2023年11月21日
五乗
出家して、五天竺修行して、五乗の道を定めて、達摩掬多師として定給(梁塵秘抄口伝集11)、
の、
五天竺、
とは、
古代インドを東・西・南・北・中の五つに分けた総称、
で(精選版日本国語大辞典)、
五天、
五印度、
五竺、
ともいう(精選版日本国語大辞典)。また、
達摩掬多(だるまきくた)、
とは、
六世紀末頃、インド那爛陀寺の僧。善無畏の師。宋高僧伝によると、定門の秘鑰を掌り、如来の密印を佩びており、顔は40歳位だが実は800歳であったといわれている。善無畏に密教の奥義を伝授し、神通力で善無畏を助け、中国に密教を弘めさせたといわれる、
とある(https://gmate.org/V03/lib/comp_gosyo_210.cgi?a=c3a3cbe1b5c5c2bf)。
真言密教は、「龍樹」でも触れたが、
大日如来、
が法門(おしえ)、を、灌頂(かんじょう)という儀式を通して、
金剛薩多(こんごうさった)、
に授け、
金剛薩多、
から、
龍猛菩薩(りゅうみょうぼさつ)→金剛智三蔵(こんごうちさんぞう)→不空三蔵(ふくうさんぞう)→善無畏三蔵(ぜんむいさんぞう)→一行禅師(いちぎょうぜんじ)→恵果和尚(けいかかしょう)→弘法大師、
と、真言の、
伝持の八祖(でんじのはっそ)、
とされ、日本に真言密教がつたわったとされる(https://www5b.biglobe.ne.jp/~jurinji/hasso%20sousyou.html)が、この中の、インドのマカダ国の生まれの、
善無畏三蔵(ぜんむいさんぞう)、
が、密教を学んだのが、
達磨掬多(だるまきくた)、
とされ、80才のときに唐の長安に渡り、大日経(だいにちきょう)をはじめとする真言宗にとって重要な経典を翻訳したとされる(仝上)。
五乗(ごじょう)、
の、
「乗」はのりもの。衆生を彼岸に運載する教え、
の意で、五種の教法の総称。一般に、
人乗・天乗・声聞乗・縁覚乗・菩薩乗、
をいう(広辞苑)が、
仏乗、菩薩乗、縁覚(えんがく)乗、声聞(しょうもん)乗、人天乗、
あるいは、
声聞乗、縁覚乗、菩薩乗、人間乗、天上乗、
と、宗派により名称、説き方が異なる(精選版日本国語大辞典・デジタル大辞泉)。
「一乗」は、サンスクリット語、
エーカ・ヤーナeka-yāna(一つの乗り物)、
の訳語、
「一」は唯一無二の義、
「乗」は乗物、
の意、
開闡一乗法、導諸群生、令速成菩提(法華経)、
と、
乗物の舟車などにて、如来の教法、衆生を載運して、生死を去らしむる、
とあり(大言海)、乗(乗り物)は、
人々を乗せて仏教の悟りに赴かせる教え、
をたとえていったもので、
真の教えはただ一つであり、その教えによってすべてのものが等しく仏になる、
と説くことをいう(精選版日本国語大辞典・日本大百科全書)とある。「声聞」で触れたように、
悟りに至るに三種の方法、
には、
声聞乗(しょうもんじょう 仏弟子の乗り物)、
縁覚乗(えんがくじょう ひとりで覚(さと)った者の乗り物)、
菩薩乗(ぼさつじょう 大乗の求道(ぐどう)者の乗り物)、
の三つがあり、
三乗、
といい、『法華経』では、この三乗は、
一乗(仏乗ともいう)、
に導くための方便(ほうべん)にすぎず、究極的にはすべて真実なる一乗に帰す、
と説き(仝上)、
三乗方便・一乗真実、
といい、それを、
一乗の法、
といい、主として、
法華経、
をさす(仝上)。
「声聞」は、
梵語śrāvaka(シュラーヴァカ)、
の訳語、
声を聞くもの、
の意で、
釈迦の説法する声を聞いて悟る弟子、
である(精選版日本国語大辞典)のに対して、
縁覚(えんがく)、
は、
梵語pratyeka-buddhaの訳語、
で、
各自にさとった者、
の意、
独覚(どっかく)、
とも訳し、
仏の教えによらず、師なく、自ら独りで覚り、他に教えを説こうとしない孤高の聖者、
をいう(仝上・日本大百科全書)。
菩薩、
は、
サンスクリット語ボーディサットバbodhisattva、
の音訳、
菩提薩埵(ぼだいさった)、
の省略語であり、
bodhi(菩提、悟り)+sattva(薩埵、人)、
より、
悟りを求める人、
の意であり、元来は、
釈尊の成道(じょうどう)以前の修行の姿、
をさしている(仝上)とされる(「薩埵」については触れた)。つまり、部派仏教(小乗)では、菩薩はつねに単数で示され、
成仏(じょうぶつ)以前の修行中の釈尊、
だけを意味する。そして他の修行者は、
釈尊の説いた四諦(したい)などの法を修習して「阿羅漢(あらかん)」になることを目標にした(仝上)。
阿羅漢、
とは、
サンスクリット語アルハトarhatのアルハンarhanの音写語、
で、
尊敬を受けるに値する者、
の意。
究極の悟りを得て、尊敬し供養される人、
をいう。部派仏教(小乗仏教)では、
仏弟子(声聞)の到達しうる最高の位、
をさし、仏とは区別して使い、これ以上学修すべきものがないので、
無学(むがく)、
ともいう(仝上)。ただ、大乗仏教では、
個人的な解脱を目的とする者、
とみなされ、
声聞、
独覚(縁覚)、
を並べて、二乗・小乗として貶しており、
悟りに至るに三種の方法、
である、
三乗、
を、
声聞乗(しょうもんじょう 教えを聞いて初めて悟る声聞 小乗)、
縁覚乗(えんがくじょう 自ら悟るが人に教えない縁覚 中乗)、
菩薩乗(ぼさつじょう 一切衆生のために仏道を実践する菩薩 大乗)、
とし、大乗仏教では、
菩薩、
を、
修行を経た未来に仏になる者、
の意で用いている。
悟りを求め修行するとともに、他の者も悟りに到達させようと努める者、
また、仏の後継者としての、
観世音、
彌勒、
地蔵、
等々をさすようになっている(精選版日本国語大辞典)。で、大乗仏教では、「阿羅漢」も、
小乗の聖者をさし、大乗の求道者(菩薩)には及ばない、
とされた。
「一乗妙法」で触れたように、
仏の真実の教えは一つであり、すべての衆生が平等に仏になれると説く教え、
であるとするのが、
一乗、
であるのに対して、
声聞・縁覚・菩薩のそれぞれに、固有な三種の覚りへの道があるとするのが、
三乗、
である(http://jodoshuzensho.jp/daijiten/index.php/%E4%B8%80%E4%B9%97)。上述のように、
天台宗、
華厳宗、
では、
一乗が真実であり三乗は方便である、
と主張したが、
法相宗、
では、
三乗真実・一乗方便、
と主張した(仝上)とある。この場合、
一乗、
と、
三乗、
の中の、
菩薩乗、
が同一か否かという点でも見解が分かれる(仝上)とある。
四乗(しじょう)、
という場合、
声聞(しょうもん)乗・縁覚(えんがく)乗・菩薩乗・仏乗、
をいい(http://labo.wikidharma.org/index.php/%E5%9B%9B%E4%B9%97)、
五乗(ごじょう)、
という場合、
仏乗、菩薩乗、縁覚(えんがく)乗、声聞(しょうもん)乗、人天乗、
あるいは、
声聞乗、縁覚乗、菩薩乗、人間乗(人乗)、天上乗(天乗)、
の五種の教法の総称をいう(精選版日本国語大辞典)。
宗派によって異なるが、天台宗の教学では、人間の心の境涯を、
地獄・餓鬼・畜生・修羅・人間・天上・声聞・縁覚・菩薩・仏、
の十の世界(十界)に分け、
声聞と縁覚、
を小乗の教法として、
二乗、
と呼び、
菩薩・仏、
の大乗の教法と分け、
声聞・縁覚・菩薩、
を、
三乗、
人間界から菩薩界までを、
五乗、
と呼ぶ(https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%80%E4%B9%97)とある。
「乘(乗)」(漢音ショウ、呉音ジョウ)は、「一乗」で触れたように、
会意文字。「人+舛(左右の足の部分)+木」で、人が両足で木の上にのぼった姿を示す。剩(ジョウ 剰 水準より上にのほける→あまり)の音符となる、
とある(漢字源)。
参考文献;
大槻文彦『大言海』(冨山房)
ホームページ;http://ppnetwork.c.ooco.jp/index.htm
コトバの辞典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba.htm#%E7%9B%AE%E6%AC%A1
スキル事典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/skill.htm#%E3%82%B9%E3%82%AD%E3%83%AB%E4%BA%8B%E5%85%B8
書評;http://ppnetwork.c.ooco.jp/critic3.htm#%E6%9B%B8%E8%A9%95
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