恋ひ死なばたが名はたたじ世の中の常なきものと言ひはなすとも(古今和歌集)、
の、
言ひはなす、
の、
は、
は、係助詞、
言ひなす、
で、
事実と違うことを強く主張する意、
とあり、
恋死にではなく、無常の世だから亡くなるのもやむをえない、と、恋の相手が言うこと、
と注釈する(高田祐彦訳注『新版古今和歌集』)。格助詞の、
は、
は、普通、
提題の助詞、
とされ、
その承ける語を話題として提示し、また、話の場を設定してそれについての解答・解決・説明を求める役割をする、
ので、
大和は国のまほろば、
というように、主格に使われることが多い(岩波古語辞典)が、その役の延長で、
わぎもこに恋ひつつあらずは秋萩の咲て散りぬる花にあらましを(万葉集)、
と、
前の語の表す内容を強調する、
という機能があり(広辞苑)、
言ひなす、
と同義で、
~のように言う、
言いつくろう、
という意(http://www.milord-club.com/Kokin/uta0603.htm)とある。しかし、別に、個人的には、
言ひはな(放)す、
と解釈して、
言い放つ、
と同義の、
思ったことを遠慮なく言う、
人に憚らず言う、
意と取れなくもない気がする。さて、
言ひなす、
は、
言い做す
言ひ成す、
言ひ為す、
等々と当て、
ナス、
は、
意識的・技巧的に用いてする意(岩波古語辞典)、
意識的にする意(広辞苑)、
「なす」は強いてそのようにするの意(精選版日本国語大辞典)、
と、
作為、
の意があり、
あまの戸をあけぬあけぬといひなしてそら鳴きしつる鳥の声かな(後撰和歌集)、
と、
事実とは違うことを言いこしらえる、
意や、
いさや、うたてきこゆるよなれば、人もやうたていひなさんとてぞや(宇津保物語)、
と、
言いつくろう、
意など、冒頭の歌のように、
そうでないことを、事実らしく言う、
意で使うほか、
殿上人などの来るをも、やすからずぞ人々はいひなすなる(枕草子)、
と、
何でもないことをことさらに言う、
言い立てる、
意で使う(岩波古語辞典・精選版日本国語大辞典)。
なす、
は、
生す、
為す、
成す、
做(作)す、
就す、
等々と当てる(広辞苑・大言海・岩波古語辞典)が、
做す、
作す、
為す、
は、
為(す)るの他動詞、
成す、
就す、
は、
成るの他動詞、
生す、
は、
生(な)るの他動詞、
と、由来を異にするとある(大言海)。しかし、漢字をあてはめなければ、みな、
なす、
で、この始まりは、
皇(おほきみ)は神にしませば真木の立つ荒山中に海をな(生)すかも(万葉集)、
と、
なす(生・成)、
の、
作り出す、
意や、
おのがなさぬ子なれば心にも従はずなむある(竹取物語)、
と、
産む、
意など(岩波古語辞典)、
以前には存在しなかったものを、積極的に働きかけによって存在させる、
意(仝上)であったのではあるまいか、それが意味をスライドさらせ、
なす(成)、
は、
大君は神にし坐(ま)せば水鳥のすだく水沼(みぬま)を都となしつ(万葉集)、
と、
(別個のものに)変化させる、
意や、
鳥が音の聞こゆる海に高山を隔てになして沖つ藻を枕になし(万葉集)、
と、
(他のものに)代えて用いる、
意など、
既に存在するものに働きかけ、別なものに変化させる、
意で使う。この先に、
成すの義、
の(大言海)、
済(な)す、
の、
誠に世話にも申す如く、借る時の地蔵顔、なす時の閻魔顔とは、能う申したもので御座る(狂言「八句連歌」)、
と、
借金などを返済し終わる、
意までつながる(岩波古語辞典・大言海)。
いずれも、
意識的、
意志的、
な働きかけを意味する。その意味では、動詞に、そうした意志的・意識的なことであることを強調する意で、動詞に「なす」をつける使い方は、結構ある。たとえば、
見做す、
は、
雪を花と見なす、
と、
仮にそうと見る、
意、
返事がなければ欠席と見なす、
と、
判断してそうと決める、
意で使うし、
着做す、
黄の小袿(こうちぎ)、…なまめかしく着なし給ひて(夜の寝覚)、
と、
(上に修飾語を伴って)その状態に着る、
意で使うし、
聞き做す、
は、
年ごろそひ給ひにける御耳のききなしにや(源氏物語)、
と、
それとして聞きとる、
意で使うし、
思い做(成)す、
は、
身をえうなきものに思なして(伊勢物語)、
と、
意識的に、また、自分から進んで、そのように思う、
あえて思う、
思い込む、
意で使うし、
しなす(為成・為做)、
は、
おはしますべき所を、ありがたく面白うしなし(宇津保物語)、
と、
ある状態にする、
つくりなす、
意で使うし、
わびなす(侘為・詫為)、
は、
穂蓼生ふ蔵を住ゐに侘なして(俳諧・春の日)、
と、
閑居を楽しむ、
意で使う(岩波古語辞典・デジタル大辞泉・精選版日本国語大辞典)。
(「作」 甲骨文字・殷 https://ja.wiktionary.org/wiki/%E4%BD%9Cより)
「做(作)」(サク・サ)は、
会意兼形声。乍(サク)は、刀で素材に切れ目を入れるさまを描いた象形文字。急激な動作であることから、たちまちの意の副詞に専用するようになったため、作の字で人為を加える、動作をする意をあらわすようになった。作は「人+音符乍(サ)」、
とある(漢字源)。正字が「作」、「做」は異字体である(字通・https://ja.wiktionary.org/wiki/%E5%81%9A)。
会意形声。人と、乍(サク、サ つくる)とから成り、「つくる」意を表す。「乍」の後にできた字、
とも(角川新字源)、
会意兼形声文字です(人+乍)。「横から見た人の象形」と「木の小枝を刃物で取り除く象形」から人が「つくる」を意味する「作」という漢字が成り立ちました、
とも(https://okjiten.jp/kanji365.html)あるが、
形声、正字は作で、乍(さ)声、做はその俗字。近世語にこの字を用いることが多い。明の〔字彙〕に至ってこの字を録している、
とし(字通)、
形声。「人」+音符「乍 /*TSAK/」。「なす」「つくる」を意味する漢語{作 /*tsaaks/}を表す字、
とし(https://ja.wiktionary.org/wiki/%E4%BD%9C)、いずれも、形声文字としている。。
(「成」 甲骨文字・殷 https://ja.wiktionary.org/wiki/%E6%88%90より)
(「成」 金文・西周 https://ja.wiktionary.org/wiki/%E6%88%90より)
(「成」 楚系簡帛文字(簡帛は竹簡・木簡・帛書全てを指す)・戦国時代 https://ja.wiktionary.org/wiki/%E6%88%90より)
「成」(漢音セイ、呉音ジョウ)は、
会意兼形声。丁は、打ってまとめ固める意を含み、打の原字。成は「戈(ほこ)+音符丁」で、まとめあげる意を含む、
とある(漢字源)。また、同趣旨で、
会意兼形声文字です(戉+丁)。「釘を頭から見た」象形と「大きな斧」の象形から、大きな斧(まさかり)で敵を平定するを意味し、それが転じて(派生して・新しい意味が分かれ出て)、ある事柄が「なる・できあがる」を意味する「成」という漢字が成り立ちました、
ともある(https://okjiten.jp/kanji628.html)のは、この元になっている、中国最古の字書『説文解字』(後漢・許慎)が、
「戊」+音符「丁」、
と分析しているためだが、これは、
誤った分析、
とし(https://ja.wiktionary.org/wiki/%E6%88%90)、
金文を見ればわかるように「戌」+「丨(または十)」と分析すべき文字である。甲骨文字には「戌」+「丁」と分析できる字があるものの読み方には論争があり、字形上はこの字と西周以降の「成」に連続性はない、
としており(仝上)、また、同趣旨で、
形声。意符戉(えつ まさかり。戊は変わった形)と、音符丁(テイ)→(セイ)とから成る。武器で戦うことから、ひいて、なしとげる意を表す、
としている(角川新字源)。
参考文献;
高田祐彦訳注『新版古今和歌集』(角川ソフィア文庫Kindle版)
大槻文彦『大言海』(冨山房)
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)
ホームページ;http://ppnetwork.c.ooco.jp/index.htm
コトバの辞典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba.htm#%E7%9B%AE%E6%AC%A1
スキル事典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/skill.htm#%E3%82%B9%E3%82%AD%E3%83%AB%E4%BA%8B%E5%85%B8
書評;http://ppnetwork.c.ooco.jp/critic3.htm#%E6%9B%B8%E8%A9%95