俊秀公置斗景計晷。及申刻則先鳴鐘集大衆(室町中期「蔭凉軒日録 (いんりょうけんにちろく)」)
の、
晷(キ)、
は、
日の影、
日の光、
の意味で、
柱の影によって時間をはかる日時計、
の意味があり、
晷刻(きこく)、
は、
時刻、
の意である(字源)。
斗景、
は、今日、
時計、
と当てるが、ここでは、
日時計、
の意味のようである。
時計、
という字を当てたのは、初見は、貞享三年(1686)の、
時計師、
であり(京羽二重)、続いて元禄三年(1690)の「人倫訓蒙図彙」「江戸惣鹿子名所大全」に見える(橋本万平『日本の時刻制度』)とある。ヨーロッパで、一四世紀に機械時計が製作され、それがキリスト教宣教師によって日本にもたらされたのは、天文二〇年(1551)にフランシスコ=ザビエルが大内義隆に献上したのが最初と言われている(精選版日本国語大辞典)。
とけい、
に多く当てるのは、
土圭、
で、中世、
日時計、
の意味で用いた(広辞苑)とある。
土圭(どけい)、
は、
周代の緯度測定器(広辞苑)、
周代に用いられた、立てた棒の影の長さを測る粘土製の緯度測定器(大辞林)、
方角や日影を測るための磁針を指す昔の中国の表現(大辞泉)
土地の方向・寒暑・風雨の多少あるいは時間などを、その日影によって測定する器具(精選版日本国語大辞典)、
古へ、支那にて、方角、日晷を測る磁針を、土圭と云ふ(大言海)、
等々とあるが、「周礼」地官・大司徒に、
土圭の灋(はふ 法)を以て、土深を測り、日景を正し、以て地の中を求む。日南するときは則ち景短く、暑多し、
とあり(字通)、
土圭測景(張衡・東京賦)、
とあるので、
日影を観測する器、
つまりは、
日時計、
のようである。江戸中期の『和漢三才図絵』にも、土圭は、
晷(日影)によって時刻を知るもの也、
とある(橋本・前掲書)。ただ、
土圭と呼ばれた八尺の長さの棒を立て、その影の正午における長さによって一年の長さを知る日晷が用いられていたが、これが日時計の役をしたというはっきりした記録は残っていない、
とある(仝上)ので、むしろ、土地に垂直に立てた棒で、
冬至点、
を知り、その影の長さによって冬至の日やあるいは一年の長さを知るために使用された、
という(仝上)、
周代の緯度測定器(広辞苑)、
というのが正確かもしれない。勿論それによって、時刻を知ることも可能ではあるが。
土圭、
には、
土景、
土計、
の字があてられることもあるが、中国では、時打ち時計である機械時計には、「土圭」ではなく、
自鳴鐘、
が使用され、日本でも江戸時代に「自鳴鐘」が使われたが、和語の「ときはかり」(日葡辞書)の漢字表記と思われる「時計」が広く用いられていた。ただ「時計」が字音的表記でないため、
時器、
時辰儀、
時辰表、
が使用され、
とけい、
と訓ませた(仝上、日本語源大辞典、橋本万平・前掲書)とある。なお機械時計は、
土圭、
とは表記しない。その表記はあくまで「時計」である。ザビエルがもたらしたによって機械式で鐘を鳴らす時計、いわゆる、
時打ち時計、
も、
土圭、
という表記は使われなかった(https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%9C%9F%E5%9C%AD)。それらは別物だから、「時器」「時辰儀」「時辰表」などが使用された(仝上)とあり、
土圭、
と
時計、
は別物だと考えたほうがよい(仝上)とある。
(「土」 甲骨文字・殷 https://ja.wiktionary.org/wiki/%E5%9C%9Fより)
「土」(慣用ド、漢音ト、呉音ツ)は、
象形文字。土を盛った姿を描いたもの、古代人は土に万物を生み出す充実した力があると認めて土をまつった。このことから、土は充実したの意を含む。また土の字は、社の原字であり、やがて土地の神や氏神の意となる。各地の代表的な樹木を形代(かたしろ)として土盛りにかえた、
とあり(漢字源)、別に、
象形文字です。「土の神を祭る為に柱状に固めた土」の象形から「つち」を意味する「土」という漢字が成り立ちました。古来から日本人は、土に神が宿っていると信じ、信仰の(崇める)対象としてきました。現在でも「家」を建てる前には、その土地の神(氏神)を鎮め、土地を利用させてもらうことの許しを得る為に地鎮祭が行われています、
ともある(https://okjiten.jp/kanji80.html)。ただ、
土、
の異字体に、
𡈽、
があるが、これは、
指示文字。土と士を区別する為に、一点加えた、
とあり(https://ja.wiktionary.org/wiki/%F0%A1%88%BD)、
象形。土地の神を祭るために設けたつち盛りの形にかたどり、つちの神、ひいて「つち」の意を表す。「社(シヤ)(社)」の原字。俗字は、漢代の石碑で、「士」との混同を避けるために点を付けたもの、
とある(角川新字源)。
(「圭」 金文・西周 https://ja.wiktionary.org/wiki/%E5%9C%ADより)
「圭」(漢音ケイ、呉音ケ)は、
会意文字。圭は「土+土」で、土を盛ることを示す。土地を授ける時、その土地の土を三角の形に盛り、その上にたって神に領有を告げた。その形をかたちどったのが圭という玉器で、土地領有のしるしとなり、転じて、諸侯や貴族の手に持つ礼器となった。その形は、また、日影をはかる土圭(どけい 日時計の柱)の形ともなった、
とある(漢字源)が、
楷書の形に基づいて「土」×2と解釈する説があるが、誤った分析である。甲骨文字の形や金文の形を見ればわかるように、「土」とは関係がない。楷書では「封」の偏と同じ形だが、字形変化の結果同じ形に収束したに過ぎず、起源は異なる、
とし、
会意。戈の刃、およびそれをモデルとした玉を象る。古代の玉の一種を指す漢語{珪 /*kwee/}を表す字、
とする(https://ja.wiktionary.org/wiki/%E5%9C%AD)。他に、
象形。⌂形の瑞玉(ずいぎよく)の形にかたどる(角川新字源)、
象形文字です。「縦横の線を重ねた幾何学的な製図」の象形から「上が円錐形、下が方形の玉(古代の諸侯が身分の証として天子から受けた玉)」を意味する「圭」という漢字が成り立ちました、
と(https://okjiten.jp/kanji2248.html)、象形文字とする説もある。
参考文献;
橋本万平『日本の時刻制度』(塙書房)
大槻文彦『大言海』(冨山房)
ホームページ;http://ppnetwork.c.ooco.jp/index.htm
コトバの辞典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba.htm#%E7%9B%AE%E6%AC%A1
スキル事典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/skill.htm#%E3%82%B9%E3%82%AD%E3%83%AB%E4%BA%8B%E5%85%B8
書評;http://ppnetwork.c.ooco.jp/critic3.htm#%E6%9B%B8%E8%A9%95