)する、

と説く。これを、

十界互具(ごぐ)、

といい、あわせて百界とし、一瞬間の心のうちに三千の世界が具しているという、

天台一念三千(いちねんさんぜん)、

の基となる(仝上)。

智顗大師.jpeg


十如(じゅうにょ)、

は、したがって、

じゅうにょぜ(十如是)の略、

で、妙法蓮華経方便品第二の、

仏所成就(仏の成就したまえる所は)
第一希有 難解之法(第一希有難解の法なり)
唯仏与仏 乃能究尽 諸法実相(唯仏と仏と乃し能く諸法の実相を究尽したまえり)
所謂諸法 如是相 如是性 如是体 是力 如是作 如是因 是縁 是果 是報 是本末究竟等(所謂諸法の如是相・如是性・如是体・如是力・如是作・如是因・如是縁・如是果・如是報・如是本末究竟等なり)

https://www.kosaiji.org/hokke/kaisetsu/hokekyo/1/02.htm

一切の事物の実相には十種の如是があるとするもの、

で、天台宗では、一念三千の基本とし、十如是のうち、

相は相状、性は内的本性、体は相・性の本体・主体、力は潜在的能力、作はその力の顕現、因は直接原因、縁は間接原因、果は結果、報は後世の報果、本末究竟等は以上の九つが一つに帰結し、そのまま実相に外ならない、

とし、十如是は、

そのまま一つである、

と、

迷いも悟りもすべて修め尽し、現象と本体とが互いに一体化して区別なく、仮のものと真実とがとけあって一つになっていること(一如)を表わしている、

とした(精選版日本国語大辞典・ブリタニカ国際大百科事典)。

一念三千(いちねんさんぜん)、

とは、智顗(ちぎ)の『摩訶止観(まかしかん)』の、

此の三千は一念の心に在り、若(も)し心無くば已(や)みなん、介爾(けに)も心あらば即ち三千を具す、

とあるにもとづく(世界大百科事典)、

一念の心に三千の諸法を具えることを観(かん)ずること、

とある(https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%80%E5%BF%B5%E4%B8%89%E5%8D%83)

一念、

とは、

凡夫・衆生が日常におこす瞬間的な心(念)、

をいい(仝上)、

三千、

とは、

迷悟の十界が互いにそなわり合って百界となり、そのそれぞれが実相の十種(十如是)をそなえて千となり、さらにそれが衆生、国土、五陰の三世間にわたっているから三千となり、この三千で宇宙のいっさいの現象(諸法)を表現する、

つまり、

百界(十界互具[じっかいごぐ])・十如是(じゅうにょぜ)・三世間(さんせけん)のすべてが一念にそなわっていることを、これらを掛け合わせた数で示したもの、

となるhttps://spi2002.web.fc2.com/sidout7.html

一念三千の法門なんどを、胸中に学し入て持たるを、道心と云也(正法眼蔵随聞記)、

と、

人の平常持ち合わせている心に、三千という数に表現された全宇宙の事象が備わっている、

とする天台宗の基本的な教義で(精選版日本国語大辞典)、

現象する世界の諸相を三千の数に整理して表し、そしてそうしたものからなるこの世界が人間のそのときどきの心(一念)と変わるものでないこと、すなわち、すべては自己完結的にそれ自身であり続けえず、不二相即の関係にたつことを教えたもの、

とある(日本大百科全書)。なお、

三世間(さんせけん)、

は、

三種世間(さんしゅせけん)
三種の世間、

ともいい、

「世間」は壊れるべきものの意で、また、そのようなものにつなぎとめられている現象など、

をいい、

生きものとしての衆生世間、
その生きものの住む場所としての国土世間、
この二つを構成する五蘊(ごうん)についていう五陰(ごおん)世間の三つ(器世間(国土世間)・衆生世間・智正覚世間(仏の智身)の三つ)、

をいう(精選版日本国語大辞典)。「五陰」は、

五蘊(ごうん)、

ともいい、

Skandha、

の訳。「蘊」はあつまり、

の意。

色(物質)、受(印象・感覚)、想(知覚・表象)、行(意志などの心作用)、識(心)、

の五つをいい、

五衆(ごしゆ)、

ともいう(大辞林)。

仏教では、いっさいの存在を五つのものの集まり、

と解釈し、生命的存在である「有情(うじよう)」を構成する要素を、

色蘊(しきうん 五根、五境など物質的なもののことで、人間についてみれば、身体ならびに環境にあたる)、
受蘊(じゅうん 対象に対して事物を感受する心の作用のこと)、
想蘊(そううん 対象に対して事物の像をとる表象作用のこと)、
行蘊(ぎょううん 対象に対する意志や記憶その他の心の作用のこと)、
識蘊(しきうん 具体的に対象をそれぞれ区別して認識作用のこと)、

の五つとし、この五つもまたそれぞれ集まりからなる、とする。いっさいを、

色―客観的なもの、
受・想・行・識―主観的なもの、

に分類する考え方である(日本大百科全書)。仏教では、あらゆる因縁に応じて五蘊がかりに集って、すべての事物が成立している(ブリタニカ国際大百科事典)とする。

色蘊(rūpa)

には、

肉体を構成する五つの感覚器官(五根)、

と、

それら感覚器官の五つの対象(五境)、

と、

行為の潜在的な残気(無表色 むひようしき)、

とが含まれる(世界大百科事典)。また、

受蘊(vedanā)、
想蘊(saṃjñā)、
行蘊(saṃskāra)、

の三つの心作用は、

心王所有の法、

あるいは、

心所、

といわれ、

識蘊(vijñāna)、

は心自体のことであるから、

心王、

と呼ばれる(ブリタニカ国際大百科事典)。仏教では、

あらゆる因縁に応じて五蘊がかりに集って、すべての事物が成立している、

と考えているから、

五蘊仮和合、
五蘊皆空、

などと説かれる(仝上)。

なお、仏教における、

生類すべての境地、迷いと悟りの世界である十界、

を描いたものを、

十界図(じっかいず)、

という。

浄土教美術、

の一つである(マイペディア)。中国、日本では、六道に重きをおいた、

六道絵、

として盛行し、日本で十界図と称される作例は、むしろ源信の『往生要集』によった、

六道絵の一種、

と解されている(ブリタニカ国際大百科事典)。

十界図.jpg

(熊野観心十界図仏教の宇宙をえがいた曼荼羅(まんだら) 絵の基本は、中央の「心」字と、「老いの坂」、六道の各世界、および仏・菩薩(ぼさつ)・声聞(しょうもん)・縁覚(えんがく)の四つの世界(四聖界:しせいかい)です。この六道と四聖界とをあわせた十の世界を、十界(じっかい)と呼びます。「心」字は、十界と赤い線によって結ばれ、十界や生死の区切りは鳥居(とりい)によって示されています。これは、人の心や行いによって死後の世界が決まることを暗示しています。こうした絵画は、熊野比丘尼(くまのびくに)によって絵解きに用いられ、戦国時代から近世にかけて流行しました https://www.hyogo-c.ed.jp/~rekihaku-bo/historystation/digital-exhibitions/maya/ex0001.htmlより)


ホームページ;http://ppnetwork.c.ooco.jp/index.htm
コトバの辞典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba.htm#%E7%9B%AE%E6%AC%A1
スキル事典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/skill.htm#%E3%82%B9%E3%82%AD%E3%83%AB%E4%BA%8B%E5%85%B8
書評;http://ppnetwork.c.ooco.jp/critic3.htm#%E6%9B%B8%E8%A9%95

posted by Toshi at 04:57| Comment(0) | 言葉 | 更新情報をチェックする
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