2024年04月03日

仮名文学の濫觴


高田祐彦訳注『新版古今和歌集』を読む。

古今和歌集.jpg


漢詩から和歌へと立ち戻ろうとする、いわば脱唐風の流れと、仮名の誕生とによって、仮名による文学表現の嚆矢ともいうべきものとして位置づけられる。漢字を真名というのに対して、かなを仮名と当てた意図については、高橋睦郎『漢詩百首』で触れたが、それは、

日本人は中国から文字の読み書きを教わると同時に、花鳥風月を賞でることも学んだ。花に関してはとくに梅を愛することを学んだが、そのうち自前の花が欲しくなり桜を賞でるようになった、

と、唐風のものから、日本的な物へとシフトしていくその頂点のところに、

古今和歌集、

があると考えると、本歌集に、

真名序、

仮名序、

がある意味も見えてくる。仮名序の

花に鳴く鶯、水に住むかはづの声を聞けば、生きとし生けるもの、いづれか歌をよまざりける。力をも入れずして、天地を動かし、目に見えぬ鬼神をもあはれと思はせ、男女の仲をもやはらげ、たけき武士の心をもなぐさむるは歌なり、

という紀貫之の昂った言い方も、何か納得ができる気がする。本歌集は、基本、

万葉集に入らぬ古き歌、みづからのをも奉らしめたまひてなむ、それが中にも、梅をかざすよりはじめて、ほととぎすを聞き、紅葉を折り、雪を見るにいたるまで、また、鶴亀につけて君を思ひ、人をも祝ひ、秋萩夏草を見て妻を恋ひ、逢坂山に至りて手向けを祈り、あるは春夏秋冬にも入らぬくさぐさの歌をなむえらばせたまひける、

として、

すべて千歌、二十巻、名づけて古今和歌集といふ、

とするが、正確には、

二十巻、1100首、

このうち、四季が、

六巻、

恋が、

五巻、

その他、

賀、
哀傷歌、
雜歌、
物名、

等々となる。

1100首のうち、勝手読みで、約一割、111首を、自分の好みを選び出してみた。巧拙を判断するよりは、心に響いたものということになる。

雪のうちに春は来にけり鶯のこほれる涙今やとくらむ(よみ人知らず)
春立てば花とや見らむ白雪のかかれる枝に鶯の鳴く(素性法師)
心ざしふかくそめてしをりければ消えあへぬ雪の花と見ゆらむ(よみ人知らず)
霞立ち木(こ)の芽もはるの雪降れば花なき里も花ぞ散りける(紀貫之)
春来(き)ぬと人はいへども鶯の鳴かぬかぎりはあらじとぞ思ふ(壬生忠岑)
春の着る霞の衣ぬきをうすみ山風にこそ乱るべらなれ(在原行平)
人はいさ心もしらずふるさとは花ぞ昔の香ににほひける(紀貫之)
梅が香を袖にうつしてとどめてば春は過ぐとも形見ならまし(よみ人知らず)
世の中にたえて桜のなかりせば春の心はのどけからまし(在原業平)
見わたせば柳桜をこきまぜて都ぞ春の錦なりける(素性法師)
春霞たなびく山の桜花うつろはむとや色かはりゆく(よみ人知らず)
一目見し君もや来ると桜花けふは待ち見て散らば散らなむ(紀貫之)
ひさかたの光のどけき春の日に静心なく花の散るらむ(紀友則)
春の色のいたりいたらぬ里はあらじ咲ける咲かざる花の見ゆらむ(よみ人知らず)
春ごとに花のさかりはありなめどあひ見むことは命なりけり(仝上)
花の色はうつりにけりないたづらにわが身世にふるながめせしまに(小野小町)
濡れつつぞしひて折りつる年のうちに春はいくかもあらじと思へば(在原業平)
桜花散らば散らなむ散らずとてふるさと人の来ても見なくに(惟喬親王)
夏の夜のふすかとすればほととぎす鳴くひと声に明くるしののめ(紀貫之)
夏と秋とゆきかふ空のかよひぢはかたへ涼しき風や吹くらむ(凡河内躬恒)
秋来ぬと目にはさやかに見えねども風の音にぞおどろかれぬる(藤原敏行)
けふよりは今来む年のきのふをぞいつしかとのみ待ちわたるべき(壬生忠岑)
木の間よりもりくる月の影見れば心づくしの秋は来にけり(よみ人知らず)
月見ればちぢにものこそかなしけれわが身一つの秋にはあらねど(大江千里)
秋風に声をほにあげて来る舟は天(あま)の門(と)わたる雁にぞありける(藤原菅根)
憂きことを思ひつらねてかりがねの鳴きこそわたれ秋の夜な夜な(凡河内躬恒)
女郎花(をみなへし)秋の野風にうちなびき心一つを誰に寄すらむ(左大臣)
なに人か来てぬぎかけし藤袴来る秋ごとに野辺をにほはす(藤原敏行)
白露の色は一つをいかにして秋の木の葉をちぢにそむらむ(仝上)
紅葉せぬときはの山は吹く風の音にや秋をききわたるらむ(紀淑望)
月草に衣はすらむ朝露にぬれてののちはうつろひぬとも(よみ人知らず)
露ながら折りてかざさむ菊の花老いせぬ秋の久しかるべく(紀友則)
秋風にあへず散りぬるもみぢ葉のゆくへ定めぬわれぞかなしき(よみ人知らず)
吹く風の色のちくさに見えつるは秋の木の葉の散ればなりけり(仝上)
ちはやぶる神代もきかず竜田川韓紅に水くくるとは(在原業平)
竜田姫たむくる神のあればこそ秋の木の葉のぬさと散るらめ(兼覧王)
夕月夜(ゆうづくよ)をぐらの山に鳴く鹿の声のうちにや秋は暮るらむ(紀貫之)
大空の月の光しきよければ影見し水ぞまづこほりける(よみ人知らず)
雪降れば冬ごもりせる草も木も春に知られぬ花ぞ咲きける(紀貫之)
冬ながら空より花の散りくるは雲のあなたは春にやあるらむ(清原深養父)
花の色は雪にまじりて見えずとも香をだににほへ人の知るべく(小野篁)
きのふといひけふとくらしてあすか川流れて早き月日なりけり(春道列樹)
立ち別れいなばの山の峰に生(お)ふるまつとし聞かば今帰り來む(在原行平)
思へども身にしわけねば目に見えぬ心を君にたくへてぞやる(伊香子淳行)
白雲こなたかなたに立ちわかれ心をぬさとくだく旅かな(良岑秀崇)
別れてふことは色にもあらなくに心にしみてわびしかるらむ(紀貫之)
別れをば山の桜にまかせてむとめむとめじは花のまにまに(幽仙法師)
むすぶ手のしづくににごる山の井のあかでも人に別れぬるかな(紀貫之)
(手にむすぶ水にやどれる月影のあるかなきかのよにこそありけれ(拾遺集 紀貫之)
天の原ふりさけ見れば春日なる三笠の山に出でし月かも(安倍仲麿)
名にしおはばいざこととはむ都鳥わが思ふ人はありやなしやと(在原業平)
北へ行く雁ぞ鳴くなる連れて來(こ)し数は足らでぞ帰るべらなる(よみ人知らず)
このたびは幣(ぬさ)もとりあへず手向山紅葉の錦神のまにまに(菅原道真)
あしひきの山立ち離れ行く雲のやどりさだめぬ世にこそありけれ(小野滋蔭)
秋はきぬ今や籬(まがき)のきりぎりす夜な夜な鳴かむ風の寒さに(よみ人知らず)
散りぬればのちは芥(あくた)になる花を思ひ知らずもまどふてふかな(僧正遍照)
うばたまの夢になにかはなぐさまむうつつにだにもあかぬ心を(清原深養父)
花の色はただひとさかり濃けれども返す返すぞ露は染めける(高向利春)
あぢきなし嘆なつめそ憂きことにあひくる身をば捨てぬものから(兵衛)
花の中目にあくやとて分けゆけば心ぞともに散りぬべらなる(僧正聖宝)
遇ふことは雲居はるかになる神の音に聞きつつ恋ひわたるかな(紀貫之)
つれもなき人をやねたく白露のおくとは嘆き寝とはしのばむ(よみ人知らず)
わが恋はむなしき空にみちぬらし思ひやれどもゆく方もなし(仝上)
人知れず思へば苦し紅(くれなゐ)の末摘花の色にいでなむ(仝上)
秋の野の尾花にまじり咲く花の色にや恋ひむあふよしをなみ(仝上)
思ふにはしのぶることぞまけにける色には出でじと思ひしものを(仝上)
思ふとも恋ふともあはむものなれやゆふ手もたゆくとくる下紐(仝上)
人を思ふ心はわれにあらねばや身のまどふだに知られざるらむ(仝上)
篝火(かがりび)にあらぬわが身のなぞもかく涙の川に浮きて燃ゆらむ(仝上)
秋の田の穂の上をてらすいなづまの光のまにも我やわするる(仝上)
思ひつつ寝(ぬ)ればや人の見えつらむ夢と知りせばさめざらましを(小野小町)
うたたねに恋しき人を見てしより夢てふものはたのみそめてき(仝上)
おろかなる涙ぞ袖に玉はなす我はせきあへずたぎつ瀬なれば(仝上)
わが恋は深山がくれの草なれやしげさまされど知る人のなき(小野美材)
わりなくも寝てもさめても恋しきか心をいづちやらば忘れむ(よみ人知らず)
露ならぬ心を花に置きそめて風吹くごとにもの思ひぞつく(紀貫之)
命にもまさりて惜しくもあるものは見はてぬ夢のさむるなりけり(壬生忠岑)
わが恋はゆくへも知らずはてもなし遇ふを限りと思ふばかりぞ(凡河内躬恒)
起きもせず寝もせで夜を明かしては春のものとてながめくらしつ(在原業平)
よるべなみ身をこそ遠くへだてつれ心は君が影となりにき(よみ人知らず)
いたづらに行きては来ぬるものゆゑに見まくほしさにいざなはれつつ(仝上)
あはぬ夜の降る白雪とつもりなばわれさへともに消(け)ぬべきものを(仝上)
あふことのなぎさにし寄る波なればうらみてのみぞ立ち帰りける(在原元方)
しののめのほがらほがらと明けゆけばおのがきぬぎぬなるぞかなしき(よみ人知らず)
君や來(こ)し我や行きけむ思ほえず夢かうつつか寝てかさめてか(仝上)
むばたまの闇のうつつはさだかなる夢にいくらもまさらざりけり(仝上)
君てへば見まれ見ずまれ富士の嶺(ね)のめづらしげなく燃ゆるわが恋(藤原忠行)
かずかずに思ひ思はず問ひがたみ身を知る雨は降りぞまされる(在原業平)
須磨の海人(あま)の塩焼く煙風をいたみ思はぬ方にたなびきにけり(よみ人知らず)
いつはりのなき世なりせばいかばかり人の言の葉うれしからまし(仝上)
陸奥(みちのく)のしのぶもぢずり誰ゆゑに乱れむと思ふわれならなくに(河原左大臣)
千々の色にうつろふらめど知らなくに心し秋のもみぢならねば(よみ人知らず)
色もなき心を人に染めしよりうつろはむとは思ほえなくに(紀貫之)
月やあらぬ春や昔の春ならぬわが身ひとつはもとの身にして(在原業平)
今はとてわが身時雨に降りぬれば言の葉さへにうつろひにけり(小野小町)
われのみや世を鶯となきわびむ人の心の花と散りなば(よみ人知らず)
うきながら消(け)ぬる泡ともなりななむながれてとだにたのまれぬ身は(紀友則)
流れては妹背の山の中に落つる吉野の川のよしや世の中(よみ人知らず)
寝ても見ゆ寝でも見えけりおほかたはうつせみの世ぞ夢にはありける(紀友則)
なき人の宿にかよはばほととぎすかけて音にのみなくと告げなむ(よみ人知らず)
ついにゆく道とはかねて聞きしかど昨日今日とは思はざりしを(在原業平)
天つ津風雲の通ひ路吹きとぢよをとめの姿しばしとどめむ(良岑宗貞)
今こそあれわれも昔は男山さかゆく時もありこしものを(よみ人知らず)
白雪の八重降りしけるかへる山かへるがへるも老いにけるかな(在原棟簗)
かくしつつ世をやつくさむ高砂の尾上に立てる松ならなくに(よみ人知らず)
都までひびきかよへるからこと(唐琴)は波の緒すげて風ぞひきける(真静法師)
わびぬれば身をうき草の根を絶えてさそう水あらば去(い)なんとぞ思ふ(小野小町)
あはれてふことこそうたて世の中を思ひ離れぬほだしなりけれ(よみ人知らず)
世の中は夢かうつつかうつつとも夢とも知らずありてなければ(仝上)
秋霧の晴れて曇れば女郎花花の姿ぞ見え隠れする(よみ人知らず)
人にあはむつきのなきには思ひおきて胸走り火に心焼けをり(小野小町)
心こそ心をはかる心なれ心のあたはこころなりけり(よみ人知らず)

古今和歌集の特徴は、

事物にせよ、心にせよ、それをそのまま見つめるのではなく、変化や因果関係から捉えるところに古今和歌集の真骨頂がある(編者)、

とする。ある意味で、仮名という自分たちの文字という、表現手段を得て、それを自在に使いまわしている、という感がある。

確かに、技巧的で、作為的な歌が目立つが、ある意味、それは、喩や見立て、掛詞、助詞、枕詞を駆使した、文学的な表現の工夫と見るべきだろう。言葉をこのように巧みに操っていると見れば、それなりの自立した、現実とは次元を異にした表現空間を描き出す、表現のレベルと見ることが出来る。

たとえば、

都までひびきかよへるからこと(唐琴)は波の緒すげて風ぞひきける(真静法師)
こきちらす滝の白玉拾いおきて世の憂きのときの涙にぞかる(在原行平)

というように、

からことという地名を唐琴と見立て、その琴に波が弦として張られ、風が引き鳴らす、

とか、

滝の飛沫を白玉に見立て、木や枝に見立てた滝からしごき落とされて、散らばる、

とかと、現実を映すのではなく、幻想の世界を、二重写しに描き出している。子規の、

柿くへば鐘が鳴るなり法隆寺

と比較してみれば、表現の奥行きは圧倒的に古今和歌集がまさる。子規の句の是非云々というよりは、古今和歌集の表現手法をいっている。その折り重なった、あるいは折り畳んだイメージの重なりの奥行きは、技巧的であろうとなかろうと、歌の(意味ではなく、表現空間の)深みを、間違いなく表出していることは確かである。

落ちたぎつ滝の水上年つもり老いにけらしな黒き筋なし(忠岑)、

のような、明らかな失敗の仮託もあるにしても、

表現の世界、

の自立を目指したという意図ははっきりしている。つまり、

何を表現するか、

ではなく、

どう表現するか、

の工夫である。だから、

見立て(アナロジー)

喩、

掛詞、

縁語、

を駆使して、一つの言葉に幾つもの意味やイメージを折り畳んでいる。

心あてに折らばや折らむ初霜のおきまどはせる白菊の花(凡河内躬恒)、

を、子規は、

一文半文のねうちも無之駄歌、

と酷評し(「歌よみに与ふる書」)、

嘘の趣向、
初霜が置いた位で白菊が見えなくなる気遣無之候、

とまで言った。虚実皮膜の説で言うなら、

実寄りでなくてはいけない、

と言っているだけだ。

虚に寄れば、どこまでも遠くへ行っていい。

柿食へば鐘が鳴るなり法隆寺、

は、悪く言えば、実在の、

法隆寺、

を知らなければ、その意味は過半は消えるだろう。

表現の世界の自立、

ということをいうなら、

現実世界を媒介にしながら、唐詩の世界から離脱し、和風の文学表現を工夫した、

ことばによってそれを突き抜けた次元に、もう一つの世界を現出させた(編者)、

という実験の数々ということが出来るのではないか。この文学表現の工夫が、この後の、

日記、物語の仮名散文へとつながる(編者)、

という指摘は重要である。

古今和歌集仮名序.jpg


正岡子規(高浜虚子編)『子規句集』については触れた。

参考文献;
高田祐彦訳注『新版古今和歌集』(角川ソフィア文庫Kindle版)

ホームページ;http://ppnetwork.c.ooco.jp/index.htm
コトバの辞典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba.htm#%E7%9B%AE%E6%AC%A1
スキル事典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/skill.htm#%E3%82%B9%E3%82%AD%E3%83%AB%E4%BA%8B%E5%85%B8
書評;http://ppnetwork.c.ooco.jp/critic3.htm#%E6%9B%B8%E8%A9%95

posted by Toshi at 03:44| Comment(0) | 書評 | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
コメントを書く
コチラをクリックしてください