2023年11月14日
郢曲(えいきょく)
今様・朗詠(うたい)、風俗・催馬楽なんど、ありがたき郢曲どもありけり(平家物語)、
とある、
郢曲(えいきょく)、
は、
客有歌於郢中者其始曰下里巴人、國中屬而和音數十人(宋玉、對楚王問)、
とある、
俗曲、
の意(字源)、
郢(エイ)、
は、
春秋時代、楚の都、淫風の盛んなりし地名、
で、今の、
湖北省江陵県の西北、
とあり(仝上)、
郢で、卑俗な歌曲が流行り、それを郢曲と称したことから、
俗曲の意、
だが、それを借りて、
梁塵秘抄の郢曲の詞こそ、また、あはれなる事は多かめれ。昔の人は、ただいかに言ひすてたることぐさも、皆いみじく聞こゆるにや(徒然草)、
と、
平安後期、神楽・催馬楽(さいばら)・風俗歌(ふぞくうた)・今様を含む)朗詠など歌い物の総称、
とあり(岩波古語辞典・大言海)、鎌倉時代には、
早歌(そうか)、
も含む(広辞苑)とあるが、平安初期には、
朗詠、催馬楽(さいばら)、神楽歌(かぐらうた)、風俗歌(ふぞくうた)など宮廷歌謡、
の総称であったが、平安中期には、
今様歌(いまよううた)、
末期からは、
神歌(かみうた)、足柄(あしがら)、片下(かたおろし)、古柳(こやなぎ)、沙羅林(さらのはやし)などの雑芸(ぞうげい)、
も包括し広義に及んだ(日本大百科全書)とあり、狭義には、
朗詠、
のみをさした(仝上)とある。また別に鎌倉時代の、
早歌(そうが 別名宴曲 えんきょく)を示すこともある(仝上)とある。上記「徒然草」に、
梁塵秘抄の郢曲の詞、
とあるのは当時の雑芸をさす(仝上)という。この、
郢曲、
という言い方は、
〈歌〉本位の、いわゆる旋律的に歌われる声曲、
を、多少謙譲の意味をこめて、ひらたく言うときに使う用語と思われる(仝上)とある。ただ、上記の時代に成立、発展した声曲であっても、
久米歌、東遊など祭祀用歌舞、
仏教儀式における声明(しようみよう)、
語り物の平曲、猿楽、
等々のように、歌以外のものと深くかかわった声曲は、含まれていない(世界大百科事典)とある。
平安末期成立の、
郢曲抄(えいきょくしょう)、
は、
神楽・催馬楽(さいばら)以下、今様・足柄・片下(かたおろし)・田歌などの謡い方、歌謡の由来などの雑記、
で、別名、
梁塵秘抄口伝集巻第11、
とされている(仝上)が、後白河法皇撰の、
本編10巻、
口伝集10巻、
とは異なり、
口伝集 巻11から巻第14、
は、もとは別の書であったと考えられ、
郢曲抄、
とも称されているのが本来の形のようである。
五節(ごせち)の殿上淵酔(てんじょうえんずい)で歌われた、
朗詠、今様、雑芸、
などをとくに、
五節間郢曲、
と称し、鎌倉時代の早歌と結んで貴族の宴席で愛好された(仝上)らしい。
郢曲を伝承する家には敦実(あつざね)親王・源雅信(まさのぶ)を祖とする源家(げんけ)、藤原師長(もろなが)・源博雅を祖とする藤家(とうけ)の二家があったが、室町時代中期に藤家は断絶し、現在は源家の流れを汲む綾小路家がその命脈を保っている(https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%83%A2%E6%9B%B2・日本大百科全書)という。
なお、「梁塵秘抄」については触れた。また「今様」については、馬場光子全訳注『梁塵秘抄口伝集』が詳しい。
「郢」(漢音エイ、呉音ヨウ)は、
形声。「邑+音符呈」、
とある(漢字源)。
春秋時代の楚の都、郢は享楽的な都であったという。そのため、「俗・みだら」の意に使われることがある(角川新字源)とある。
参考文献;
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)
大槻文彦『大言海』(冨山房)
ホームページ;http://ppnetwork.c.ooco.jp/index.htm
コトバの辞典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba.htm#%E7%9B%AE%E6%AC%A1
スキル事典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/skill.htm#%E3%82%B9%E3%82%AD%E3%83%AB%E4%BA%8B%E5%85%B8
書評;http://ppnetwork.c.ooco.jp/critic3.htm#%E6%9B%B8%E8%A9%95
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