2023年11月07日
五つの須弥
眉の間の白毫は、五つの須彌(しみ)をぞ集めたる、眼(まなこ)の間の青蓮は、四大海(しだいかい)をぞ湛へたる(梁塵秘抄)、
の、
白毫(びゃくごう)、
は、既にふれたように、
仏三十二相の一で、眉間の白毫(白い毛)は右旋して光明を発する、
といい(中島悦次校注『宇治拾遺物語』)、
眉間白毫相(みけんびゃくごうそう)、
と呼び(広辞苑)、
世閒眉閒有白毫相、右旋柔軟、如覩羅綿(兜羅綿)、鮮白光浄踰珂雪等(大般若経)、
と、
眉間にある右旋りの白い毛のかたまり、
であって、
眉間の白毫は、右に旋(めぐ)りて婉転して五須弥山の如し(眉間白毫、右旋婉転、如五須弥山)、
とあり(観無量寿経https://www.otani.ac.jp/yomu_page/b_yougo/nab3mq0000000reb.html)、
普段は巻き毛であり、伸ばすと1丈5尺(約4.5メートル)ある、
とされ(https://ja.wiktionary.org/wiki/%E7%99%BD%E6%AF%AB)、
釈迦牟尼佛、放大人相肉髻(にっけい)光明、及放眉間白毫相光、徧照東方八萬億那由他(なゆた)恆河沙(ごうがしゃ)等諸佛世界(法華経)、
と、
説法の前などに、仏はそこから一条の光を放ち、あまねく世界を照らす、
という(https://www.otani.ac.jp/yomu_page/b_yougo/nab3mq0000000reb.html)。また、
白毫者、表理顕明称白、教無繊隠為毫(嘉祥法華義疏)、
と、仏の眉間にある白い毛は、仏の教化を視覚的に表象したものとされ、
仏像では水晶などをはめてこれを表す、
とある(広辞苑)。初期の仏陀像にすでに、
小さい円形が眉間に浮彫りされている、
とある(日本大百科全書)。冒頭に、
五つの須彌(しみ)をぞ集めたる、
とあるのは、観無量寿経に、
間白毫、右旋婉転、如五須弥山、
にあるのに依る。
この白毫の光明を観ずることで、
無量億劫(おっこう)の生死の罪が滅せられる、
と説かれる(http://jodoshuzensho.jp/daijiten/index.php/%E7%99%BD%E6%AF%AB)とある。仏教美術では、「白毫」は、
如来と菩薩、
に付け、
明王、天部、童子、
などには付けない(https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%99%BD%E6%AF%AB)とされ、仏画では、
白い丸や渦巻き、
で表され、仏像では、
丸い膨らみ、
や、
水晶・真珠、
等々の宝石がはめ込まれる(仝上・広辞苑)。
冒頭の、
眼の間の青蓮、
とある、
青蓮(しょうれん)、
は、
眼晴青蓮あざやかに、面門頻婆うるはしく(「浄業和讚(995~1335)」)、
と使われ、
五茎の青蓮華を五百の金銭をもて買取して(「正法眼蔵(1231~53)」)、
菩薩目、如廣大青蓮華様(法華経)、
とある、
青蓮華(しょうれんげ)、
の略かと思われるが、
青色の蓮華、
の意だが、
仏・菩薩の目、
にたとえる(精選版日本国語大辞典)とある。
参考文献;
大槻文彦『大言海』(冨山房)
ホームページ;http://ppnetwork.c.ooco.jp/index.htm
コトバの辞典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba.htm#%E7%9B%AE%E6%AC%A1
スキル事典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/skill.htm#%E3%82%B9%E3%82%AD%E3%83%AB%E4%BA%8B%E5%85%B8
書評;http://ppnetwork.c.ooco.jp/critic3.htm#%E6%9B%B8%E8%A9%95
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