2024年06月16日
羨魚情
坐観垂釣者(坐(そぞ)ろ釣りを垂るる者を観ては)
徒有羨魚情(徒らに魚を羨むの情有り)(孟浩然・臨洞庭上張丞相)
の、
羨魚情(せんぎょのじょう)、
は、
魚を欲しがる気持ち、
とある(前野直彬注解『唐詩選』)。
「漢書」董仲舒(とうちゅうじょ)伝に、
淵に臨んで魚を羨むば、退いて網を結ぶに如かず、
とあるのに拠る。
希望ばかりしているよりは、その希望がかなえられるように、自分で行動すべきだという教え、
とある(仝上)。淮南王劉安(紀元前179~122年)が編纂させた思想書『淮南子(えなんじ)』に、
臨河而羨魚(河に臨んで魚を羨む)、
とあるが、前漢・武帝の時代なので、80年ころ成立の『漢書(かんじょ)』(前漢書)より、こちらのが古いようだ。
羨魚情、
は、
臨淵羨魚(りんえんせんぎょ)、
と、四字熟語となっており、上記漢書の、
臨淵而羨魚、不如退而結網(淵に臨んで魚を羨む、退いて網を結ふに如かず)
にもとづき、
池のそばに立ってのぞきこんでいるだけでは、魚は手に入らないので、家に帰って網を作れ、
という意から(学研四字熟語辞典)、
願望を達成するには有効な手段を考えるべきだ、
という意とある(仝上)。
臨河而羨魚、
も、
臨河羨魚、
となる。他に、
臨淵之羨(りんえんのせん)、
羨魚結網(せんぎょけつもう)、
臨淵之羨(りんえんのせん)、
臨河羨魚(りんがせんぎょ)、
という四字熟語になっている。
「臨」(リン)は、「莅む」で触れたように、
会意。臣は、下に伏せてうつむいた目を描いた象形文字。臨は「臣(ふせ目)+人+いろいろな品」で、人が高いところから下方の物を見下ろすことを示す、
とある(漢字源)。別に、
形声。意符臥(ふせる)と、音符品(ヒム)→(リム)とから成る。物をよく見定める意を表す。転じて「のぞむ」意に用いる、
とも(角川新字源)、
会意文字です(臥+品)。「しっかり見開いた目」の象形と「のぞきこむ人」の象形と「とりどりの個性を持つ品」の象形から、とりどりの個性を持つ品をのぞき込む事を意味し、そこから、「のぞむ」、「みおろす」を意味する「臨」という漢字が成り立ちました、
ともある(https://okjiten.jp/kanji1072.html)。
「羨」(①漢音セン・呉音ゼン、②漢音呉音エン・慣用セン)は、
会意文字。「羊+よだれ」で、いいものをみてよだれを長く垂らすこと。羊はうまいもの、よいものをあらわす、
とあり(漢字源)、「臨河而羨魚」の、「うらやむ」意や、以羨補不足(羨(あま)れるを以て足らざるを補う)の、「あまる」の意の場合は、①の発音、「羨道(エンドウ)」の、墓の入口から墓室へ通じる長く伸びた地下道の意の場合は、②の発音、とある(仝上)。別に、
会意形声。羊と、㳄(セン)(よだれを流す)とから成り、羊の肉などのごちそうに誘発されてよだれを流す、ひいて「うらやむ」意を表す(角川新字源)、
会意兼形声文字です(羊+次)。「羊の首」の象形(「羊」の意味)と「流れる水の象形と人が口を開けている象形」(「口を開けた人の水「よだれ」の意味)から、羊のごちそうを見て、よだれを流す事を意味し、そこから、「うらやむ」、「うらやましい」を意味する「羨」という漢字が成り立ちました(https://okjiten.jp/kanji2179.html)、
も、会意兼形声文字とするが、これを否定し、
かつて「会意形声文字」と解釈する説があったが、根拠のない憶測に基づく誤った分析である、
として、
形声。「羊」+音符「㳄 /*LAN/」、
と、形声文字とする説(https://ja.wiktionary.org/wiki/%E7%BE%A8)もある。
参考文献;
前野直彬注解『唐詩選』(岩波文庫)
藤堂明保他編『漢字源』(学習研究社)
ホームページ;http://ppnetwork.c.ooco.jp/index.htm
コトバの辞典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba.htm#%E7%9B%AE%E6%AC%A1
スキル事典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/skill.htm#%E3%82%B9%E3%82%AD%E3%83%AB%E4%BA%8B%E5%85%B8
書評;http://ppnetwork.c.ooco.jp/critic3.htm#%E6%9B%B8%E8%A9%95
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