神社に参りて今様歌ひて、示現かぶること度々なる(梁塵秘抄口伝集第10巻)、
の、
示現(じげん)、
は、仏語、
為衆生故、示現八相、随縁在厳浄国土、転妙法輪度諸衆生(「往生要集(984~85)」)、
と、
仏菩薩が衆生救済のために、種々に身を変えてこの世に現われること、
をいい(岩波古語辞典・精選版日本国語大辞典)、
現化(げんげ)、
ともいい(仝上)、「観音勢至」で触れたように、観音は、
衆生の求めに応じて種々に姿を変える
とされ、
観音の普門示現(ふもんじげん)、
といい、法華経「観世音菩薩普門品第二十五」(観音経)には、
衆生、困厄を被りて、無量の苦、身に逼(せま)らんに、観音の妙智の力は、能く世間の苦を救う。(観音は)神通力を具足し、広く智の方便を修して、十方の諸(もろもろ)の国土に。刹として身を現ぜざることなし。種々の諸の悪趣。地獄・鬼・畜生。生・老・病・死の苦は、以て漸く悉く滅せしむ、
と(観音経・普門品偈文)、
観世音菩薩はあまねく衆生を救うために相手に応じて「仏身」「声聞(しょうもん)身」「梵王身」など、33の姿に変身する、
と説かれており(https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%A6%B3%E9%9F%B3%E8%8F%A9%E8%96%A9)、
三十三観音、
といい、その
三十三身、
は、「三十四身」で触れたように、
三十三種の異形(いぎょう)、
といい、すなわち、
辟支仏(びゃくしぶつ)・声聞(しょうもん)・梵王・帝釈・自在天・大自在天・天大将軍・毘沙門天・小王・長者・居士(こじ)・宰官(さいかん)・婆羅門(ばらもん)・比丘・比丘尼・優婆塞(うばそく)・優婆夷(うばい)・長者婦女・居士婦女・宰官婦女・婆羅門婦女・童男・童女・天・龍・夜叉・乾闥婆(けんだつば)・阿修羅・迦楼羅(かるら)・緊那羅(きんなら)・摩睺羅迦(まごらか)・執金剛、
をいう(精選版日本国語大辞典)。西国三十三所の観音霊場はその例になるが、その形の異なるに従い、
千手(せんじゅ)、十一面、如意輪(にょいりん)、准胝(じゅんてい)、馬頭(ばとう)、聖(しょう)、
を、
六観音、
不空羂索(ふくうけんさく・ふくうけんじゃく)、
を含めて、
七観音、
というなど様々の異称がある(マイペディア)。
示現、
は、
佛菩薩が衆生を救うために種々の姿に身を変えてこの世に出現する、
意をメタファに、
観音に祈り申しける夜の夢に、……と見て、夢覚ぬ。何なる示現にか有らむと恠(怪)み思て(今昔物語)、
と、
神仏が霊験を示し現わすこと、
夢の中に化身となって現われ、告知すること、
の意でも使う(精選版日本国語大辞典・岩波古語辞典)。
示現、
に似た言葉に、
応作、
があり、
応化(おうげ・おうけ)、
と同義で、
応現(おうげん)、
ともいい、
仏・菩薩が衆生を救うためにいろいろに姿を変えて出現すること、
とある(広辞苑)が、
応現の働(精選版日本国語大辞典)、
応現、変化の謂い(大言海)、
の意とあるので、
阿彌陀仏五濁(ごぢょく)の凡愚をあはれみて、釈迦牟尼仏としめしてぞ、迦耶城(かやじゃ)には応現する(「三帖和讚」(1248~60頃)・諸経讃)、
舟より道に下れば老公見えず。其舟忽に失せぬ。乃ち疑はくは、観音の応化なることを(「霊異記(810~824)」)、
などと、
仏、菩薩などが衆生に応じた姿を現わす、その働き、
という意味がわかりやすいように思える(精選版日本国語大辞典)。
示現、
が、
仏菩薩が衆生救済のために、種々に身を変えてこの世に現われること、
という、
出現、
を言うとすると、
応作、
は、
仏菩薩などが衆生に応じた姿を現わす、その働き、、
という、
作用、
のことを指し、微妙に異なるように思える。
(「示」 甲骨文字・殷 https://ja.wiktionary.org/wiki/%E7%A4%BAより)
「示」(①漢音シ、呉音ジ、②漢音キ、呉音ギ)は、
象形。神霊の降下してくる祭壇を描いたもの。そこに神々の心が示されるので、しめすの意となった、後、ネ印に書かれ、神社、祇など、神や祭りに関することをあらわす(①の発音は、指示、顕示、訓示等々の、「示す」意、②の発音は、神示(神祇)と、地の神、祭壇に祀る神の意、となる)、
とある(漢字源)。
象形。先祖の神主(位牌)を象る(https://ja.wiktionary.org/wiki/%E7%A4%BA)、
象形。祭事で、神の座に立てて神を招くための木の台の形にかたどる。もと、神を祭る意を表した。借りて、「しめす」意に用いる(角川新字源)、
象形文字です。「神にいけにえをささげる台」の象形から、「祖先の神」を意味する「示」という漢字が成り立ちました。また、「指(シ)」に通じ(同じ読みを持つ「指」と同じ意味を持つようになって)、「しめす」の意味も表すようになりました(https://okjiten.jp/kanji821.html)、
も同趣旨。
「現」(漢音ケン、呉音ゲン)は、
会意兼形声。「玉+音符見」で、玉が見えることを示す。見は「みる」「みえる」を意味したが、特に「みえる」の意味をあらわすため、現の字が作られた、
とある(漢字源)。別に、
形声。玉と、音符見(ケン、ゲン)とから成る。玉の光沢があらわれ出る、ひいて、「あらわれる」意を表す(角川新字源)、
会意兼形声文字です(王(玉)+見)。「3つの玉を縦のひもで貫き通した」象形(「玉」の意味)と「大きな目と人の象形」(「見る」の意味)から、玉の光があらわれる事を意味し、そこから、「あらわれる」を意味する「現」という漢字が成り立ちました(https://okjiten.jp/kanji865.html)、
とあるが、ただ、
形声。「玉」+音符「見 /*KEN/」。「玉の光」を意味する漢語{現 /*geens/}を表す字。のち仮借して「あらわれる」を意味する漢語{現 /*geens/}に用いる。かつて「会意形声文字」と解釈する説があったが、根拠のない憶測に基づく誤った分析である、
とある(https://ja.wiktionary.org/wiki/%E7%8F%BE)。
参考文献;
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)
大槻文彦『大言海』(冨山房)
ホームページ;http://ppnetwork.c.ooco.jp/index.htm
コトバの辞典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba.htm#%E7%9B%AE%E6%AC%A1
スキル事典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/skill.htm#%E3%82%B9%E3%82%AD%E3%83%AB%E4%BA%8B%E5%85%B8
書評;http://ppnetwork.c.ooco.jp/critic3.htm#%E6%9B%B8%E8%A9%95