2023年11月26日

神遊


神遊の歌に、唐神楽拍子唱こと申はべりき(梁塵秘抄口伝集第14)、

の、

神遊(かみあそび)、

は、

神々が集まって楽を奏し、歌舞すること、

を言うが、転じて、

神前で歌舞を奏して神の心を慰めること。また、その歌舞、

の意となる(精選版日本国語大辞典)。

神楽(かぐら)、

と同じ意味である(仝上)。

神楽、

は、

神前に奏される歌舞、

で、

神座を設けて神々を勧請(かんじょう)して招魂・鎮魂の神事を行ったのが神楽の古い形、

とされ、古くは、

神遊(かみあそび)、

とも称したhttps://japanknowledge.com/introduction/keyword.html?i=1389。「古今集」には、

神がきのみむろの山のさかき葉は神のみまへにしげりあひにけり
ちはやぶる賀茂のやしろの姫小松よろづ世ふとも色はかはらじ

等々http://www.milord-club.com/Kokin/kan/kan20.htm

神あそびのうた、

が十余首収められている(精選版日本国語大辞典)。

神楽」で触れたように、本質的には、

招魂の鎮魂(たましずめ)作法、

であり、文字通り、

神前に奏される歌舞、

つまり、

手に榊などの採物(とりもの)を持ち、そこへ神を招き、歌舞を捧げて、神を楽しませて、天に送る舞楽、

で(岩波古語辞典)、

神座(かむくら・かみくら)の転、

とされる(広辞苑・大言海・岩波古語辞典)。

カミ(ム)クラ→カングラ→カグラと転じたる語、

とある(大言海)。「座(くら)」は、

神おろしをするところ。この舞楽に使う榊や篠などに神が降下するので、その榊・篠・杖・弓などをカミクラと称したのが、後にこの舞楽全体の名となった、

とある(岩波古語辞典)。「採物」(とりもの)とは、

神楽の時、舞人が手に持って舞うもの。本来、神の降臨する場所、すなわち神座(かぐら)としての意味を持ち、森の代用としての木から、木製品その他の清浄なものにも広がった。榊葉(さかきば)・幣(みてぐら)・笹・弓・剣・ひさごなどが使われる、

とある(仝上)。かつては、

神が降臨した際に身を宿す「依り代」としての巨石や樹木、高い峰を祭祀の対象物、

とし、やがて、人の手が加えられた、

神座、

が設けられhttp://www.tohoku21.net/kagura/history/kigen.html、神座に、神を迎え、祈祷の祭祀を行うことになる。さらにそれが「採物」に代用されるようになる、ということになる。で、「神楽」は、

神座遊(かみくらあそび)の略にて、神座の音楽、

意となる(岩波古語辞典)。

神座を設けて神々を勧請(かんじょう)して招魂・鎮魂の神事を行ったのが神楽の古い形で、古くは、だから、

神遊(かみあそび)、

とも称した(日本大百科全書)。「遊ぶ」は、

楽しきわざをして、神の御心を和み奉ること、

とあり、「あそび」に、

神楽、

を当て(大言海)、

瑞垣の神の御代よりささの葉を手(た)ぶさに取り手遊びけらしも(神楽歌)、

とあるように、

神楽を演ずる、

意でもある(岩波古語辞典)。本来神楽は、

招魂・鎮魂・魂振に伴う神遊びだった、

のはその意味である。この起源は、

天照大御神の、天岩屋戸に隠(こも)りたまひし時、神々集まりて、岩屋の前に、榊・幣など種種の設けをして、天鈿女(うずめの)命、桙(ほこ)と篠とを採り、わざをぎの態をしなどして、慰め奉り、遂に、大神を出し奉りし事、

に始まる、とされる(大言海)。「わざをぎ」は、

伎楽(大言海)、
俳優(岩波古語辞典・広辞苑)、

と当てるが、古くは、

ワザヲキ、

と清音(広辞苑)、

ワザヲキ(業招)が原義(岩波古語辞典)、
神為痴態(ワザヲコ)の転と云ふ、ワザは神わざ(為)、わざ歌(童謡)のワザなり。ヲコは可笑(おか)しと通ず(大言海)、

とその由来の解釈は少し異なる(大言海は「俳優」と当てるのは、「俳優侏儒、戯於前」(孔子家語)、神代紀に、ワザヲキに俳優の字を充てたるに因りて誤用せる語、としている)が、

天鈿女命、則ち手に茅纏(ちまき)の矟(ほこ)を持ち、天の石窟戸(いわやど)の前に立たして、巧みに俳優(わざをき)す(日本書紀)、

とあるような、岩戸隠れで天鈿女命が神懸りして舞った舞い、

に淵源する、

手振り、足踏みなどの面白くおかしい技をして歌い舞い、神人をやわらげ楽しませること、またその人、

とあり(広辞苑)、

役者、

の意味にもなる(嬉遊笑覧)ので、

俳優、

と当てる方が妥当に思える。ほぼ、

神遊び、

と意味は重なる。考えれば、「あそぶ」で触れたように、「あそぶ」自体が、

神楽(かみあそび)→神楽(あそび)→奏楽(あそび)→遊び、

と転じてきたものなのであり、そもそも、「あそぶ」は、

天照大御神が、思ず、顔をのぞかせたり、
死者が帰ってきたいと思ったり、

するほど、楽しいことであるのに違いはない。神事由来だが、天宇受賣命が岩戸の前に桶を伏せて踏み鳴らし、神憑(かみがか)りして胸をさらけ出し、裳の紐を陰部までおし下げて踊ったことに淵源するように、厳かさよりは、底抜けの楽しさがある気配である。だから、「あそぶ」の語源は、

足+ぶ(動詞化)(日本語源広辞典)
アシ(足)の轉呼アソをバ行に活用したもの(日本古語大辞典=松岡静雄)、

辺りなのではないか。

「神」 漢字.gif


「神(神)」(漢音シン、呉音ジン)は、「神さびる」で触れたように、

会意兼形声。申は、稲妻の伸びる姿を描いた象形文字。神は「示(祭壇)+音符申」で、稲妻のように不可知な自然の力のこと、のち、不思議な力や、目に見えぬ心のはたらきをもいう、

とある(漢字源)。日・月・風・雨・雷など自然界の不思議な力をもつもの、

天のかみ、

で、

祇(ギ 地の神)、鬼(人の魂)に対することば、

とある(仝上)。「申」(シン)は、

会意文字。稲妻(電光)を描いた象形文字で、電(=雷)の原字、のち、「臼(両手)+丨印(まっすぐ)」のかたちとなり、手でまっすぐのばすこと、伸(のばす)の原字、

とある(仝上)。

参考文献;
大槻文彦『大言海』(冨山房)

ホームページ;http://ppnetwork.c.ooco.jp/index.htm
コトバの辞典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba.htm#%E7%9B%AE%E6%AC%A1
スキル事典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/skill.htm#%E3%82%B9%E3%82%AD%E3%83%AB%E4%BA%8B%E5%85%B8
書評;http://ppnetwork.c.ooco.jp/critic3.htm#%E6%9B%B8%E8%A9%95

【関連する記事】
posted by Toshi at 04:54| Comment(0) | 言葉 | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
コメントを書く
コチラをクリックしてください