2024年09月26日
しをり
吉野山こぞのしをりの道変へてまだ見ぬ方の花を尋ねむ(西行)、
の、
こぞのしをり、
は、
去年したしおり、
の意、
しをり、
は、
枝折り、
で、
道しるべのために木の枝を折ること、
とある(久保田淳訳注『新古今和歌集』)。西行は、この歌の他にも、
しをりせでなほ山深くわけ入らんうきこと聞かぬ所ありやと(新古今和歌集)、
がある。これに合わせて、
吉野山深く入るとも春のうちは桜が枝をしをりにはせじ(林葉集)、
も引用している(仝上)。
しおり、
は、
枝折(しを・しほ)る、
の連用形の名詞化で、
しをり、
と表記することも多い(日本語源大辞典・精選版日本国語大辞典)。本来、
しおりして行く旅なれどかりそめの命しらねばかへりしもせじ(大和物語)、
と、
草木の枝を折り取ること、
また、
折り取った枝、
の意だが、上述のように、
木の枝を折って目じるしとする、
意になり、転じて、
道案内する、
道しるべとする、
意に使う(岩波古語辞典)。ここから、
紙・布・革などで作り、書物の間に挟んで目印とする、
栞、
の意に使う(仝上)。これは、道しるべに、
草や紙などを目じるしとなる木の枝に結んでおく方法、
もあり、
読みさしの本に挟んでおく栞もまた帰路の道しるべの一種である、
との解釈もある(世界大百科事典)。なお、
枝折、
は、
柴折、
とも当てるが、折口信夫は、
峠や山の口にあって通行の安全を守る道祖神のことを柴神、柴折様などとよんで、通りすがりの人が柴や青草を手向ける習俗がある、
とし、柳田国男は、この柴神を、
柴をまつり柴を手向けとする神の名であるとして、柴は今日でいうサカキ(榊)またはシキミ(樒)のことである、
としている(仝上)。で、
柴神(しばがみ)、
は、
榊などの枝を手折って、これを賽物(さいもつ 供物)とした無名の岐神(くなとのかみ)などの総称と考えられる。したがって〈しおり〉もまた単なる道しるべではなくて、もともとは行路の安全を祈願するための柴神への賽物であったと考えられる、
との説がある(仝上)。
ところで、動詞、
枝折(しを・しほ)る、
も、同様に、
世のうさにしほらで入りし奥山に何とて人の尋ね来つらん(浜松中納言物語)、
と、
木の枝などを折りたわめる、
迷いやすい山道などで、小枝を折るなどして道しるべとする、
また、
草を結び、あるいは紙などを木の枝につけて道しるべとする、
意だが、転じて、
さきぬやとしらぬ山路に尋ねいる我をば花のしをるなりけり(千載集)、
と、
道案内をする、
道しるべする、
意に使う(精選版日本国語大辞典)。江戸時代、
まくたたむ事をしほるといふは、そなはりたること葉なれ共、用捨の所ありて、まくあくるといひ、又はおさむるといふ(咄本「私可多咄(1671)」)、
と、
幕をたたむ、
意で使うのは、
折る、
からの意味のシフトであろうか(仝上)。
枝折る、
の由来には、
柴折(しばを)りの略(南嶺遺稿・安斎随筆・言元梯・和訓栞・国語溯原=大矢徹・大言海)、
シルベオリの略(和字正濫鈔)、
枝折の義(古今沿革考・異説まちまち・草蘆漫筆)、
シメヲリ(標折)の義(茅窓漫録・和訓栞)
シルシヲリ(験折)の義か(志不可起・和歌色葉)、
等々諸説あるが、
枝折の義、
が自然だが、
「しおる(撓)」と同一語源で「枝折」は当て字であろう、
とあり(精選版日本国語大辞典)、鎌倉時代の辞書「名語記」(みょうごき 経尊)に、
さきをり也、道をわすれじと柴のさきを折て、しるしとする義也、さきを反せはし也、おりは折也、又云、すきおり歟、過折也、すぐる道をわすれじとしるしの木をおれば也、
とある(仝上)。
撓る、
は、
萎る、
とも当て、現代語では、
しおれる、
に当たるが、歴史的仮名遣いは、
しをれる(しをる)、
ともするのは、
しほる、
の、
ほ、
が、ハ行転呼を起こしたため、早くから、
しをる、
と表記されたため(日本語源大辞典)とある。
植物が雪や風に押されて、たわみ、うなだれる、
意である。で、
撓ひ折るる意か、或は、荒折(さびを)るの約かと(大言海)、
シジム(縮)のシと、オルル(折)とが重なった語か(国語の語根とその分類=大島正健)、
等々があるが、むしろ、
しぼむ(縮)、
や、
「しおお(しほほ)」、「しおたれる(しほたる)」などとの関連が考えられる、
とされ(精選版日本国語大辞典)、
しほる(霑)、
との関連の方が気になる。なお、
枝折戸(しをりど)、
は、
柴折戸、
とも当て、
折った木の枝や竹をそのまま使った簡単な開き戸、
をいい、
多く庭の出入り口などに設ける(デジタル大辞泉)。もともとは、
粗末な開き戸、
を意味したが、今日では和風庭園などで風雅を求めて用いられ、茶庭では、露地門として使われる場合が多い(仝上)とある。特に、
茶庭では露地門の一形式、
として風雅を喜ばれている(仝上)という。
「枝」(漢音シ・キ、呉音シ・ギ)は、「枝」で触れたように、
支、
とも当てる。
幹の対、
であり、
会意兼形声。支(キ・シ)は「竹のえだ一本+又(手)」で、一本のえだを手に持つさま。枝は「木+音符支」で、支の元の意味をあらわす、
とある(漢字源)。手足の意では、
肢(シ)、
指の意では、
跂(キ)、
の字が同系である(仝上)。もと、
「枳」が{枝}を表す字であり、「枝」はその後起形声字である、
ともある(https://ja.wiktionary.org/wiki/%E6%9E%9D)。
「栞」(カン)は、
会意兼形声。干(カン)は、上端が揃ったさまを描いた象形文字。栞はそれを音符として、木を加えた字で、同じ大きさに四角く切り取った木の札、
とあり(漢字源)、
山林を歩くときに道の目じるしとするために折った木の枝、
つまり、
しをり、
の意である(仝上)。別に、
会意兼形声文字です(幵+木)。「2本の竿を並べて上が平らな」象形(「平ら」の意味だが、ここでは、「削る」の意味)と「大地を覆う木」の象形(「木」の意味)から、「しおり(木を削り削りして道しるべとしたもの)」を意味する「栞」という漢字が成り立ちました、
ともある(https://okjiten.jp/kanji2328.html)が、
形声。「木」+音符「干 /*KAN/」×2。「きる」「けずる」を意味する漢語{刊 /*khaan/}を表す字、
も(https://ja.wiktionary.org/wiki/%E6%A0%9E)、
形声。木と、幵音符(ケン)→(カン)とから成る、
も(角川新字源)、形声文字とする。
参考文献;
久保田淳訳注『新古今和歌集』(角川ソフィア文庫Kindle版)
大槻文彦『大言海』(冨山房)
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)
前田富祺編『日本語源大辞典』(小学館)
ホームページ;http://ppnetwork.c.ooco.jp/index.htm
コトバの辞典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba.htm#%E7%9B%AE%E6%AC%A1
スキル事典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/skill.htm#%E3%82%B9%E3%82%AD%E3%83%AB%E4%BA%8B%E5%85%B8
書評;http://ppnetwork.c.ooco.jp/critic3.htm#%E6%9B%B8%E8%A9%95
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