蓮華王院寶蔵にひしてとめおくところの催馬楽を、あらあらこのふみにしるしおきぬ(梁塵秘抄口伝集第11)、
の、
催馬楽、
は、古代歌謡の一種で、
奈良時代に民謡であったものを、歌詞をとって、平安時代に至って外来楽である宮廷の唐楽(とうがく)風の雅楽の曲調にあてはめて歌曲としたもの、唐楽の音調で、笏拍子(しゃくびやうし)・和琴(わごん)・竜笛(りゅうてき)・篳篥(ひちりき)・笙(しやう)・箏(そう)・琵琶などの楽器を伴奏とし、歌のリーダー (句頭)が曲の冒頭部分を独唱し、次に全員の拍節的な斉唱となる声楽曲、
とあり(岩波古語辞典・広辞苑・ブリタニカ国際大百科事典)、冒頭部を除き、曲全体は、
拍節的なリズムをもち、おなじ雅楽歌謡の朗詠に比べると躍動感のある曲趣を感じさせる。歌詞の中に種々の軽妙なはやしことばを伴う、
のが特色と(世界大百科事典)ある。歌の内容は、
恋愛歌、祝儀歌などさまざまで、饗宴の性格により歌われる歌が決っていて、のちには一種の故実として固定化した、
とある(ブリタニカ国際大百科事典)。中古の初め、
少なくとも貞観元年(八五九)以前に譜が選定され、宮廷、貴族の宴遊や寺院の法会(ほうえ)などに歌われた。笏拍子(しゃくびょうし)を打って歌い、和琴(わごん)、笛などを伴奏に用い、旋律の違いで、律と呂(りょ)とに分かれる、
とあり、六国史(りっこくし)の一つ、勅撰歴史書『三代実録』(清和(せいわ)(在位858~876)、陽成(ようぜい)(在位876~884)、光孝 (こうこう)(在位884~887)の時代30年を収めた編年体の実録)貞観(じょうがん)元年(859)10月23日のくだりに、
(八十余歳で薨去した尚侍の)広井少修徳操、挙動有礼、以能歌見称、特善催馬楽、諸大夫、及少年好事者、多就而習之(広井女王少(わか)くして徳操を修む。挙動礼り、歌を能くするを以て称せらる。特に催馬楽歌を善くす、諸大夫及び少年好事者、多く就きて習ふ)、
とあるのが文献上の初見とされ、その20~30年前の仁明(にんみょう)天皇のころが催馬楽流行の一頂点であったらしい(日本大百科全書)。源家と藤家との二流派を生じたが、応仁の乱後廃絶し、歌詞は律は『我が駒』『沢田川』など25首、呂(りょ)は『あな尊と』『新しき年』など36首が残る。寛永三年(一六二六)に再興され、明治時代には「伊勢海(いせのうみ)」「更衣(ころもがえ)」など六曲が行なわれ、大正以後数曲が復興された(精選版日本国語大辞典)という。
催馬楽、
の語源については、梁塵秘抄口伝集一に、
催馬楽は、大蔵の省(つかさ)の国々の貢物納めける民の口遊(くちずさ)みに起これり。……催馬楽は、公私(おほやけわたくし)のうるはしき楽(あそび)の琴の音、琵琶の緒、笛の音につけて、我が国の調べともなせり、
とあり、類聚名義抄(11~12世紀)には、
催馬楽、律我駒曲、是也、
とあり、郢曲秘抄(梁塵秘抄口伝集第11)には、
催馬楽、本、路頭巷里之謡謌也、然而後、好事之士女、取以為弾琴歌曲、故其歌因來、其有古代、有中世……遂翫之於宮中已久矣、
とあり、
室町時代の音楽暑「體源抄」は、
催馬楽と云ふは、催馬楽と云ふ楽あり、それより事起り、此楽の唱歌に、こまをもよほすと云ふ琴のりける、やがて、歌になして、國國より歌ひ出したり、我駒(わがこま)と云ふ催馬楽、是なり、故に馬を催す、と書きたるなり、
等々とある。ために、
催馬と云ふは、律歌の第一曲の題を、我駒(わがこま)と云ひ、その歌に、「いで我が駒、早く行きこせ」(早く打ちて得させよ)とありて、馬を催す心なるをとりて、数曲の題名としたるなりと云ふ(大言海)、
譜本の律旋冒頭にある『我が駒(こま)』の歌詞「いで我が駒早く行きこそ」によったとする(日本大百科全書)、
と、
諸国から朝廷に貢物を運搬するときにうたった歌で、馬をかり催す、
意とした「梁塵愚案抄」説に依拠したもの、さらに、そこから、
名称は馬子歌の意、あるいは前張さいばりの転などといわれるが定説はない(広辞苑)
諸国から貢物を大蔵省に納める際、貢物を負わせた馬を駆り催すために口ずさんだ歌であったからとする説(日本大百科全書)、
馬子歌に起因するという説(世界大百科事典)、
大嘗会に神馬を牽(ひ)くさいにうたった歌(和訓栞)
神馬を奉る時、神が馬に乗って影向するよう催し歌ったところから(河社かわやしろ)、
と、少し広く馬子歌ないし、馬に関わるとした説があるが、「催馬楽」の文字から「馬」と絡めているようにも見えるものもある。他に、
唐楽曲の催馬楽(さいばらく、あるいは催花楽)の曲調に唱ったから(岩波古語辞典・日本語の語源)、
催神楽(かぐら)歌の「さきはりに衣は染めん」という詞からサイハリ(前張)が出て、それがカグラ(神楽)のラに引かれてサイバラとなり、催馬楽の字を当てるようになった(折口信夫=催馬楽考)、
神楽の前張を好事家が催馬楽と書いたことによる(賀茂真淵=催馬楽考)、
薩摩に催馬楽村があり、その付近では都曇答蝋、鼓川、轟小路などの地名があり、ここに住んでいた楽人がうたいはじめた歌謡(https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%82%AC%E9%A6%AC%E6%A5%BD)、
ラは「楽」の字音、サイバはサルメ(猿女)の訛。神楽(かみあそび)に対してサルメ-ラ(楽)といった(日本古語大辞典=松岡静雄)、
等々諸説あるが、確かなところは不明である。しかし、平安末期の「梁塵秘抄口伝集一」の説が、時代的には近く、妥当なのではあるまいか。その意味で、は駒歌とするのも適切に思えるのだが。
「郢曲」、「梁塵秘抄」については触れた。
(催馬楽曲譜(鍋島本) https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%82%AC%E9%A6%AC%E6%A5%BDより)
参考文献;
大槻文彦『大言海』(冨山房)
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)
前田富祺編『日本語源大辞典』(小学館)
ホームページ;http://ppnetwork.c.ooco.jp/index.htm
コトバの辞典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba.htm#%E7%9B%AE%E6%AC%A1
スキル事典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/skill.htm#%E3%82%B9%E3%82%AD%E3%83%AB%E4%BA%8B%E5%85%B8
書評;http://ppnetwork.c.ooco.jp/critic3.htm#%E6%9B%B8%E8%A9%95
ラベル:催馬楽