つゆ
雨降れど露ももらじをかさとりの山はいかでかもみぢそめけむ(古今和歌集)、
の、
露ももらじ、
とある、
露、
は、
雨露の「露」と、「少し も… ない」の意の「つゆ」を掛ける、
とある(高田祐彦訳注『新版古今和歌集』)。
つゆけし、
で触れたように、
つゆ(露)、
は、
秋の野に都由(ツユ)負へる萩を手折らずてあたら盛りを過ぐしてむとか(万葉集)、
と、
大気中の水蒸気が冷えた物体に触れて凝結付着した水滴。夜間の放射冷却によって気温が氷点以上、露点以下になったとき生じる。また、雨の後に木草の葉などの上に残っている水滴、
をいう(精選版日本国語大辞典)が、それをメタファに、
わが袖は草の庵にあらねども暮るればつゆのやどりなりけり(伊勢物語)、
と、
涙、
の比喩に用い、また、「露」のはかなさから、
つゆの癖なき。かたち・心・ありさまにすぐれ、世に経る程、いささかのきずなき(枕草子)、
と、
はかないもの、わずかなこと、
の比喩に用い(仝上)、
つゆばかりの、
つゆほど、
等々と使う。つまり、
そんなこととはつゆ知らず、
つゆ疑わなかった、
等々と使う、
つゆ、
も、
露、
と当て(広辞苑・大言海)、下に打消の語を伴って、
少しも、
まったく、
の意で使うので、上述の、
露、
と掛けるのは自然のようなのである。
つまり、「露」のはかなさから、
はかないもの、わずかなこと、
の比喩に用い(仝上)、
ありさりて後も逢はむと思へこそつゆも継ぎつつ渡れ(万葉集)、
と、
露のようにはかない命、
の、
露の命、
とか、
つゆも忘らればこそあぢきなや(謡曲・松風)、
と、
ごくわずかな間、
の意の、
露の間、
とか、
露のようにはかない身の上、
の意の、
露の身、
とか、
露のようにはかないこの世、
の意の、
露の世、
等々といい、その流で、
つゆばかりの、
とか
つゆほど、
等々と、
物事の程度がわずかであるさま、
の意で、
つゆあしうもせば沈みやせんと思ふを(枕草子)、
と、
ちょっと、
わずかに、
の意で使い、さらに、その意味の流れから、反語的に、
いみじくみじかき夜のあけぬるに、つゆ寝ずなりぬ(枕草子)、
と、
否定表現を伴って、強い否定の気持を表わし、
全く、
全然、
の意で使うに至る流れである。
「露」(漢音ロ、呉音ル、慣用ロウ)は、「露けし」でふれたように、
形声。「雨+音符路」で、透明の意を含む。転じて、透明に透けて見えること、
とある(漢字源)。別に、
形声文字です(雨+路)。「雲から水滴が滴(したた)り落ちる」象形と「胴体の象形と立ち止まる足の象形と上から下へ向かう足の象形と口の象形」(人が歩き至る時の「みち」の意味だが、ここでは、「落」に通じ、「おちる」の意味から、落ちてきた雨を意味し、そこから、「つゆ(晴れた朝に草の上などに見られる水滴)」を意味する「露」という漢字が成り立ちました、
ともある(https://okjiten.jp/kanji340.html)。
参考文献;
大槻文彦『大言海』(冨山房)
ホームページ;http://ppnetwork.c.ooco.jp/index.htm
コトバの辞典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba.htm#%E7%9B%AE%E6%AC%A1
スキル事典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/skill.htm#%E3%82%B9%E3%82%AD%E3%83%AB%E4%BA%8B%E5%85%B8
書評;http://ppnetwork.c.ooco.jp/critic3.htm#%E6%9B%B8%E8%A9%95
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