住吉の恋忘れ草種絶えてなき世に逢へるわれぞかなしき(新古今和歌集)、
の、
恋忘れ草、
は、
ユリ科多年草、萱草(かんぞう)のことという、
とある(久保田淳訳注『新古今和歌集』)。紀貫之の、
道知らば摘みにもゆかむ住の江の岸に生ふてふ恋忘れ草(古今集)、
を念頭に置くか、とある(仝上)。貫之には、他にも、
住之江の朝満つ潮のみそぎして恋忘れ草摘みて帰らむ(貫之集)、
がある(仝上)。
恋忘れ草、
は、
古代中国において、憂いを忘れさせてくれる草として詩文に作られ、万葉集にも、
わがやどは甍(いらか)しだ草生ひたれど恋忘草(こひわすれぐさ)見るにいまだ生ひず(万葉集)、
と詠われる(仝上)。
恋忘れ草、
は、
摘むと、恋の苦しさを忘れる、
といい、
忘れ草、
ともいう。
忘れ草、
は、
今はとてわするるぐさの種をだに人の心にまかせずもかな(伊勢物語)、
と、
忘るる草、
ともいい(岩波古語辞典)、中国では、
萱草(かんぞう)、
をいい、
金針、
忘憂草(ぼうゆうそう)、
宜男草、
等々ともよばれ(字源・動植物名よみかた辞典)
学名Hemerocallis fulva、ワスレグサ属の多年草の一種、
とされる(https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%AF%E3%82%B9%E3%83%AC%E3%82%B0%E3%82%B5)。広義には、
ワスレグサ属(別名キスゲ属、ヘメロカリス属)、
を指し、その場合は、
ニッコウキスゲなどゼンテイカもユウスゲもワスレグサに含まれる。また長崎の男女群島に自生するトウカンゾウなどもワスレグサと呼ばれる、
とある(仝上)。で、
萱草、
で触れたように、「萱草」は、
ユリ科ワスレグサ属植物の総称、
として、
日当たりのよい、やや湿った地に生える。葉は二列に叢生し、広線形。夏、花茎を出し、紅・橙だいだい・黄色のユリに似た花を数輪開く。若葉は食用になる。日本に自生する種にノカンゾウ・ヤブカンゾウ・キスゲ・ニッコウキスゲなどがある、
と(大辞林)とある。
花を一日だけ開く、
ために、
忘れ草、
と呼ばれるらしい。
忘れ草、
は、
萱草の「古名」
とある(大言海)。
諼草、
とも当てる。これは、
詩経、衞風、伯兮篇、集傳「諼草(けんそう)、食之令人忘憂」とあるを、文字読に因りて作れる語ならむ、
とある(大言海)。
諼草、
を、
わすれぐさ、
と訓ませたということらしい。日本語源大辞典には、
中国では、この花を見て憂いを忘れるという故事があることから(牧野新日本植物図鑑)、
ともある。和名類聚抄(931~38年)には、
萱草、一名、忘憂、和須禮久佐、俗云、如環藻二音、
とある。また、
忘れ草、
は、
ヤブカンゾウの別称、
ともある(広辞苑)。
それを身に着けると物思いを忘れるというので、恋の苦しみなどを忘れるために、下着の紐に付けたり、また植えたりした、
とある(岩波古語辞典)。
忘れ草我が下紐に付けたれど醜(しこ)の醜草(しこぐさ)言(こと)にしありけり(万葉集 大伴家持)
という歌がある。忘れようと、身に着けてみたけれど、言葉だけか、と嘆いている。従妹で将来の妻、坂上大嬢(さかのうえのおおいらつめ)に贈った歌、とある。これは、
萱草(わすれぐさ)吾が紐に付く香具山の古(ふ)りにし里を忘れむがため(大伴旅人)、
のように、
昔、萱草を着物の下紐につけておくと、苦しみや悲しみを一切忘れてしまうという俗信があった、
ことに由来する(日本語源大辞典)とある。『今昔物語』に、
父親に死なれた悲しみを忘れるために萱草を植える兄と、親を慕う気持ちを忘れないようにと柴苑を植える弟の説話(「兄弟二人、萱草・紫苑を植うる語」)、
がある(仝上・https://yamanekoya.jp/konzyaku/konzyaku_31_27_trans.html)。ちなみに、「紫苑」(しおん)は、
漢名の紫苑の音読みから名前が付けられており、ジュウゴヤソウの別名もある。花言葉は「君の事を忘れない」「遠方にある人を思う」、
とある(https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B7%E3%82%AA%E3%83%B3_(%E6%A4%8D%E7%89%A9))。
ところで、恋に絡んで、
秋さらばわが船泊(は)てむ和須礼我比(わすれがひ)寄せ来ておけれ沖つ白波(万葉集)、
若の浦に袖さへ濡れて忘れ貝拾へど妹は忘らえなくに(仝上)、
いとまあらば拾ひに行かむ住吉の岸に寄るてふ恋忘れ貝(仝上)、
わが背子に恋ふれば苦し暇(いとま)あらば拾ひて行かむ恋忘れ貝(仝上)、
などと、
わすれがい(忘貝)、
というのもある。
二枚貝が放れ放れの一片となり、たがいに相手の一片を忘れてしまうという意を掛けた名称、
といい(岩波古語辞典)、
二枚貝の放れた一片、またそれに似ているところから一枚貝のアワビ貝のこと、これを拾えば恋しい思いを忘れることができる、
ということで、
恋忘れ貝、
ともいい(仝上・精選版日本国語大辞典)、
うつせがひ(空貝・虚貝)、
に同じ、つまり、
身の無くなりて放れたる貝、
だからである(仝上)が、この場合、しかし、
肉の脱けた中身の空の貝殻、
をいい、
住吉の浜に寄るといふうつせ貝実なき言もち我れ恋ひめやも(万葉集)
と、
ルリガイ・アサガオガイなど巻貝の殻であろう、
ともあり(岩波古語辞典)、
タマガイ科の巻貝の、
ツメタガイ(津免多貝)の古称、
ともあるので、別かもしれない。
(わすれがい 日本大百科全書より)
忘貝、
は、一般には、
ささらがい、
ともいう、
マルスダレガイ科の二枚貝、
を指し、
鹿島灘以南に分布し、浅海の砂底にすむ。殻長約七センチメートル。殻は扁平でやや丸く、厚くて堅い。色彩は変化に富むが表面は淡紫色の地に美しい紫色の放射彩や輪脈模様のあるものが多い。食用にする。殻は細工物に利用される、
とある(精選版日本国語大辞典)。古来、
大伴の御津(みつ)の浜なる忘れ貝家なる妹を忘れておもへや(万葉集)、
など多くの詩歌に詠まれてきたが、今日では、
浜に打ち上げられたいろいろの貝、
をさすものと思われる(世界大百科事典)とある。その意味では、
空の貝殻、
を広く指していると見ていいのかもしれない。
「萱」(漢音ケン、呉音カン)は、
形声。「艸+音符宣(セン・ケン)」、
とある(漢字源・https://ja.wiktionary.org/wiki/%E8%90%B1・角川新字源)。「わすれぐさ」ともいい、
この草を眺めると憂いを忘れる、
というので、
忘憂草、
ともいう(仝上)。別に、
会意兼形声文字です(艸+宣)。「並び生えた草」の象形(「草」の意味)と「屋根・家屋の象形と物が旋回する象形」(天子が臣下に自分の意志を述べ、ゆき渡らせる部屋の意味から、「行き渡る」の意味)から、行き渡る草「忘れ草(食べれば、うれいを忘れさせてくれる草)」を意味する「萱」という漢字が成り立ちました、
ともある(https://okjiten.jp/kanji2238.html)。なお、「萱」の異字体には、
萲、
蕿、
藼、
蘐、
がある(漢字源・https://kanji.jitenon.jp/kanjie/2263.html・漢辞海)。
参考文献;
久保田淳訳注『新古今和歌集』(角川ソフィア文庫Kindle版)
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)
大槻文彦『大言海』(冨山房)
ホームページ;http://ppnetwork.c.ooco.jp/index.htm
コトバの辞典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba.htm#%E7%9B%AE%E6%AC%A1
スキル事典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/skill.htm#%E3%82%B9%E3%82%AD%E3%83%AB%E4%BA%8B%E5%85%B8
書評;http://ppnetwork.c.ooco.jp/critic3.htm#%E6%9B%B8%E8%A9%95