2024年03月25日

歸與


客有歸與歎(客に帰らんかの歎き有り)
淒其霜露濃(淒(せい)として霜露(せいろ)濃(こま)やかなり)(李頎(りき)・望秦川)

の、

淒其、

は、

淒は、寒風の吹く形容、其は動詞・形容詞・副詞の後につく助字、「詩経」邶風・緑衣に、

淒其以風(淒として以って風ふく)、

とあるのにもとづく(前野直彬注解『唐詩選』)とある。

「淒」.gif


「淒」(漢音セイ、呉音サイ)は、

会意兼形声。妻(セイ・サイ)は、夫と肩をそろえるつまのこと。同じようにそろう意を含む。儕(セイ 同列の相手)・斉(齊 セイ ひとしく並ぶ)と同系のことば。淒は「水+音符妻」で、ひしひしと並んで迫る風雨、

とあり(漢字源)、「すさまじいさま」、「寒さがひしひしと迫る」意で、「凄」と同義だが、

淒淒(セイセイ)、
淒然(セイゼン)、

と使うときは、

風雨淒淒(詩経)、

と、

風や雨がそろってひそしひしと吹き迫るさま、

の意で使う(漢字源)。また、

霜露(そうろ)、

は、前漢の経書『禮記』祭儀に、

霜露既に降(くだ)る、君子これを履めば必ず悽愴の心有り、

とあるのにもとづき、

人の心をいたませるものとさせる、

とある(仝上)。

歸與(帰与 きよ)、

は、

歸ることを促すことば、

で(字源)、王粲の「登楼の賦」に、

昔尼父之在陳兮、有歸歟之歎音(昔、尼父(じほ 孔子)の陳に在るや、歸與の歎声有り)

とあるように、『論語』公冶長、

の、

子在陳曰、歸與歸與、吾黨之小子狂簡、斐然成章、不知所以裁之(子、陳に在(いま)して曰わく、帰らんか、帰らんか。吾が党の小子(しょうし)、狂簡(きょうかん)、斐然(ひぜん)として章を成す。これを裁する所以(ゆえん)を知らざるなり)

の、

歸與(帰らんか)、歸與(帰らんか)、

にもとづく(仝上) とある。

「與」.gif

(「與(与)」 https://kakijun.jp/page/yo13200.htmlより)


「與」 金文・戦国時代.png

(「與」 金文・戦国時代 https://ja.wiktionary.org/wiki/%E8%88%87より)

「與(与)」(ヨ)は、

会意兼形声。与は牙(ガ)の原字と同系で、かみあった姿を示す。與はさらに四本の手を添えて、二人が両手で一緒に物をもちあげているさまを示す。「二人の両手+音符与」で、かみあわす、力をあわせるなどの意を含む、

とある(漢字源)が、別に、

形声。「舁」+音符「牙 /*LA/」。「あたえる」を意味する漢語{與 /*laʔ/}を表す字、

とし、

『説文解字』では「舁」+「与」と分析がなされているが、「与」は「牙」の異体である。のちにこの部分のみを以って略字とした、

とするものhttps://ja.wiktionary.org/wiki/%E8%88%87があり、

会意形声。舁(よ)(もちあげる。與の与を除く部分はその変わった形)と、「欤(歟)」の字の左側(ヨ)(くみあう。片は変わった形)とから成る。力を合わせて仲間になる、ひいて、ともにする、転じて「あたえる」意を表す。借りて、助字に用いる。常用漢字は與の略字として用いられていたの変形による、

とするもの(角川新字源)、

会意兼形声文字です(牙+口+舁)。「かみ合う歯」の象形と「口」の象形と「持ち上げる手」の象形と「ひきあげる手」の象形から、手や口うらを合わせて互いに助け合う事を意味し、そこから、「くみする(仲間になる)」、「あたえる」を意味する「与」という漢字が成り立ちました、

とするものhttps://okjiten.jp/kanji1356.html)

等々微妙に異なる。

参考文献;
藤堂明保他編『漢字源』(学習研究社)
簡野道明『字源』(角川書店)
貝塚茂樹訳注『論語』(中公文庫)
前野直彬注解『唐詩選』(岩波文庫)

ホームページ;http://ppnetwork.c.ooco.jp/index.htm
コトバの辞典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba.htm#%E7%9B%AE%E6%AC%A1
スキル事典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/skill.htm#%E3%82%B9%E3%82%AD%E3%83%AB%E4%BA%8B%E5%85%B8
書評;http://ppnetwork.c.ooco.jp/critic3.htm#%E6%9B%B8%E8%A9%95

posted by Toshi at 04:06| Comment(0) | 言葉 | 更新情報をチェックする
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