2024年07月19日
日本的感性のモデル
前野直彬注解『唐詩選』を読む。
唐詩選は、
五言古詩14首、
七言古詩32種、
五言律詩7首、
五言背律40首、
七言律詩73首、
五言絶句74首、
七言絶句165首、
の、計465首を選んでいる。しかし、
偽書、
とされる。編者の、
李攀竜、
ではなく、彼の名を騙った真っ赤な偽物、とされる。にもかかわらず、日本では、江戸時代の、
荻生徂徠、
の評価によって、中国では、
寺子屋の教科書、
にまで墜ちた本書が、
門人に詩を教える際の教科書、
とされ、中国にない大流行をし、
唐詩、
ひいては中国詩への入門書としての役割を果たしている(前野直彬・解題)とある。そこで、漢詩の門外漢なので、自分の琴線に触れた、ほんの断片、フレーズを、注解者の訓み下し文で、拾い上げてみた。
高橋睦郎『漢詩百首』で触れたことだが、漢詩を通して、日本人的といわれる感性が育てられてきたところがある。その意味では、育てられた(日本的)感性から選んだ、(その感性の)祖型探索のきらいがなくもない。
孤生易爲感(孤生 感を為し易く)
失路少所宜(失路 宜しき所を少(か)く)
索寞竟何事(索莫 竟(つい)に何をか事とせん)
徘徊祇自知(徘徊 祇(た)だ自(みず)から知るのみ)
誰爲後來者(誰か後来の者と為(な)り)
當與此心期(当(まさ)に此の心と期すべき)(柳宗元・南礀中題)
杪冬正三五(杪冬(びょうとう 十二月) 正に三五)
日月遙相望(日月遥かに相望む)
肅肅過潁上(粛粛として潁上(えいじょう)を過ぎれば)
朧朧辨少陽(朧朧として夕陽(せきよう)を弁ず)(崔曙・早發交崖山還太室作)
洛陽城東桃李花(洛陽城東 桃李(とうり)の花)
飛來飛去落誰家(飛び来たり飛び去って誰(た)が家にか落(お)つる)
洛陽女兒好顏色(洛陽の女児 顔色好し)
行逢落花長歎息(行くゆく落花に逢(お)うて長歎息(ちょうたんそく)す)
今年花落顏色改(今年(こんねん)花落ちて顔色改まり)
明年花開復誰在(明年(みょうねん)花開くも復(ま)た誰(たれ)か在(あ)る)
已見松柏摧爲薪(已(すで)に見る 松柏摧(くだ)けて薪(たきぎ)と為(な)るを)
更聞桑田變成海(更に聞く 桑田(そうでん)の変じて海と成るを)
古人無復洛城東(古人復(ま)た洛城の東に無く)
今人還對落花風(今人(こんじん)還(ま)た対す 落花の風)
年年歳歳花相似(年年歳歳 花相似たり)
歳歳年年人不同(歳歳年年 人同じからず)
寄言全盛紅顏子(言(げん)を寄(よ)す 全盛の紅顔の子)
應憐半死白頭翁(応(まさ)に憐むべし 半死の白頭翁(はくとうおう))(劉廷芝・代悲白頭翁)
今年人日空相憶(今年(こんねん)の人日(じんじつ) 空しく相憶(おも)う)
明年人日知何處(明年(みょうねん)の人日(じんじつ) 知(し)んぬ何(いず)れの処(ところ)ぞ)
一臥東山三十春(一たび東山に臥して三十春(しゅん))
豈知書劍老風塵(豈(あに)知らんや 書剣の風塵に老いんとは)(高適・人日寄杜二拾遺)
今年花似去年好(今年(こんねん)の花は去年(きょねん)に似て好(よ)し)
去年人到今年老(去年の人は今年に到たりて老ゆ)
始知人老不如花(初めて知る 人は老いて花に如かざるを)
可惜落花君莫掃(惜おしむ可し 落花 君掃(はら)うこと莫(な)かれ)(岑参・韋員外家花樹歌
江天一色無繊塵(江天一色 繊塵無く)
皎皎空中孤月輪(皎皎として空中に月輪孤なり)
江畔何人初見月(江畔 何人か初めて月を見し)
江月何年初照人(江月 何年か初めて人人を照らせる)
人生代代無窮已(人生代代 窮已(きゅうい)する無く)
江月年年祇相似(江月年年 祇(た)だ相似(あいに)たり)
不知江月待何人(知らず 江月(こうげつ) 何人をか待つ)
但見長江送流水(但(た)だ見る 長江の流水を送るを)
(中略)
江水流春去欲盡(江水 春を流して去って盡きんと欲し)
江潭落月復西斜(江潭の落月 復た西斜せり)
斜月沈沈蔵海霧(斜月沈沈として海霧に蔵(かく)る)
楬石瀟湘無限路(楬石(かっせき) 瀟湘(しょうしょう) 無限の路(みち))
不知乗月幾人帰(知らず 月に乗じて幾人か帰る)
落月揺情満江樹(落月 情を揺るがして江樹に満つ)(張若虚・春江花月夜)
且論三萬六千是(且(しば)らく論ぜん 三萬六千の是なるを)
寧知四十九年非(寧(いずく)んぞ知らん 四十九年の非なるを)
古来名利若浮雲(古来 名利は浮雲(ふうん)の若(ごと)く)
人生倚伏信難分(人生の倚伏(いふく)信(まこと)に分ち難く)
(中略)
相顧百齢皆有待(相顧みるに百齢皆待つ有り)
居然萬化咸應改(居然として萬化咸(みな)應(まさ)に改(あらた)まるべし)
(中略)
春去春來苦自馳(春去り春來るも苦(ねんご)ろに自(みずか)ら馳せ)
争名争利徒爾為(名を争い利を争って徒らに爾為(しかな)す)(駱賓王・帝京篇)
樹樹皆秋色(樹樹(じゅじゅ) 皆秋色)
山山惟落暉(山山(さんさん) 惟(た)だ落暉)(王績・野望)
雲霞出海曙(雲霞 海を出でて曙(あ)け)
梅柳渡江春(梅柳 江(こう)を渡り春なり)
淑氣催黄鳥(淑氣 黄鳥(こうちょう ウグイス)を催(うなが)し)
晴光轉緑蘋(晴光 緑蘋(りょくひん)に轉ず)(杜審言・和晋陵陸丞早春遊望)
暫将弓竝曲(暫(しばら)く弓と竝(とも)に曲りしも)
翻與扇倶團(翻(かえり)て扇と倶(とも)に團(まど)かなり)
露濯清輝苦(露は清輝(せいき)を濯(あら)いて苦(さ)え)
風飄素影寒(風は素影(そえい)を飄(ひるがえ)して寒し)(杜審言・和晋陵陸丞早春遊望)
往来皆此路(往来 皆此の路なるに)
生死不同歸(生死 歸るを同(とも)にせず)(張説(ちょうえつ)・還至端州駅前与高六別処)
升沈應已定(升沈 應(まさ)に已(すで)に定まれるべし)
不必問君平(君平に問うを必せじ)(李白・送友人入燭)
八月湖水平(八月 湖水平かなり)
涵虛混太清(虛を涵(ひた)して太清(たせい)に混ず)(孟浩然・臨洞庭上張丞相)
白髪老閒事(白髪 閒事(かんじ)に老い)
青雲在目前(青雲 目前に在り)(高適・酔後贈張九旭)
竹批雙耳峻(竹批(そ)ぎて雙耳峻(さか)しく)
風入四蹄輕(風入りて四蹄輕(かろ)し)
所向無空闊(向かう所空闊(くうかつ)無し)
真堪託死生(真に死生を託すに堪えたり)(杜甫・房兵曹胡馬)
飄飄何所似(飄飄(ひょうひょう) 何の似たる所ぞ)
天地一沙鷗(天地の一沙鷗)(杜甫・旅夜書懷)
清晨入古寺(清晨 古寺(こじ)に入(い)れば)
初日照高林(初日 高林(こうりん)を照らす)
竹徑通幽處(竹徑 幽處(ゆうしょ)に通じ)
禪房花木深(禪房 花木深し)
山光悦鳥性(山光 鳥の性(さが)を悦(よろこ)ばしめ)
潭影空人心(潭影 人の心を空しゅうす)
萬籟此倶寂(萬籟(ばんらい) 此(ここ)に倶に寂(じゃく)たり)
惟聞鐘聲音(惟だ鐘聲の音を聞くのみ)(常建・破山寺後禅院)
山色遠含空(山色 遠く空を含む)
蒼茫澤國東(蒼茫たり 澤國の東)
海明先見日(海は明けて先ず日を見る)
江白迴聞風(江は白くして迴(はる)かに風を聞く)
鳥道高原去(鳥道 高原に去り)
人烟小徑通(人烟 小徑(しょうけい)通ず)(張祜・題松汀駅)
路自中峰上(路(みち)は中峰(ちゅうほう)自(よ)り上り)
盤囘出薜蘿(盤囘して薜蘿(へいら)を出ず)
到江呉地盡(江に到りて呉地盡き)
隔岸越山多(岸を隔てて越山多し)
古木叢青靄(古木 青靄(せいあい)に叢(むらが)り)
遥天浸白波(遥天(ようてん) 白波を浸す)(釋処黙・聖果寺)
巻幔天河入(幔(とばり)を巻けば天河入り)
開窓月露微(窓を開けば月露微(び)なり)
小池殘暑退(小池(しょうち) 残暑退き)
高樹早涼歸(高樹(こうじゅ) 早涼(そうりょう)帰る)(沈佺期(ちんせんき)・酬蘇員外味道夏晩寓直省中見贈)
萬壑樹聲満(萬壑(まんがく) 樹聲満ち)
千崖秋気高(千崖(せんがい) 秋気高し)
浮舟出郡郭(浮舟 郡郭出で)
別酒寄江濤(別酒 江濤に寄す)
良會不復久(良會 復(ま)た久しからず)
此生何太勞(此生 何ぞ太(はなは)だ勞する)
窮愁但有骨(窮愁 但(た)だ骨のみ有りて)
群盗尚如毛(群盗 尚お毛の如し)
吾舅惜分手(吾舅(きゅう) 手を分つを惜しみ)
使君寒贈袍(使君(しくん) 寒に袍(ほう)を贈る)
沙頭暮黄鶴(沙頭 暮(くれ)の黄鶴(こうかく))
失侶亦哀號(侶を失いて亦た哀號(あいごう)す)(杜甫・王閬(おうろう)州筵奉酬十一舅惜別之作)
世路雖多梗(世路 梗(ふさ)ぐこと多しと雖も)
吾生亦有涯(吾生 亦涯(かぎ)り有り)
此身醒復醉(此身 醒め復た醉う)
乗興卽為家(興に乗じては即ち家と為さん)(杜甫・春歸)
白波吹粉壁(白波(はくは) 粉壁(ふんぺき)を吹き)
青嶂雕梁挿(青嶂(せいしょう) 雕梁(ちょうりょう)に挿(さしはさ)む)
直訝杉松冷(直(た)だ訝(いぶか)る 杉松(さんしょう)の冷やかなるを)
兼疑菱荇香(兼ねて疑う 菱荇(りょうこう)の香るを)
雪雲虚點綴(雪雲(せつうん) 虚しく點綴(てんてつ)し)
沙草得微茫(沙草(さそう) 微茫(びぼう)たるを得たり)
嶺雁随毫末(嶺雁(れいがん)は毫末(ごうまつ)に随い)
川霓飲練光(川霓(せんげい)は練光(れんこう)を飲む)
霏紅洲蕊亂(紅を霏(ち)らせば洲蕊(しゅうずい)は亂れ)
拂黛石蘿長(黛(たい)を払えば石蘿(せきら)は長し)(杜甫・奉観嚴鄭公庁事岷山沲江画図十韻)
亭高出鳥外(亭高くして鳥外に出で)
客到與雲斉(客到れば雲と斉(ひと)し)
樹點千家小(樹(き)は点じて千家小さく)
天圍萬嶺低(天は囲みて万嶺低し)
残虹挂陜北(残虹 陜北(せんぼく)に挂(かか)り)
急雨過關西(急雨 関西を過(よぎ)る)(岑參・早秋与諸子登虢州西亭観眺)
昔人已乗白雲去(昔人(せきじん)已に白雲に乗じて去り)
此地空余黄鶴楼(此の地空しく余す 黄鶴楼)
黄鶴一去不復返(黄鶴(こうかく)一たび去って復た返らず)
白雲千載空悠悠(白雲千載 空しく悠悠たり)
晴川歴歴漢陽樹(晴川(せいせん)歴歴たり漢陽の樹)
芳草萋萋鸚鵡洲(芳草(ほうそう)萋萋(せいせい)たり鸚鵡(おうむ)洲)
日暮郷関何処是(日暮(にちぼ) 郷関 何れの処か是なる)
煙波江上使人愁(煙波(えんぱ) 江上 人をして愁(うれ)えしむ)(崔顥(さいこう)・黄鶴楼)
高館張燈酒復清(高館燈を張り 酒復た清し)
夜鐘残月雁歸聲(夜鐘(やしょう)残月 雁歸る聲)
只言啼鳥堪求侶(只だ言う 啼鳥(ていちょう)の侶(とも)を求むるに堪えたりと)
無那春風欲送行(那(いか)んともする無し 春風の行(こう)を送らんと欲するを)(高適・夜別韋司士得城字)
到來函谷愁中月(到り来たれば 函谷 愁中(しゅうちゅう)の月)
歸去磻谿夢裏山(帰り去らば 磻谿(はんけい) 夢裏(むり)の山)
簾前春色應須惜(簾前(れんぜん)の春色 応(まさ)に須(すべか)らく惜しむべし)
世上浮名好是閒(世上の浮名(ふめい) 好く是れ閒(かん)なり)(岑參・暮春虢(かく)州東亭送李司馬歸扶風別廬)
年年喜見山長在(年年喜んで見る 山の長(つね)に在るを)
日日悲看水獨流(日日(にちにち)悲しんで看る 水の獨り流るるを)(王昌齢・万歳楼)
玉露凋傷楓樹林(玉露凋傷(ちょうしょう)す楓樹(ふうじゅ)の林)
巫山巫峽氣蕭森(巫山巫峽 氣 蕭森(しょうしん))
江間波浪兼天湧(江間の波浪 天を兼ねて湧き)
塞上風雲接地陰(塞上の風雲 地に接して陰る)
叢菊兩開他日涙(叢菊(そうきく)兩(ふた)たび開く 他日の涙)
孤舟一繋故園心(孤舟一(ひと)えにに繋ぐ 故園の心)
寒衣處處催刀尺(寒衣 處處 刀尺(とうせき)を催(うなが)す)
白帝城高急暮砧(白帝 城高くして暮砧(ぼてい)急(きゅう)なり)(杜甫・秋興)
吹笛秋山風月淸(笛を吹く 秋山 風月の清きに)
誰家功作斷腸聲(誰家(たれ)か功みに作(な)す 断腸の声)
風飄律呂相和切(風は律呂(りつりょ)を飄(ひるがえ)して相和(あいわ)すること切に)
月傍關山幾処明(月は関山に傍(そ)うて幾処(いくしょ)か明らかなる)
胡騎中宵堪北走(胡騎(こき) 中宵(ちゅうしょう) 北走するに堪(た)えたり)
武陵一曲想南征(武陵(ぶりょう)の一曲 南征(なんせい)を想う)
故園楊柳今揺落(故園の楊柳(ようりゅう) 今揺落(ようらく)す)
何得愁中卻盡生(何ぞ愁中(しゅうちゅう)に卻(かえ)って尽(ことごと)く生ずるを得し)(杜甫・吹笛)
歳暮陰陽催短景(歳暮(さいぼ) 陰陽(いんよう) 短景(たんけい)を催し)
天涯霜雪霽寒宵(天涯(てんがい)の霜雪(そうせつ) 寒宵(かんしょう)に霽(は)る)
五更鼓角聲悲壯(五更の鼓角(こかく) 声悲壮)
三峽星河影動搖(三峡の星河(せいか) 影動揺)(杜甫・閣夜)
楚王宮北正黄昏(楚王宮北(そおうきゅうほく) 正に黄昏(こうこん))
白帝城西過雨痕(白帝城西(はくていじょうせい) 過雨(かう)の痕)
返照入江翻石壁(返照(はんしょう)は江(こう)に入(い)って石壁に翻(ひるがえ)り)
歸雲擁樹失山村(帰雲(きうん)は樹(き)を擁して山村(さんそん)を失う)(杜甫・反照)
風急天高猿嘯哀(風は急に天は高くして猿嘯(えんしょう)哀(かな)し)
渚清沙白鳥飛廻(渚は清く沙(すな)は白くして鳥飛び廻(めぐ)る)
無邊落木蕭蕭下(無辺の落木(らくぼく) 蕭蕭(しょうしょう)として下(お)ち)
不盡長江滾滾來(不尽(ふじん)の長江 滾滾(こんこん)として来(きた)る)(杜甫・登高)
夾水蒼山路向東(水を夾(さしはさ)む蒼山 路(みち)東に向い)
東南山豁大河通(東南 山豁(ひら)けて大河通ず)
寒樹依微遠天外(寒樹依微(いび)たり 遠天(えんてん)の外)
夕陽明滅亂流中(夕陽(せきよう)明滅す 亂流の中)
孤村幾歳臨伊岸(孤村幾歳(いくとせ)か伊岸(いがん)に臨む)
一雁初晴下朔風(一雁初めて晴れて朔風(さくふう)に下る)
爲報洛橋遊宦侶(爲(ため)に報ぜよ 洛橋(らくきにょう)遊宦(ゆうかん)の侶(とも))
扁舟不繫與心同(扁舟繫がず 心と同じ)(韋応物・自鞏洛舟行入黄河即事寄府県僚友)
東風吹雨過青山(東風 雨を吹いて青山を過ぐ)
郤望千門草色閑(郤(かえ)って千門を望めば草色閑(かん)なり)
家在夢中何日到(家は夢中在って何(いず)れの日にか到らん)
春來江上幾人還(春は江上に来たって幾人か還(かえ)る)
川原繚繞浮雲外(川原(せんげん)繚繞(りょうじょう)たり 浮雲(ふうん)の外)
宮闕參差落照間(宮闕參差(しんし)たり 落照(らくしょう)の間(かん))
誰念爲儒逢世難(誰か念(おも)わん儒と為(な)りて世難(せいなん)に遇い)
獨將衰鬢客秦關(獨り衰鬢(すいびん)を將(もっ)て秦關に客(かく)たらんとは)(蘆綸・長安春望)
宿昔青雲志(宿昔(しゅくせき) 青雲の志)
蹉跎白髪年(蹉跎(さた)たり 白髪の年)
誰知明鏡裏(誰か知らん 明鏡の裏)
形影自相憐(形影(けいえい) 自ら相憐まんとは)(張九齢・照鏡見白髪)
春眠不覺曉(春眠 暁を覚えず)
處處聞啼鳥(処々に啼鳥(ていちょう)を聞く)
夜來風雨聲(夜来 風の声)
花落知多少(花落つること知んぬ多少ぞ)(孟浩然・春暁)
渭水東流去(渭水東流し去る)
何時到雍州(何れの時か雍州に到らん)
憑添兩行淚(憑(たの)むらくは両行の涙を添え)
寄向故園流(寄せて故園に向かって流さんことを)(岑参・見渭水思秦川)
白日依山盡(白日 山に依って尽き)
黄河入海流(黄河 海に入って流る)
欲窮千里目(千里の目を窮(きわ)めんと欲し)
更上一層樓(更に上る 一層の楼)(王之渙・登鸛鵲樓)
終南陰嶺秀(終南 陰嶺秀(ひい)で)
積雪浮雲端(積雪 雲端に浮かぶ)
林表明霽色(林表(りんぴょう) 霽色(せいしょく)明らかに)
城中増暮寒(城中 暮寒(ぼかん)を増す)(祖詠・終南望余雪)
故園眇何處(故園 眇(びょう)として何処(いずこ)ぞ)
歸思方悠哉(帰思(きし) 方(まさ)に悠(ゆう)なるかな)
淮南秋雨夜(淮南(わいなん) 秋雨(しゅうう)の夜)
高齋聞雁來(高斎(こうさい) 雁の来(きた)るを聞く)(韋応物・聞雁)
返照入閭巷(返照(はんしょう) 閭巷(りょこう)に入(い)る)
憂來誰共語(憂え来たるも 誰(たれ)と共にか語らん)
古道少人行(古道 人の行くこと少(まれ)に)
秋風動禾黍(秋風 禾黍(かしょ)を動かす)(耿湋(こうい)・秋日)
何處秋風至(何処(いずく)よりか秋風至る)
蕭蕭送雁羣(蕭蕭(しょうしょう)として雁群(がんぐん)を送る)
朝來入庭樹(朝来(ちょうらい) 庭樹(ていじゅ)に入るを)
孤客最先聞(孤客(こかく) 最も先んじて聞く)(劉禹錫・秋風引)
醉別江樓橘柚香(酔うて江楼(こうろう)に別れんとすれば橘柚(きつゆう)香る)
江風引雨入舟涼(江風(こうふう)雨を引き 舟に入(い)って涼し)
憶君遙在湘山月(君を憶(おも)うて遥かに湘山(しょうざん)の月に在り)
愁聽清猿夢裏長(愁(うれ)えて聴かん 清猿(せいえん)の夢裏(むり)に長きを)(王昌齢・送別魏二)
千里黃雲白日曛(千里の黄雲(こううん) 白日曛(あわ)し)
北風吹雁雪紛紛(北風(ほくふう) 雁を吹いて雪紛紛(ふんぷん))
莫愁前路無知己(愁うる莫(な)かれ 前路 知己無きを)
天下誰人不識君(天下 誰人(たれびと)か君を識(し)らざらん)(高適・別董大)
宜陽城下草萋萋(宜陽(ぎよう)城下 草萋萋(せいせい))
澗水東流復向西(澗水(かんすい)東流(とうりゅう)し復た西に向う)
芳樹無人花自落(芳樹(ほうじゅ)人無く花自ずから落ち)
春山一路鳥空啼(春山(しゅんざん)一路 鳥空しく啼(な)く)(李華・春行寄興)
江春不肯畱行客(江春(こうしゅん)は肯(あえ)て行客(こうかく)を留(とど)めず)
草色靑靑送馬蹄(草色(そうしょく)青青(せいせい)として馬蹄(ばてい)を送る)(劉長卿・送李判官之潤州行営)
楚雲滄海思無窮(楚雲(そうん)滄海(そうかい) 思い窮(きわ)まらず)
數家砧杵秋山下(数家(すうか)の砧杵(ちんしょ) 秋山(しゅうざん)の下(もと))
一郡荊榛寒雨中(一郡の荊榛(けいしん) 寒雨(かんう)の中(うち))(韋応物・登楼寄王卿)
月落烏啼霜滿天(月落ち烏啼いて 霜天に満つ)
江楓漁火對愁眠(江楓(こうふう) 漁火(ぎょか) 愁眠(しゅうみん)に対す)
姑蘇城外寒山寺(姑蘇城外 寒山寺)
夜半鐘聲到客船(夜半の鐘声 客船(かくせん)に到る)(張継・楓橋夜泊)
亭亭孤月照行舟(亭亭(ていてい)たる孤月 行舟(こうしゅう)を照らし)
寂寂長江萬里流(寂寂(せきせき)たる長江 万里に流る)
郷里國不知何處是(郷国(きょうこく)は知らず 何処(いずく)にか是(これ)なる)
雲山漫漫使人愁(雲山(うんざん)漫漫 人をして愁えしむ)(張祜・胡渭州)
琪樹西風枕簟秋(琪樹(きじゅ)の西風(せいふう) 枕簟(ちんてん)秋なり)
楚雲湘水憶同遊(楚雲(そうん) 湘水(しょうすい) 同遊(どうゆう)を憶(おも)う)
高歌一曲掩明鏡(高歌(こうか)一曲 明鏡(めいきょう)を掩(おお)う)
昨日少年今白頭(昨日(さくじつ)の少年 今は白頭(はくとう))(許渾・秋思)
草遮囘磴絕鳴鸞(草は囘磴(かいとう)を遮って鳴鸞(めいらん)を絶つ)
雲樹深深碧殿寒(雲樹(うんじゅ)深深(しんしん)として碧殿(へきでん)寒し)
明月自來還自去(明月(めいげつ)自(おの)ずから来たり還(ま)た自から去る)
更無人倚玉欄干(更に人の玉欄干(ぎょくらんかん)に倚(よ)る無し)(崔魯・華清宮)
無定河邊暮笛聲(無定河(むていか)辺 暮笛(ぼてき)の声)
赫連臺畔旅人情(赫連台(かくれんだい)畔(はん) 旅人(りょじん)の情)
函關歸路千餘里(函関(かんかん)の帰路 千余里)
一夕秋風白髮生(一夕(いっせき) 秋風(しゅうふう) 白髪(はくはつ)生ず)(陳祐・雑詩)
孤城夕對戍樓閑(孤城 夕べに戍楼(じゅろう)に対して閑しず)かなり)
廻合靑冥萬仞山(廻合(かいごう)す 青冥(せいめい) 万仞(ばんじん)の山)
明鏡不須生白髮(明鏡 須(ま)たず 白髪生ぜしを)
風沙自解老紅顏(風沙(ふうさ) 自(みずか)ら解(かい)す 紅顔(こうがん)老ゆるを)(王烈・塞上曲二)
秋染棠梨葉半紅(秋は棠梨(とうり)を染めて葉は半ば紅 (くれない)に)
荊州東望草平空(荊州 東に望めば 草は空に平らかなり)
誰知孤宦天涯意(誰か知らん 天涯(てんがい)に孤宦(こかん)たるの意)
微雨瀟瀟古驛中(微雨(びう)瀟瀟(しょうしょう)たり 古駅(こえき)の中(うち))(王周・宿疎陂駅)
高橋睦郎(『漢詩百首』)はいう、
「日本語は、固有の大和言葉と外来の漢語・欧米語から成っている。とくに漢語の来歴は古く、大和言葉と分かちがたく、外来語と意識することがないまでに日本語の血肉となっている。」
と。例えば、敗戦時に多くの日本人の脳裏に浮かんだのは、
国破れて山河在り
という杜甫の漢詩の一行だったのではないか、という。この、
国破山河在
城春草木深
を、千数百年前のわれわれの祖先が、送り仮名や返り点を付けることで、日本語で読もうとした。そして、
国破れて山河在り
城春にして草木深し
と読んだ。だから、
「この驚異的な、あえていえばアクロバティックナ発明によって、漢詩という外国の詩はなかば日本の歌に、いや、ほとんど日本の歌になった。」
と。漢語を自家薬籠中のものとすることで、
「自分たち固有の文芸や詩歌を豊かにしていったわけです。…たとえば明治維新に欧米の文明を受け入れて自分のものにしたのも、かつて漢字を通して中国の文明を受け入れて血肉化した経験があったからでしょう。ついでにいえば、現在中国で使われている漢字熟語60パーセントが明治維新に欧米語を受け入れるに当たって日本人が作った和製漢語だとききました。」
というところへ至る。漢字へのそういう意識が、真名としての漢字に対して、漢字を借りることで作り出した、
かな、
を、
仮名
と呼ぶところに現れている。
「日本人は中国から文字の読み書きを教わると同時に、花鳥風月を賞でることも学んだ。花に関してはとくに梅を愛することを学んだが、そのうち自前の花が欲しくなり桜を賞でるようになった。梅に較べて桜は花期が短いので、いきおいはかなさの感覚が養われる。その成果が漢詩にも現れた典型」
として、島田忠臣の、
宿昔は猶し枯木のごとかりしに
迎晨一半紅
国香異(け)しこと有るを知り
凡樹同じきことなきを見たり(桜花を惜しむ)
を挙げる。これは、同時代の、
世のなかにたえて桜のなかりせば春の心はのどけからまし
と歌う在原業平と同じ感性・心性の表現になっている、と。その意味では、血肉化した漢詩のマインドで、選んだ漢詩は、一種先祖返りなのかもしれない。
漢詩については、下定雅弘『精選 漢詩集』でも触れた。
参考文献;
前野直彬注解『唐詩選(全三冊)』(岩波文庫)
ホームページ;http://ppnetwork.c.ooco.jp/index.htm
コトバの辞典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba.htm#%E7%9B%AE%E6%AC%A1
スキル事典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/skill.htm#%E3%82%B9%E3%82%AD%E3%83%AB%E4%BA%8B%E5%85%B8
書評;http://ppnetwork.c.ooco.jp/critic3.htm#%E6%9B%B8%E8%A9%95
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