已矣哉(已んぬるかな)
帰去来(かえりなん)(駱賓王・帝京篇)
の、
帰去来、
については、蔡國強展「帰去来」に触れた「帰去来」で取り上げたことがある。
帰去来、
は、陶淵明の、
歸去來兮(かえりなんいざ)
田園 将(まさ)に蕪(あ)れなんとす胡(なん)ぞ帰らざる
既に自ら心を以て形の役と爲(な)す
奚(なん)ぞ惆悵(ちゅうちょう)として獨(ひと)り悲しむ
とはじまる、
帰去来辞、
の、
帰去来兮、田園将蕪、胡不帰、
による語。
「去」「来」、
は助辞。
かえりなんいざ、
と訓じ、
さあ帰ろう、
と自らを促す意である。
官職を辞し、郷里に帰るためにその地を去ること。また、それを望む心境、
を意味する(精選版日本国語大辞典)。
きこらい、
とも訓ませる。
詩「帰去来辞」は、四段に分れ、それぞれ異なる脚韻をふむ、
とある。
歸去來辭(陶潜)
は、次のようである(https://kanbun.info/syubu/kikyorainoji.html)。
歸去來兮(帰りなんいざ)
田園將蕪胡不歸(田園将(まさ)に蕪(あ)れなんとす胡(なん)ぞ帰らざる)
既自以心爲形役(既に自ら心を以て形の役と爲(な)す)
奚惆悵而獨悲(奚(なん)ぞ惆悵(ちゅうちょう)として獨(ひと)り悲しむ)
悟已往之不諫(已往(いおう)の諫(いさ)むまじきを悟り)
知來者之可追(来者(らいしゃ)の追ふ可(べ)きを知る)
實迷途其未遠(実に途(みち)に迷ふこと其(そ)れ未だ遠からず)
覺今是而昨非(今の是にして昨の非なるを覚りぬ)
舟遙遙以輕颺(舟は遙遙として以て輕(かろ)く颺(あ)がり)
風飄飄而吹衣(風は飄飄として衣を吹く)
問征夫以前路(征夫(せいふ)に問ふに前路を以てし)
恨晨光之熹微(晨光(しんこう)の熹微(きび)なるを恨む)
乃瞻衡宇(乃(すなわち)衡宇(こうう)を瞻(み)て)
載欣載奔(載(すなわ)ち欣(よろこ)び載(すなわ)ち奔(はし)る)
僮僕歡迎(僮僕(どうぼく)歓(よろこ)び迎(むか)え)
稚子候門(稚子(ちし)門(もん)に候(ま)つ)
三逕就荒(三径(さんけい)荒(こう)に就(つ)くも)
松菊猶存(松菊(しょうきく)猶お存(そん)す)
攜幼入室(幼(よう)を携(たずさ)えて室(しつ)に入(い)れば)
有酒盈罇(酒有(あ)りて罇(たる)に盈(み)つ)
引壺觴以自酌(壺觴(こしょう)を引(ひ)きて以(もっ)て自(みずか)ら酌(く)み)
眄庭柯以怡顏(庭柯(ていか)を眄(み)て以(もっ)て顔を怡(よろこ)ばす)
倚南窗以寄傲(南窓(なんそう)に倚(よ)りて以(もっ)て寄傲(きごう)し)
審容膝之易安(膝を容(い)るるの安(やすん)じ易(やす)きを審(つまび)らかにす)
園日渉以成趣(園(えん)は日に渉(わた)りて以(もっ)て趣(おもむき)を成し)
門雖設而常關(門(もん)は設(もう)くと雖(いえど)も常に関(とざ)せり)
策扶老以流憩(策(つえ)もて老(おい)を扶(たす)けて以(もっ)て流憩(りゅうけい)し)
時矯首而游觀(時に首(こうべ)を矯(あ)げて遐觀(かかん)す)
雲無心以出岫(雲は無心にして以(もっ)て岫(しゅう)を出(い)で)
鳥倦飛而知還(鳥は飛ぶに倦(う)みて還(かえ)るを知る)
景翳翳以將入(景(ひかり)は翳翳(えいえい)として以(もっ)て将に入(い)らんとし)
撫孤松而盤桓(孤松(こしょう)を撫(ぶ)して盤桓(ばんかん)す)
歸去來兮(帰りなんいざ)
請息交以絶遊(請(こ)う交(まじわ)りを息(や)めて以(もっ)て游(ゆう)を絶(た)たん)
世與我以相遺(世と我と相(あい)遺(わ)するに)
復駕言兮焉求(復(また)駕(が)して言(ここ)に焉(なに)をか求もとめん)
悅親戚之情話(親戚の情話(じょうわ)を悦(よろこ)び)
樂琴書以消憂(琴書(きんしょ)を楽しみて以(もっ)て憂(うれ)いを消さん)
農人告余以春及(農人(のうじん)余(われ)に告ぐるに春の及べるを以(もっ)てし)
將有事於西疇(将(まさ)に西疇(せいちゅう)に事(こと)有らんとす)
或命巾車(或は巾車(きんしゃ)を命じ)
或棹孤舟(或は孤舟(こしゅう)に棹(さお)さす)
既窈窕以尋壑(既に窈窕(ようちょう)として以(もっ)て壑(たに)を尋(たず)ね)
亦崎嶇而經丘(亦崎嶇(きく)として丘を経(ふ))
木欣欣以向榮(木は欣欣(きんきん)として以(もっ)て栄(えい)に向(むか)い)
泉涓涓而始流(泉は涓涓(けんけん)として始めて流る)
羨萬物之得時(万物の時を得たるを善(よみ)し)
感吾生之行休(吾が生の行々(ゆくゆく)休(きゅう)するを感ず)
已矣乎(已(やん)ぬるかな)
寓形宇内復幾時(形を宇内(うだい)に寓(ぐう)すること復(また)幾時(いくとき)ぞ)
曷不委心任去留(曷(なん)ぞ心に委(ゆだ)ねて去留(きょりゅう)を任(まか)せざる)
胡爲遑遑欲何之(胡為(なんす)れぞ遑遑(こうこう)として何(いず)くにか之(ゆ)かんと欲(ほっ)する)
富貴非吾願(富貴(ふうき)は吾(わが)願(ねが)いに非(あら)ず)
帝鄕不可期(帝郷(ていきょう)は期す可(べ)からず)
懷良辰以孤往(良辰(りょうしん)を懐(おも)いて以(もっ)て孤(ひと)り往(ゆ)き)
或植杖而耘耔(或は杖(つえ)を植(た)てて耘耔(うんし)す)
登東皋以舒嘯(東皋(とうこう)に登りて以(もっ)て舒嘯(じょしょう)し)
臨淸流而賦詩(清流(せいりゅう)に臨みて詩を賦(ふ)す)
聊乘化以歸盡(聊(いささ)か化(か)に乗(じょう)じて以(もっ)て尽(つ)くるに帰し)
樂夫天命復奚疑(夫(か)の天命を楽しみて復(また)奚(なん)ぞ疑わん)
(陶淵明(『晩笑堂竹荘畫傳』より。絃のない琴を抱えるのは、昭明太子蕭統の「陶淵明伝」に記された故事による) https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%99%B6%E6%B7%B5%E6%98%8Eより)
第1段は、官吏生活をやめ田園に帰る心境を精神の解放として述べ、
第2段は、なつかしい故郷の家に帰り着き、わが子に迎えられた喜び、
第3段は、世俗への絶縁宣言をこめた田園生活の楽しさ、
第4段は、自然の摂理のままに終りの日まで生の道を歩もうという気持、
をうたいあげている(ブリタニカ国際大百科事典)。陶淵明の代表作であると同時に、六朝散文文学の最高傑作の一つとされる(仝上)。
陶淵明(とう えんめい 興寧3年(365)~元嘉4年(427))、
は、中国の魏晋南北朝時代(六朝期)、東晋末から南朝宋の文学者。字は、
元亮、
または、名は、
潜、
字が、
淵明、
死後友人からの諡にちなみ、
靖節先生、
または自伝的作品「五柳先生伝」から、
五柳先生、
とも呼ばれる(https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%99%B6%E6%B7%B5%E6%98%8E)。
無弦の琴を携え、酔えば、その琴を愛撫して心の中で演奏を楽しんだ、
という逸話がある。この「無弦の琴」は、『菜根譚』にも記述があり、
存在するものを知るだけで、手段にとらわれているようでは、学問学術の真髄に触れることはできない、
と記し、無弦の琴とは、
中国文化における一種の極致といった意味合いが含まれている、
とある(https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%99%B6%E6%B7%B5%E6%98%8E)。
参考文献;
前野直彬注解『唐詩選』(岩波文庫)
Web漢文大系(https://kanbun.info/syubu/kikyorainoji.html)
漢詩の朗読(https://kanbun.info/syubu/kikyorainoji.html)
ホームページ;http://ppnetwork.c.ooco.jp/index.htm
コトバの辞典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba.htm#%E7%9B%AE%E6%AC%A1
スキル事典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/skill.htm#%E3%82%B9%E3%82%AD%E3%83%AB%E4%BA%8B%E5%85%B8
書評;http://ppnetwork.c.ooco.jp/critic3.htm#%E6%9B%B8%E8%A9%95