姑射山(こやのやま)
羨爾城頭姑射山(羨(うらや)む 爾が城頭(じょうとう)姑射(こや)の山)(李頎・寄韓鵬)
の、
姑射(こや)の山、
は、
今の山西省臨汾・襄陵のあたりにそびえる山。「荘子」逍遥遊篇に、
藐姑射(はこや)の山に仙人が住むとあり、この山がそれだと言い伝えられる、
とある(前野直彬注解『唐詩選』)。
「藐姑射」で触れたことだが、
藐姑射(はこや)、
は、
藐姑射之山、有神人居焉、肌膚若冰雪、淖約若處子、不食五穀、吸風飲露、乘雲氣、御飛龍、而游乎四海之外(『荘子』逍遥遊篇)、
により(字源)、
バクコヤ、
と訓ませ、『列子』第三にも、
藐姑射山在海河洲中、山上有神人焉、吸風飲露、不食五穀、心如淵泉、形如処女、不偎不愛、……、
とある(http://www.arc.ritsumei.ac.jp/opengadaiwiki/index.php/%E8%97%90%E5%A7%91%E5%B0%84%E7%A5%9E%E4%BA%BA)。ただ、「藐姑射」の、
藐、
は、
邈、
と同じで、
遙か遠い、
意、
姑射、
は、
山名、
なので、もともとは、
はるかなる姑射の山、
の意であるが、「荘子」の例によって、
一つの山名のように用いられるようになった、
とある(精選版日本国語大辞典・デジタル大辞泉)。
我が国にも、古くから伝わっていたらしく、
心をし無何有(ムカウ)の郷に置きたらば藐姑射能山(はこやのやま)を見まく近けむ、
と万葉集にも歌われている(「藐孤射能山」を「まこやのやま」とも訓ませるとする説もある)。この、
無何有(ムカウ)の郷、
も、
出六極之外、遊無何有(ムカイウ)之郷、
と(字源)、荘子由来で、
ムカユウ、
と訓み、
何物もなき郷、造化の自然楽しむべき地にいふ、
とある(仝上)、
自然のままで、なんらの人為もない楽土、
という、
荘子の唱えた理想郷、
の謂いである(広辞苑)。
ムカユウ、
を、
ムカウ、
と訛って訓ませる。因みに、「六極」とは、
天地四方、
上下四方、
のこと、つまり、
宇宙、
をいう(精選版日本国語大辞典)。『荘子』逍遥遊篇には、
今子有大樹、患其無用、何不樹之於無何有之郷、廣莫之野、彷徨乎無為其側、逍遙乎寢臥其下(今、子、大樹有りて、其の用無きを患(うれ)ふ、何ぞ之を無何有の郷、広莫の野に樹て、彷徨乎(ほうこうこ)として其の側に為す無く、逍遥乎(しょうようこ)として其の下に寝臥(しんが)せざる)、
とある(故事ことわざの辞典)。
「藐」(漢音バク・ビョウ、呉音マク、ミョウ)は、
会意兼形声。「艸+音符貌(ボウ おぼろげな形、かすかな)」で、細い、かすかなの意を含む、
とある(漢字源)。「藐小」(バクショウ ちいさくてかすかな)、「藐然」(バクゼン 遠くにあっておぼろげなさま)などと使う。
「邈」(漢音バク、呉音マク、ミャク)は、
はるかに遠い、
という意味である(漢辞海・字源)。
参考文献;
前野直彬注解『唐詩選』(岩波文庫)
大槻文彦『大言海』(冨山房)
藤堂明保他編『漢字源』(学習研究社)
簡野道明『字源』(角川書店)
尚学図書編『故事ことわざの辞典』(小学館)
ホームページ;http://ppnetwork.c.ooco.jp/index.htm
コトバの辞典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba.htm#%E7%9B%AE%E6%AC%A1
スキル事典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/skill.htm#%E3%82%B9%E3%82%AD%E3%83%AB%E4%BA%8B%E5%85%B8
書評;http://ppnetwork.c.ooco.jp/critic3.htm#%E6%9B%B8%E8%A9%95
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