あひみての後のこころにくらぶれば昔は物を思はざりけり(藤原敦忠)、
は、
後朝(きぬぎぬ)の歌、
とされる。
きぬぎぬ、
は、
衣衣、
と当て、本来は、
風の音も、いとあらましう、霜深き晩に、おのが衣々も冷やかになりたる心地して、御馬に乗りたまふほど(源氏物語)、
と、
衣(きぬ)と、衣と、
の意で、
各自に着て居る衣服、
をいう(大言海)。しかし、
しののめのほがらほがらと明けゆけばおのがきぬぎぬなるぞかなしき(古今集)、
の、顕昭(1130(大治5)年?~ 1209(承元元)年)注本に、
結句、きるぞかなしき、とあるはぞよろしかるべき、
とし、
きぬぎぬとは、我が衣をば我が着、人の衣をば人に着せて起きわかるるによりて云ふなり、
とあり(古今集註)、
男女互いに衣を脱ぎ、かさねて寝て、起き別るる時、衣が別々になる意、
とし(大言海)。この歌より、
男女相別るる翌朝の意として、
後朝(きぬぎぬ)、
と表記して、
きぬぎぬ、
とした(仝上)とある。平安時代は、
妻問婚(つまどいこん)、
で(https://mag.japaaan.com/archives/199944)、男性が女性の家に通う婚姻スタイルが一般的であり、朝になったら別れなければならなかったが、当時は、
敷布団はなく、貴族の寝具は畳で、その畳の上に、二人の着ていた衣を敷き、逢瀬を重ねます、
とか(https://www.bou-tou.net/kinuginu/)、
布団が使われ出したのは、身分の高い人で江戸期、庶民は明治期からで、それ以前は、着ていた衣をかけて寝ていた、
とある(https://kakuyomu.jp/works/1177354054921231796/episodes/1177354055255278737)ので、
脱いだ服を重ねて共寝をした、翌朝、めいめいの着物を身に着けること、
の意から、
きぬぎぬになるともきかぬとりだにもあけゆくほどぞこゑもおしまぬ(新勅撰和歌集)、
と、
男女が共寝して過ごした翌朝、
あるいは、
その朝の別れ、
をいい、
きぬぎぬの別れ、
こうちょう(後朝)、
ごちょう(後朝)、
ともいい、さらに転じて、後には、
此ごとくに、きぬぎぬに成とても、互にあきあかれぬ中ぢゃ程に、近ひ所を通らしますならば、必ず寄らしませ(狂言記「箕被(1700)」)、
と、広く、
男女が別れること、
にもいい、さらには、
首と胴とのきぬぎぬさあ只今返事は返事はと(浮世草子「武道伝来記(1687)」)、
と、
別々になること、
はなればなれになること、
でも使った。
後朝の暁を、
きぬぎぬの空、
といい(大言海)、後朝の朝を、
後の朝(のちのあさ・のちのあした)
と言ったが、
暁に帰らむ人は、装束などいみじううるはしう、烏帽子の緒もと、結ひかためずともありなむとこそおぼゆれ。いみじくしどけなく、かたくなしく、直衣、狩衣などゆがめたりとも、誰か見知りて笑ひそしりもせむ(枕草子)、
とある、
後朝(きぬぎぬ)の別れ、
には、当時のマナーがあり、
翌朝、まだ空が暗いころに男性は家へ帰り、女性に文を送る、
つまり、
後朝の文、
遣わすことが必要であった(https://mag.japaaan.com/archives/199944)。その文の使いを、
後朝の使(きぬぎぬのつかい・ごちょうのつかい)、
といった(広辞苑・精選版日本国語大辞典)。
代表的な、後朝の文の歌に、「百人一首」にも入っている、
あひみてののちのこころにくらぶればむかしはものをおもはざりけり(権中納言敦忠)
君がため惜しからざりしいのちさへ長くもがなと思ひけるかな(藤原義孝)
あけぬれば暮るるものとはしりながらなほうらめしき朝ぼらけかな(藤原道信)
がある(https://flouria001.com/entry/kinuginu-no-fumi/)。
(「朝」 甲骨文字・殷 https://ja.wiktionary.org/wiki/%E6%9C%9Dより)
(「朝」 金文・西周 https://ja.wiktionary.org/wiki/%E6%9C%9Dより)
「朝」(①漢音・呉音チョウ、②漢音チョウ、呉音ジョウ)は、
会意→形声。もと「艸+日+水」の会意文字で、草の間から太陽がのぼり、潮がみちてくる時をしめす。のち「幹(はたが上るように日がのぼる)+音符舟」からなる形声文字となり、東方から太陽の抜け出るあさ、
とある(漢字源)。①は、「太陽の出てくるとき」の意の「あさ」に、②は「来朝」のように、「宮中に参内して、天子や身分の高い人のおめにかかる」意の時の音となる(仝上)。同趣旨で、
形声。意符倝(かん 日がのぼるさま。𠦝は省略形)と、音符舟(シウ)→(テウ)(は変わった形)とから成る。日の出時、早朝の意を表す、
とも(角川新字源)、
会意文字です。「草原に上がる太陽(日)」の象形から「あさ」を意味する「朝」という漢字が成り立ちました。潮流が岸に至る象形は後で付された物です、
とも(https://okjiten.jp/kanji152.html)あるが、
「朝」には今日伝わっている文字とは別に、甲骨文字にも便宜的に「朝」と隷定される文字が存在する、
として(https://ja.wiktionary.org/wiki/%E6%9C%9D)、
会意文字。「艸」(草)+「日」(太陽)+「月」から構成され、月がまだ出ている間に太陽が昇る明け方の様子を象る。「あさ」を意味する漢語{朝 /*traw/}を表す字。この文字は西周の時代に使われなくなり、後世には伝わっていない、
とは別に、
形声。「川」(または「水」)+音符「𠦝 /*TAW/」。「しお」を意味する漢語{潮 /*draw/}を表す字。のち仮借して「あさ」を意味する漢語{朝 /*traw/}に用いる。今日使われている「朝」という漢字はこちらに由来する、
とし、
『説文解字』では「倝」+音符「舟」と説明されているが、これは誤った分析である。金文の形を見ればわかるように、「倝」とも「舟」とも関係が無い、
とある(仝上)。
参考文献;
大槻文彦『大言海』(冨山房)
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)
ホームページ;http://ppnetwork.c.ooco.jp/index.htm
コトバの辞典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba.htm#%E7%9B%AE%E6%AC%A1
スキル事典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/skill.htm#%E3%82%B9%E3%82%AD%E3%83%AB%E4%BA%8B%E5%85%B8
書評;http://ppnetwork.c.ooco.jp/critic3.htm#%E6%9B%B8%E8%A9%95