平沙落日大荒西(平沙(へいさ)の落日 大荒(たいこう)の西)
隴上明星高復低(隴上(ろうじょう)の明星(めいせい) 高く復た低し)
孤山幾處看烽火(孤山(こざん) 幾処(いくしょ)か烽火(ほうか)を看(み))
戰士連營候鼓鼙(戦士 営(えい)を連ねて鼓鼙(こへい)を候(うかが)う)(張子容・水調歌第一畳)
の、
平沙、
は、
広く平らな砂漠、
の意、
沙、
は、「砂」と同じ(https://kanbun.info/syubu/toushisen448.html)とある。
平沙落雁、
というと、
干潟に降り立つ雁の群れのこと、
をいい、
中国の山水画の伝統的画材である瀟湘八景(瀟湘地方の八つの景勝。山市晴嵐・漁村夕照・遠浦帰帆・瀟湘夜雨・煙寺晩鐘・洞庭秋月・平沙落雁・江天暮雪)の中の一つ、
である(https://yoji.jitenon.jp/yojib/945.html)。
(平沙落雁図(牧谿) https://qiuyue7.blogspot.com/2011/12/2011-12-11.htmlより)
大荒、
は、
世界のはて、
の意、古くから、
都を中心として同心円状に世界を五分し、『書経』益稷篇に、
惟荒度土功、弻成五服、至于五千(毎服、五百里、四方相距ること、五千里なり)
とあるように、
五服、
と名づける観念があり、その最も外側の、
王畿より離れること二千里より二千五百里に至る地(字源)、
を、
荒服、
と呼んだことからきている(前野直彬注解『唐詩選』)。塞外の地は、文化の及ばぬところで、
荒服、
と意識されていた(仝上)とある。
五服(ごふく)、
は、上古、
王畿を中心として、其四方、周囲五百里づつ距(さ)りたる、五つの地域、
を称し、王畿の周圍なる五百里の地を、
甸(でん)服、
と云ひ、其の外圍なる五百里を、
侯服、
と云ひ、其の外圍を、
綏(すい)服、
其の外圍を、
要服、
其の外圍を、
荒服、
といった(大言海)。
甸(でん)服、
の地が最も王城に接し、
荒服、
の地が最も遠くなる。『書経』禹貢篇には、
五百里荒服、三百里蠻、二百里流(五百里は荒服、三百里は蛮(ばん)、二百里は流(りゅう))、
ともある(https://kanbun.info/syubu/toushisen448.html)。『山海経』大荒西経には、
大荒之中有山、名曰大荒之山。日月所入(大荒の中うちに山有り、名づけて大荒の山と曰う。日月の入る所なり)、
とある(仝上)。
「荒」(コウ)は、
会意兼形声。亡(モウ・ボウ)は、ない、何も見えないの意、巟(コウ)は、何も見えないむなしい川。荒はそれを音符とし、艸を加えた字で、みのりの作物が何もない、むなしいの意、
とある(漢字源)。なお、
「荒󠄁」は「荒」の旧字、「𠯚」「𠃤」は「荒」の古字、「𫟎」は「荒」の俗字、
とある(https://ja.wiktionary.org/wiki/%E8%8D%92)。別に、
会意兼形声文字です。「並び生えた草」の象形と「人の死体に何か物を添えた象形と大きな川の象形」(「大きな川のほか何もない」の意味)から、「あれはてた草のほか何もない」意味する「荒」という漢字が成り立ちました、
とも(https://okjiten.jp/kanji1203.html)あるが、
形声。「艸」+音符「巟 /*MANG/」。「手つかずの土地」「あれはてる」を意味する漢語{荒 /*hmaang/}を表す字、
も(https://ja.wiktionary.org/wiki/%E8%8D%92)、
形声。艸と、音符巟(クワウ)とから成る。耕す人のいないあれ地、ひいて、あれはてる意を表す、
も(角川新字源)、形声文字とする。
参考文献;
前野直彬注解『唐詩選』(岩波文庫)
大槻文彦『大言海』(冨山房)
簡野道明『字源』(角川書店)
ホームページ;http://ppnetwork.c.ooco.jp/index.htm
コトバの辞典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba.htm#%E7%9B%AE%E6%AC%A1
スキル事典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/skill.htm#%E3%82%B9%E3%82%AD%E3%83%AB%E4%BA%8B%E5%85%B8
書評;http://ppnetwork.c.ooco.jp/critic3.htm#%E6%9B%B8%E8%A9%95