賀茂の臨時祭
臨時祭をよめる、
とある、
宮人の摺れる衣にゆふだすき掛けて心を誰に寄すらむ(紀貫之)、
の、
摺れる衣、
は、
山藍で摺り模様を付けた小忌衣(をみごろも)、
のことで、
ゆふだすき、
は、
神事にかけるたすき、
で、
山藍摺りの小忌衣に木綿襷(ゆふだすき)を掛け、
と注釈される(久保田淳訳注『新古今和歌集』)。
木綿襷(ゆふだすき)、
は、
木綿(ゆふ)で作った襷、神事に奉仕する時に袖をかかげるのに用いる、
とある(広辞苑)。中古以降は、歌語として、たすきをかける意で「かく」を引き出す序詞などとして用いられることも多い(精選版日本国語大辞典)。なお、
木綿、
は、
楮(こうぞ)の樹皮を蒸して水にさらし、細く割いたもので、代りに麻を用いることもある、
とあり(世界大百科事典)、『日本書紀』天の石窟戸(いわやど)の段に、
天鈿女(あめのうずめ)命が、蘿(ひかげ ヒカゲノカズラ)を手にして神がかりした、
とあり、允恭4年9月条には、
木綿手をつけて探湯(くかたち)した、
とある。現行では遷宮のときなどに用い、左右肩より左右両脇下に斜にかけ、体の前後で交差するか、左肩より右脇下に斜にかける方法がある(仝上)という。なお、
探湯(くかたち)、
は、
盟神探湯、
誓湯、
と表記し、
神に誓って、熱湯に手を入れさせ、火傷(やけど)をしたものは邪、火傷をしなかったものは正とした、
古代の裁きにおける真偽判定法(デジタル大辞泉)とある。
ところで、冒頭の、
臨時祭、
は、
賀茂の臨時祭、
を指し、
陰暦十一月、下の酉の日に行われた、
とある(仝上)。
臨時祭、
は、
りんじさい、
と訓ませ、
りんじのまつり、あさてとて、助にはかに舞人にめされたり(蜻蛉日記)、
と、
例祭ではなく、臨時に行なう祭、
をいい(精選版日本国語大辞典)、特に、
陰暦11月の下の酉とりの日に行われた賀茂神社の祭り、
陰暦3月の中の午うまの日に行われた石清水八幡宮の祭り、
陰暦6月15日に行われた祇園八坂神社の祭り、
をいう(仝上・デジタル大辞泉)とある。延喜式(927)に、
臨時祭、凡常祀之外応祭者。随事祭之、
とあり、奈良・平安時代の朝廷では、
神祇官(じんぎかん)が御竈(みかまど)祭、御井(みい)祭、堺(さかい)祭、大殿祭(おおとのほがい)ほかの臨時祭を行った、
とある(日本大百科全書)。賀茂(かも)臨時祭、石清水(いわしみず)臨時祭などは当初は臨時であったのが、のち恒例化したものである。
賀茂の臨時の祭、
は、
陰暦十一月下旬の酉(とり)の日に行う賀茂別雷(かもわけいかずち)・賀茂御祖(かもみおや)両社の祭礼、
で、四月の「賀茂の祭り」と区別していうが、祭儀は賀茂祭と同じ(精選版日本国語大辞典)とある。賀茂祭については、「もろかづら」で触れた。
賀茂別雷神社(かもわけいかづちじんじゃ)、
は、京都市北区上賀茂本山にある神社。通称は、
上賀茂神社(かみがもじんじゃ)、
といい、
式内社(名神大社)、山城国一宮、二十二社(上七社)の一社、旧社格は官幣大社、
である(https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%B3%80%E8%8C%82%E5%88%A5%E9%9B%B7%E7%A5%9E%E7%A4%BE)。かつてこの地を支配していた古代氏族である賀茂氏の氏神を祀る神社として、賀茂御祖神社(下鴨神社)とともに、
賀茂神社(賀茂社)、
と総称される。賀茂社は、奈良時代には既に強大な勢力を誇り、延暦13年(794年)の平安遷都後は、皇城鎮護の神社としてより一層の崇敬を受け、大同2年(807年)には最高位である正一位の神階を受け、賀茂祭は勅祭とされた(仝上)。『延喜式神名帳』では、
山城国愛宕郡 賀茂別雷神社、
として名神大社に列し、名神祭・月次祭・相嘗祭・新嘗祭の各祭の幣帛に預ると記載されている。弘仁元年(810年)以降約400年にわたって、伊勢神宮の斎宮にならった斎院が置かれ、皇女が斎王として奉仕した。賀茂神社両社の祭事である賀茂祭(通称 葵祭)で有名である。『山城国風土記』逸文では、
玉依日売(たまよりひめ)が加茂川の川上から流れてきた丹塗矢を床に置いたところ懐妊し、それで生まれたのが賀茂別雷命で、兄玉依日古(あにたまよりひこ)の子孫である賀茂県主の一族がこれを奉斎したと伝える、
とある(仝上)。丹塗矢の正体は、
乙訓神社の火雷神、
とも、
大山咋神、
ともいう(仝上)。主祭神は、
賀茂別雷大神(かもわけいかづちのおおかみ)、
とされる。
賀茂御祖神社(かもみおやじんじゃ)、
は、京都市左京区下鴨泉川町にある神社。通称は、
下鴨神社(しもがもじんじゃ)、
といい(https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%B3%80%E8%8C%82%E5%BE%A1%E7%A5%96%E7%A5%9E%E7%A4%BE)、
式内社(名神大社)、山城国一宮、二十二社(上七社)の一社。旧社格は官幣大社、
で、賀茂別雷神社(上賀茂神社)とともに賀茂県主氏の氏神を祀る神社であり、両社は賀茂神社(賀茂社)と総称される。本殿には、右に、
賀茂別雷命(上賀茂神社祭神)の母の玉依姫命、
左に、
玉依姫命の父の賀茂建角身命、
を祀るため、
賀茂御祖神社、
と呼ばれる。金鵄(きんし)および八咫烏(やたがらす)は賀茂建角身命の化身である(仝上)。境内に、
糺の森(ただすのもり)、
御手洗(みたらし)川、
みたらし池、
がある(仝上)。
参考文献;
久保田淳訳注『新古今和歌集』(角川ソフィア文庫Kindle版)
ホームページ;http://ppnetwork.c.ooco.jp/index.htm
コトバの辞典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba.htm#%E7%9B%AE%E6%AC%A1
スキル事典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/skill.htm#%E3%82%B9%E3%82%AD%E3%83%AB%E4%BA%8B%E5%85%B8
書評;http://ppnetwork.c.ooco.jp/critic3.htm#%E6%9B%B8%E8%A9%95
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