行矣


自當逢雨露(自ずから当(まさ)に雨露に遭うべし)
行矣愼風波(行(ゆ)けや 風波を慎め)(高適・送鄭侍御謫)

の、

行矣(コウイ)、

は、

旅立つ人におくる言葉。さようなら、お大事にという意味、

とある(前野直彬注解『唐詩選』)。

行矣(さきくませ)」で触れたように、

宜(よろ)しく爾(いまし)皇孫(すめみま)就(ゆ)きて治(し)らせ。行矣(さきくませ)(日本書紀)、

と、

さきくませ、

と訓ませ、

お幸せに、
とか、
お元気で、

という意味らしいが、

さきく(幸く)、

は、

「さき(幸)」に、「けだしく」などの「く」と同じ副詞語尾「く」の付いたもの、

で、

御船(みふね)は泊てむ恙(つつみ)無く佐伎久(サキク)いまして早帰りませ(万葉集)、
楽浪(ささなみ)の志賀の辛崎さきくあれど大宮人の船待ちかねつ(仝上)、

などと、

さいわいに、
平穏無事に、
変わりなく、
つつがなく、
繫栄して、

等々、

旅立つ人の無事を祈っていう例が多い(日本国語大辞典)。

さきくませ、

の、

ませ、

は、助動詞、

まし、

の未然形、

動詞・助動詞の未然形を承け。奈良時代は、

未然形ませ、
終止形まし、
連体形まし、

しかなかったが、平安時代に入って、

已然形ましか、

が発達し、未然形に転用され(岩波古語辞典)、

ませ(ましか)・〇・まし・まし・ましか・〇、

と活用する(精選版日本国語大辞典)、

用言・助動詞の未然形に付く。推量の助動詞、

で(仝上)、その由来は、

将(ム)より轉ず(大言海)、
助動詞「む」の形容詞的な派生(精選版日本国語大辞典)、
推量の「む」から転成(mu+asi→asi)した(岩波古語辞典)、

とあり、中世以降の擬古文や歌で、

「む」とほぼ同じ推量や意志を表わすのに用いる、

とある(仝上)。

む、

は、

行かむ、
落ちむ、
受けめ、

と、

動作を未来に云ふ助動詞、

とある。漢語の、

行矣(こうい)、

は、まさしく、

行(ゆ)け、
いざゆけ、

人を励ますことば(学研漢和大辞典)とある。

矣、

は、

漢文の助字、

で、

語の終る意、

を示し(字源)、

句の最後につけて断定・推量・詠嘆などを表し、

…である、
…だなあ、
…だろう、

という意味になるhttps://www.kanjipedia.jp/kanji/0000130100。たとえば、下について、

懿矣(よいかな)・蔚矣(うつたり)・鬱矣(うつたり)・往矣(ゆけや)・久矣(ひさしいかな)・休矣(よきかな)・行矣(ゆけや)・皇矣(おおいなり)・尚矣(ひさしいかな)・甚矣(はなはだし)・壮矣(さかんなり)・逖矣(はるかなり)・悲矣(かなしいかな)・勉矣(つとめよや)・耄矣(おいたり)・老矣(おいたり)、

等々という使い方になる(字通)。

語の中に置く助辞、

哉、

反問の辞、

乎、

と通ず(字源)とあるが、文末で用いる語気詞として類義になる、

也、
哉、
焉、
矣、

を比較して、

也、哉>焉>矣、

の順で、すっぱりと言い切った語気から、屈折した語気になり、

也、哉が「!」、

とすると、

矣、

は、

……(!)、

という感じとある(https://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q14139270194・加藤徹『漢文法ひとりまなび』)が、ニュアンスが、

行矣、

の、

ゆけ、

の語感からは、わかりにくい。

いざゆけ、

という語感は、断定というよりは、希望的な願望が入るからだろうか。

「矣」.gif


「矣」(イ)は、

象形。「ム+矢」と書くが、実は、「匕+矢」が正しく、人が後ろを向いてとまったさまをえがいたもの。疑の左側の部分と同じ。文末につく、「あい」という嘆声であり、断定や慨嘆の気持を表す。息が仕えてとまるの意を含む、

とあり(漢字源)、

断定や推定の語気を表わすことば、

で、

……するぞ、
……となるぞ、

の意(仝上)とする。別に、

象形文字。「𠤗」(「疑」の原字)の略体、

とするものhttps://ja.wiktionary.org/wiki/%E7%9F%A3

会意。厶(し)+矢。厶の初形は(し)で耜(すき)の初文。耜に矢を加えて清め祓う意。その声を矣・唉・欸、その動作を挨という。詩「小雅」十月之交に謀(ばい)・萊(らい)と韻している。「説文」五下に「語已(をは)るの詞なり」とし、以声の字とするが、もとは矢で厶(すき)を祓う儀礼で、その声をいう。語句を強く結ぶとき、その声を加えたのであろう、

とするもの(字通)がある。

疑、

の原字、

𠤗、
は、象形文字、

杖をついた人が道に惑うさまを象る。のち「子」を加えて「疑」の字体となる、

とあるhttps://ja.wiktionary.org/wiki/%E7%96%91

「𠤗」 甲骨文字・殷.png

(「𠤗」 甲骨文字・殷 https://ja.wiktionary.org/wiki/%E7%96%91より)

参考文献;
簡野道明『字源』(角川書店)
前野直彬注解『唐詩選』(岩波文庫)

ホームページ;http://ppnetwork.c.ooco.jp/index.htm
コトバの辞典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba.htm#%E7%9B%AE%E6%AC%A1
スキル事典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/skill.htm#%E3%82%B9%E3%82%AD%E3%83%AB%E4%BA%8B%E5%85%B8
書評;http://ppnetwork.c.ooco.jp/critic3.htm#%E6%9B%B8%E8%A9%95

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