2024年02月17日
籬
夕暮れの籬(まがき)は山と見えななむ夜は越えじと宿りとるべく(古今和歌集)、
の、
ななむ、
は、
完了の助動詞「ぬ」の未然形「な」とあつらえのぞむ意の助詞「なむ」、
籬(まがき)、
は、
柴などで編んだ粗末な垣根、
とある(高田祐彦訳注『新版古今和歌集』)。和名類聚抄(平安中期)に、
籬、末加岐、一云、末世、以柴作之
字鏡(平安後期頃)には、
稱、曼世、
とあり、
籬、
は、
ませ、
とも訓ませ、
ませがき(籬垣・閒狭垣)、
ともいい(広辞苑・大言海)、
竹・柴などを粗く編んでつくった垣、
で(仝上)、
ませごし(籬越・馬柵越)、
という言葉があり、
籬垣(ませがき)を越えて、品物を授受したりなどすること、
あるいは、
馬柵(ませ)を越えて物事をすること、
という意味のように、
低く目のあらい垣、
のようである(仝上)。
籬(まがき)、
は、近世になって、
柵、
とも当て、
名におふ嶋原や、籬(マガキ)のかいまみに首尾をたどらぬはなし(仮名草子・都風俗鑑)、
と、
新吉原のの入口の土間と張見世(みせ)の間を仕切る格子戸、またはその張見世、
の意で使われるに至る(岩波古語辞典・精選版日本国語大辞典)。
まがき(籬)の由来は、
閒垣の義、閒閒を隔つる意(大言海)、
間垣の義(名語記・言元梯・名言通・和訓栞・本朝辞源=宇田甘冥)、
マヘガキ(前垣)の略か(万葉代匠記・日本釈名・北辺随筆・和訓栞)、
メカキ(目垣)の略(名語記・日本語原学=林甕臣)、
馬垣の義(箋注和名抄)、
ませ(籬)の由来は、
「間塞」または「馬塞」の意という(広辞苑)、
マ(間)セ(塞)の意(岩波古語辞典)、
「間狭ませ」の意か(デジタル大辞泉)、
閒狭の義と云ふ、或は云ふ馬塞の義(大言海)、
馬塞の義(万葉考・言元梯・日本語源=賀茂百樹)
ムマサエまたムマサケ(馬礙)の反(名語記)、
とある。どれかとする決め手はない。
間、
ともとれるし、それが、
狭い、
とも、
塞ぐ、
ともとれるが、共通する、
馬塞、
にちょっと惹かれるが。
ちなみに、垣の種類について、籬の他に、
我が背子に恋ひすべながり安之可伎能(アシカキノ)ほかに歎(なげ)かふ我(あれ)しかなしも(万葉集)、
の、
葦垣(あしがき)は葦で編んだ垣、
しばつち、あみたれじとみ、めぐりはひがき、ながや一つ、さぶらひ(宇津保物語)、
の、
檜垣(ひがき)はヒノキの薄板を網代(あじろ)のように編んだものを木製の枠に張ったもの、
所どころの立蔀 (たてじとみ) 、すいがきなどやうのもの、乱りがはし(枕草子)、
の、
透垣(すいがき)は割竹を縦に編むように木製の枠に張ったもの、
行くへも遠き山陰の、ししがきの道の険 (さが) しきに(謡曲・紅葉狩)、
の、
鹿垣(ししがき)は枝つきの木を人字形に組んだ柴垣、
大君の 御子の志婆加岐(シバカキ) 八節結(やふじま)り 結(しま)り廻(もとほ)し 截(き)れむ志婆加岐(シバカキ) 焼けむ志婆加岐(シバカキ)(古事記)、
の、
柴垣(しばがき、古くは「しばかき」)は柴木を編んで作った垣根、
門柱に椿井民部(つはゐみんぶ)と筆太に張札して、菱垣(ヒシカキ)のかりなる風情(浮世草子・武道伝来記)、
の、
菱垣(ひしがき)は割り竹をひしがたに組んで結った垣、
下手に建仁寺垣・竹の素戸(歌舞伎・お染久松色読販)、
の、
建仁寺垣(けんにんじがき)は、京都の建仁寺で初めて用いたという形式で、四つ割り竹を皮を外にして平たく並べ、竹の押縁(おしぶち)を横にとりつけ縄で結んだ垣、
等々がある(世界大百科事典・広辞苑・精選版日本国語大辞典)。
「籬」(リ)は、
会意兼形声。「竹+音符離(リ 別々のものをくっつける)」、
とある。
参考文献;
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)
大槻文彦『大言海』(冨山房)
前田富祺編『日本語源大辞典』(小学館)
ホームページ;http://ppnetwork.c.ooco.jp/index.htm
コトバの辞典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba.htm#%E7%9B%AE%E6%AC%A1
スキル事典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/skill.htm#%E3%82%B9%E3%82%AD%E3%83%AB%E4%BA%8B%E5%85%B8
書評;http://ppnetwork.c.ooco.jp/critic3.htm#%E6%9B%B8%E8%A9%95
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