2024年06月23日

登高


強欲登高去(強(し)いて登高(とうこう)し去らんと欲するも)
無人送酒來(人の酒を送り来(きた)るもの無し)
遙憐故園菊(遥かに憐(あわ)れむ故園の菊)
應傍戰場開(応(まさ)に戦場に傍(そ)うて開くべし)(岑参・行軍九日思長安故園)

の、

行軍、

は、

臨時の軍司令部、

九日、

は、

九日の節句、

つまり、五節句の一つである、

九月九日、

の、

重陽(ちょうよう)の節句、

を指す(前野直彬注解『唐詩選』)。

登高(とうこう)、

は、

重陽の節句の行事、

であり、

親しい人々が集まって山や丘に登り、そこで酒宴を開くことをいう、

とある(仝上)。だから、ここでの、重陽の節句に飲む、

酒、

は、

傲睨傾菊酒(傲睨(ごうげい)して菊酒を傾けたり)(蕭穎士・重陽日陪元魯山徳秀登北城曯)

とある、菊花を浮かべた、

菊酒(きくしゅ)、

で、

寿命を伸ばす力がある、

と言われた(仝上)。

登高、

は、文字通り、

君子之道、辟如自邇、辟如登高、必自卑(「礼記」中庸)、

と、

高いところに登ること、

の意味だが(字源・広辞苑)、特に、

陰暦九月九日、丘に登り、菊酒を飲む行事、

をいう(広辞苑)。唐代の『蒙求』に、

九月九日、汝家當有災厄、急宜去。令家人各作絳嚢盛茱萸以繋臂、登高山飮菊酒、此禍可消、景如言、擧家登高夕還、

とある。「重陽」で触れたように、九月九日の重陽(ちょうよう)の節句で、中国では、一族で丘に登るが、これを、

登高、

といい、

重陽、

は、

都城重九後一日宴賞、號小重陽(輦下歳時記)、

と、

重九(ちょうきゅう)、

ともいう(字源)。

歳往月來、忽復九月九日、九為陽數、而日月竝應、故曰重陽(魏文帝、輿鐘繇書)、

と、

陽數である、

九が重なる、

意である。これを吉日として、

茱萸(しゅゆ)を身に着け、菊酒を飲む習俗、

が漢代には定着し、五代以後は朝廷での飲宴の席で、

賦詩(詩などを吟詠する)、

が行なわれた(精選版日本国語大辞典)。「茱萸」(しゅゆ)は、

ごしゅゆ(呉茱萸)(または、「山茱萸(さんしゅゆ)」)の略、

とされ(精選版日本国語大辞典)、

呉茱萸、

は、古名、

からはじかみ(漢椒)、

結子五、六十顆、……状似山椒、而出于呉地、故名呉茱萸(本草一家言)、

とあり、中国の原産の、

ミカン科の落葉小高木、

で、古くから日本でも栽培。高さ約3メートル。茎・葉に軟毛を密生。葉は羽状複葉、対生。雌雄異株。初夏、緑白色の小花をつける。紫赤色の果実は香気と辛味があり、生薬として漢方で健胃・利尿・駆風・鎮痛剤に用いる、

とある(広辞苑)。

からはじかみ、
川薑(かわはじかみ)、
いたちき、
にせごしゅゆ、

ともいう(精選版日本国語大辞典)。

重陽宴、題云、観群臣佩茱萸(曹植‐浮萍篇)、

と、昔中国で、この日、

人々の髪に茱萸を挿んで邪気を払った、

あるいは、昔、重陽節句に、

呉茱萸の実を入れた赤い袋(茱萸嚢(しゅゆのう)、ぐみぶくろ)を邪気を払うために腕や柱などに懸けた、

ので、

茱萸節、

ともいうように、

茱萸、

を節物とした(大言海)。重陽節の由来は、梁の呉均(ごきん)著『続斉諧記』の、

後漢の有名な方士費長房は弟子の桓景(かんけい)にいった。9月9日、きっとお前の家では災いが生じる。家の者たちに茱萸を入れた袋をさげさせ、高いところに登り(登高)、菊酒を飲めば、この禍は避けることができる、と。桓景はその言葉に従って家族とともに登高し、夕方、家に帰ると、鶏や牛などが身代りに死んでいた、

との記事の逸話をもってするとある(世界大百科事典)。この逸話に、重陽節の。

登高、
茱萸、
菊酒、

の三要素が挙げられている。重陽節は、遅くとも3世紀前半の魏のころと考えられる(仝上)とある。呉茱萸は、重陽節ごろ、芳烈な赤い実が熟し、その一房を髪にさすと、邪気を避け、寒さよけになるという。その実を浮かべた茱萸酒は、菊の花を浮かべた略式の菊酒とともに、唐・宋時代、愛飲された(仝上)とある。呉自牧の『夢粱録』には、

陽九の厄(本来、世界の終末を意味する陰陽家の語)を消す、

とある(仝上)という。

こうした行事が日本にも伝わり、『日本書紀』武天皇十四年(685)九月甲辰朔壬子条に、

天皇宴于旧宮安殿之庭、是日、皇太子以下、至于忍壁皇子、賜布各有差、

とあるのが初見で、嵯峨天皇のときには、神泉苑に文人を召して詩を作り、宴が行われ、淳和天皇のときから紫宸殿で行われた(世界大百科事典)。

なお、五節句、

は、重陽で触れたように、

人日(じんじつ)(正月7日)、
上巳(じょうし)(3月3日)、
端午(たんご)(5月5日)、
七夕(しちせき)(7月7日)、
重陽(ちょうよう)(9月9日)、

をいう。

登高、

は、多くの詩人が歌っているが、たとえば、杜甫の「登高」という詩がある。

風急天高猿嘯哀
渚淸沙白鳥飛廻
無邊落木蕭蕭下
不盡長江滾滾來
萬里悲秋常作客
百年多病獨登臺
艱難苦恨繁霜鬢
潦倒新停濁酒杯(https://kanbun.info/syubu/toushisen217.html)

し、王維にも、「九月九日憶山東兄弟」という詩がある。

獨在異郷爲異客
毎逢佳節倍思親
遙知兄弟登高處
遍插茱萸少一人https://kanbun.info/syubu/toushisen344.html

「登」.gif


「登」 甲骨文字・殷.png

(「登」 甲骨文字・殷 https://ja.wiktionary.org/wiki/%E7%99%BBより)

「登」(漢音呉音トウ、慣用ト)は、

会意文字。もと「癶(上に登る両足)+豆(たかつき、容器)+持ち上げている両手」。上にのぼる、上にあげる意を含む、

とある(漢字源)が、別に、

原字は「豆」+「𠬞」で、食器に盛られた食べ物を捧げるさまを象る。「すすめる」「ささげる」を意味する漢語{烝 /*təng/}を表す字。「登」はそれを音符にもつ形声文字で、「癶」は上方向に登っていく足の形。「のぼる」「あがる」を意味する漢語{登 /*təəng/}を表す字、

とする(https://ja.wiktionary.org/wiki/%E7%99%BB)、形声文字説、

象形。ふみ台に乗って車にのぼる形にかたどる。「のぼる」意を表す、

とする(角川新字源)、象形文字説、

会意兼形声文字です(癶+豆)。「上向きの両足」の象形と「祭器」の象形と「両手」の象形から祭器を持ち「あげる」を意味する「登」という漢字が成り立ちました、

とする(https://okjiten.jp/kanji533.html、会意兼形声文字説と別れる。

「高」.gif

(「高(髙)」 https://kakijun.jp/page/10230200.htmlより)

「高」 金文・殷.png

(「高(髙)」 金文・殷 https://ja.wiktionary.org/wiki/%E9%AB%98より)

「高」(コウ)は、

象形。台地にたてたたかい建物を描いたもの。また槁(コウ 乾いた枯れ木)に通じて、かわいた意をも含む、

とある(漢字源)。別に、

象形。原字は「京」と同じ形で、高い建物(望楼、物見櫓の類)を象る。区別のために羨符「口」を増し加えて「高」となる。「たかい」を意味する漢語{高 /*kaaw/}を表す字(https://ja.wiktionary.org/wiki/%E9%AB%98)

象形。たかい楼閣の形にかたどり、「たかい」、ひいて、とうとい意を表す(角川新字源)、

象形文字です。「高大な門の上の高い建物」の象形から「たかい」を意味する「高」という漢字が成り立ちましたhttps://okjiten.jp/kanji158.html

と、何れも象形文字とする。

参考文献;
前野直彬注解『唐詩選』(岩波文庫)
簡野道明『字源』(角川書店)
大槻文彦『大言海』(冨山房)

ホームページ;http://ppnetwork.c.ooco.jp/index.htm
コトバの辞典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba.htm#%E7%9B%AE%E6%AC%A1
スキル事典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/skill.htm#%E3%82%B9%E3%82%AD%E3%83%AB%E4%BA%8B%E5%85%B8
書評;http://ppnetwork.c.ooco.jp/critic3.htm#%E6%9B%B8%E8%A9%95

posted by Toshi at 03:34| Comment(0) | 言葉 | 更新情報をチェックする
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