2024年07月03日

白眼


綠樹重陰蓋四鄰(緑樹(りょくじゅ)重陰(ちょういん) 四隣(しりん)を蓋(おお)う)
青苔日厚自無塵(青苔(せいたい) 日に厚うして自(おの)ずから塵(ちり)無し)
科頭箕踞長松下(科頭(かとう)にして箕踞(ききょ)す 長松(ちょうしょう)の下(もと))
白眼看他世上人(白眼(はくがん)もて看る 他の世上の人)(王維・与盧員外象過崔処士興宗林亭)

の、

崔処士、

の、

処士、

は、

士大夫の階層に属しながら、官職につかずにいる人、

をいい(前野直彬注解『唐詩選』)、

科頭、

は、

かぶりものをつけないこと、

で、

髪を結わず、うずまき形に巻いて止めただけのあたまをもいう。寝るとき以外は、冠か頭巾をかぶるのが、当時の士大夫の習慣であり、それをつけないのは、身分だの礼節だのにこだわらない、野人の風格を示す、

とある(仝上)。

箕踞、

は、

両足を投げ出した形ですわること、

で、

無作法な座り方、

であり、

これも野人の風格である、

とある(仝上)。

白眼、

は、

しろめ、

の意たが、晋の阮籍(げんせき)は、

俗士の訪問を受けると白眼で応対した、

という。

目の白い部分を多く出して、にらむようにした、

とある(仝上)。ここから、

軽蔑・冷淡・不快などの感情をもって人に接すること、

を、

白眼で見る、

というようになる(仝上)。

「晋書」阮籍傳には、

籍又能為青白眼、見禮俗之士、以白眼對之。及嵇喜來弔、籍作白眼、喜不懌而退。喜弟康聞之、乃齎酒挾琴造焉、籍大悅、乃見青眼、

とあり、嵇喜(けいき)に対しては、

白眼を作(な)し、

喜の弟嵇康(けいこう)が、酒を齎し琴を携えていくと、

阮籍大いに悦び乃ち青眼を見(あらわ)す、

とあるところを見ると、単なる酒好きとしか思えないが、この前後は、

籍雖不拘禮教、然發言玄遠、口不臧否人物。性至孝、母終、正與人圍棊、對者求止、籍留與決賭。既而飲酒二斗、舉聲一號、吐血數升。及將葬、食一蒸肫、飲二斗酒、然後臨訣、直言窮矣、舉聲一號、因又吐血數升。毀瘠骨立、殆致滅性。裴楷往弔之、籍散髮箕踞、醉而直視、楷弔喭畢便去。或問楷、「凡弔者、主哭、客乃為禮。籍既不哭、君何為哭」。楷曰、「阮籍既方外之士、故不崇禮典。我俗中之士、故以軌儀自居」。時人歎為兩得。籍又能為青白眼、見禮俗之士、以白眼對之。及嵇喜來弔、籍作白眼、喜不懌而退。喜弟康聞之、乃齎酒挾琴造焉、籍大悅、乃見青眼。由是禮法之士疾之若讐、而帝每保護之(籍禮教に拘はらざると雖も、然れども發言は玄遠にして、口に人物を臧否せず。性は至孝にして、母の終に、正に人と棊を圍むに、對ふ者止むることを求むれども、籍留めて與に決賭す。既にして酒二斗を飲み、聲一號を舉げ、數升を吐血す。將に葬せんとするに及び、一蒸の肫を食べ、二斗の酒を飲み、然る後に訣に臨み、直だ窮まれると言ひ、聲一號を舉げ、因りて又吐血すること數升。毀瘠して骨立し、殆ど性を滅するに致る。裴楷 往きて之を弔し、籍髮を散して箕踞し、醉ひて直視す。楷弔喭し畢はりて便ち去る。或ひと楷に問ふ、「凡そ弔ふ者は、主は哭し、客は乃ち禮を為す。籍 既に哭さず、君何為れぞ哭くか」と。楷曰く、「阮籍 既に方外の士にして、故に禮典を崇ばず。我俗中の士して、故に軌儀を以て自ら居る」と。時人歎じて兩りもて得たりと為す。籍又能く青白眼を為し、禮俗の士を見るに、白眼を以て之に對ふ。嵇喜來たりて弔するに及び、籍白眼を作し、喜懌ばずして退く。喜の弟の康 之を聞き、乃ち酒を齎し琴を挾して焉に造るに、籍大いに悅び、乃ち青眼を見す。是に由り禮法の士之を疾むこと讐が若く、而して帝每に之を保護す)

とある(http://3guozhi.net/sy/m049.html)。阮籍は、

210~263(建安15~景元4)年、中国魏晋時代の人で竹林七賢の一人である。名家に生まれたが、権謀術数と下克上の政官界を厭い世俗を離れて生活した。彼には本来、世を済わんとする志があったが、魏晋交代の乱世において政治生命の全きを保ち得ない名士が多いのをみて、ついに世事に関与するのを避けて飲酒を常とし、嘯や弾琴を好んだという。彼の思想の根幹には、当時の作為と欺瞞におおわれてしまった儒教的礼法が自由な人間性を抑圧する事への極度な嫌悪があり、彼は自信をもって礼法に従わなかった。まさに「任誕=やりたい放題」そのものであった、

といいhttps://www.happycampus.co.jp/doc/226/#google_vignette、その礼法を嫌う阮籍の人となりをよく表すエピソードとして、上述の、

白眼視、

を挙げられる(仝上)という。

竹林の七賢、

とは、魏で、249年に司馬懿が実権を握り、司馬昭、司馬炎と三代がかりで権力を簒奪して晋(西晋)を建国したと混乱期、

貴族の中でそのような政治の場面から身を避けて隠遁し、竹林に集まって酒を飲んだり、楽器を奏でたりしながら、きままに暮らす人々が現れた。彼らは老荘思想の影響を受け、儒教倫理の束縛から離れて、権力者の司馬氏からの招聘も断り、自由に議論するを好んだ、

という、

阮籍(げんせき)、
嵆康(けいこう)、
山濤(さんとう)、
向秀(しょうしゅう)、
劉怜(りゅうれい)、
阮咸(げんかん)、
王戎(おうじゅう)、

をさすhttps://www.y-history.net/appendix/wh0301-072.html。彼らの議論は、

清談、

とい、以後の、

六朝の文化人の理想、

とされたが、党派をつくったわけでも、七人が同時に集まっていたということではなく、この七人を、

竹林の七賢、

とまとめたのは、5世紀中頃編纂された『世説新語』からという(仝上)。『世説新語』は南朝宋の劉義慶の著で、学者・文人・芸術家・僧侶など、魏・晋時代の名士たちの言行・逸話を集めたものである。

「白」.gif

(「白」 https://kakijun.jp/page/0595200.htmlより)

「白」(漢音ハク、呉音ビャク)は、「白毫」で触れたように

象形。どんぐり状の実を描いたもので、下の部分は実の台座。上半は、その実。柏科の木の実のしろい中身を示す。柏(ハク このてがしわ)の原字、

とある(漢字源)が、

象形。白骨化した頭骨の形にかたどる。もと、されこうべの意を表した。転じて「しろい」、借りて、あきらか、「もうす」意に用いる、

ともあり(角川新字源)、象形説でも、

親指の爪。親指の形象(加藤道理)、
柏類の樹木のどんぐり状の木の実の形で、白の顔料をとるのに用いた(藤堂明保)、
頭蓋骨の象形(白川静)、

とわかれ、さらに、

陰を表わす「入」と陽を表わす「二」の組み合わせ、

とする会意説もあるhttps://ja.wiktionary.org/wiki/%E7%99%BD。で、

象形文字です。「頭の白い骨とも、日光とも、どんぐりの実」とも言われる象形から、「しろい」を意味する「白」という漢字が成り立ちました。どんぐりの色は「茶色」になる前は「白っぽい色」をしてます、

と並べるものもあるhttps://okjiten.jp/kanji140.html

「眼」.gif


「眼」(漢音ガン、呉音ゲン)は、「一翳眼にあれば」で触れたように、

会意兼形声。艮(コン)は「目+匕首(ヒシュ)の匕(小刀)」の会意文字で、小刀でくまどった目。または、小刀で彫ったような穴にはまった目。一定の座にはまって動かない意を含む。眼は「目+音符艮」で、艮の原義をあらわす、

とあり(漢字源)、「まなこ」、ひいて、目全体の意を表す(角川新字源)。別に、

会意形声。「目」+音符「艮」、「艮」は「匕」(小刀)で目の周りに入墨をする様で、そのように入墨を入れた目、または、小刀でくりぬいた眼窩https://ja.wiktionary.org/wiki/%E7%9C%BC

会意兼形声文字です(目+艮)。「人の目」の象形と「人の目を強調した」象形から「眼」という漢字が成り立ちました。「人の目」の象形は、「め」の意味を明らかにする為、のちにつけられましたhttps://okjiten.jp/kanji12.html

などともある。

参考文献;
前野直彬注解『唐詩選』(岩波文庫)

ホームページ;http://ppnetwork.c.ooco.jp/index.htm
コトバの辞典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba.htm#%E7%9B%AE%E6%AC%A1
スキル事典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/skill.htm#%E3%82%B9%E3%82%AD%E3%83%AB%E4%BA%8B%E5%85%B8
書評;http://ppnetwork.c.ooco.jp/critic3.htm#%E6%9B%B8%E8%A9%95

posted by Toshi at 03:11| Comment(0) | 言葉 | 更新情報をチェックする
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