奉幣使


住よしと思ひし宿は荒れにけり神のしるしを待つとせしまに(津守有基)、

の詞書に、

奉幣使にて住吉にまゐりて、昔住みける所の荒れたりけるを見てよみ侍りける、

とある、

奉幣使、

は、

勅命によって、神社や山稜に幣(ぬさ)を奉る使者、

とある(久保田淳訳注『新古今和歌集』)。

奉幣、

は、

ほうへい、

とも、

ほうべい、

とも訓ませ(広辞苑・精選版日本国語大辞典)、

初使至社奉幣之後、於社前給両社禰宜、祝及忌子等祿」(「延喜式(927)」)、

と、

神に幣帛(へいはく)をささげること、

である(仝上)。一般には、

神社に幣帛(へいはく)を奉る、

という意味に用いられるが、古代では、諸社の祝部(はふりべ)らが幣帛をうけとりにくる、

班幣、

と区別され、

勅旨をもって山陵や神社に幣帛を奉ること、

をいった(マイペディア・山川日本史小辞典)。この場合、

神祇官が幣帛を頒(わか)ち、これを使に渡して奉らしめた、

が、この使を、

奉幣使 (幣帛使)、

といった(仝上)。神に対する奉幣の場合、

掌侍が神祇官に赴いて幣帛をつつみ、天皇が臨見してから幣帛使に付された、

とあり(仝上)、また奉幣には、

宣命(せんみょう)、

がともなうことが多く、これも幣帛使に付される。

幣帛使、

は、

五位以上の人で、かつ、卜占により神意に叶った者が当たると決められていた、

とある(仝上・https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A5%89%E5%B9%A3)。神社によって奉幣使が決まっている場合もあり、

伊勢神宮には王氏(白川家)、
宇佐神宮には和気氏、
春日大社には藤原氏、

が遣わされる決まりであった。奉幣の数は変動したが、延喜式神名帳は奉幣を受けるべき神社を、

3132座、

記載されていて、3132座の神には、

神祇官よりの官幣
か、
国司よりの国幣、

が捧げられた(仝上)が、11世紀中頃には、

二十二社、

となり、通常、奉幣使には宣命使が随行し、奉幣の後、宣命使が天皇の宣命を奏上した(仝上)。中世以降、伊勢神宮の神嘗祭(かんなめさい)に対する奉幣のことを特に、

例幣(れいへい)、

と呼ぶようになり、例幣に遣わされる奉幣使のことを、

例幣使、

といいhttps://www.japanesewiki.com/jp/Shinto/%E5%A5%89%E5%B9%A3.html、天皇の即位・大嘗祭・元服の儀の日程を伊勢神宮などに報告するための臨時の奉幣を、

由奉幣(よしのほうべい)、

というhttps://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A5%89%E5%B9%A3。ちなみに、

神嘗祭(かんなめさい・しんじょうさい・かんにえのまつり)、

は、毎年10月15日~17日に執り行われる伊勢神宮の年中行事きっての大祭で、

天照大御神(あまてらすおおみかみ)が天上の高天原(たかまがはら)において、新嘗を食したとの神話に由来し、その年に収穫した新穀を由貴(ゆき 清浄な、穢(けがれ)のないという意)の大御饌(おおみけ)として、大御神に奉る祭り、

とある(日本大百科全書)。朝廷では例幣使を9月11日に発遣、17日に宮中で天皇が衣服を改めて遥拝式を行い、賢所(かしこどころ)での親祭の儀がある(山川日本史小辞典)。

こうした朝廷からの奉幣は、朝廷の衰微とともに次第に縮小・形骸化され、応仁の乱以降は伊勢神宮への奉幣を除いて行われなくなったが、17世紀半ばから江戸幕府が朝廷の祭儀を重んじるようになり、延享元年(1744年)、約300年ぶりに二十二社の上七社への奉幣が復興された。正保3年(1646年)より、日光東照宮の例祭に派遣される日光例幣使の制度が始まり、江戸時代には、単に例幣使と言えば日光例幣使を指すことの方が多かったhttps://www.japanesewiki.com/jp/Shinto/%E5%A5%89%E5%B9%A3.htmlという。

「奉」.gif

(「奉」 https://kakijun.jp/page/0853200.htmlより)

「奉」 金文・西周.png

(「奉」 金文・西周 https://ja.wiktionary.org/wiki/%E5%A5%89より)

「奉」(漢音ホウ、呉音フ)は、

会意文字。「╋(ささげもの)+りょうて+手」。ある物を両手でささげもつ意を表す。また、ささげ持てば、両手の形は△型をなして、その頂点に物をささげることとなる。両方から近づき△型に頂点であう意を含む。捧(ささげる)の原字、

とある(漢字源)。別に、

会意文字。丰(ほう)+収(きょう)。丰は秀(ほ)つ枝。神の憑(よ)る所。夆(ほう)はその枝に神霊が降る意。丰を両手で捧げ、神を迎えることを奉という。それで神意をうけ、神意を奉ずるのである、

ともある(字通)。他に、

会意形声。手(て)と、廾(きよう 両手)と、丰(ホウ しげった草)とから成り、草を両手でささげる、ひいて「ささげる」意を表す。「捧(ホウ)」の原字(角川新字源)、

会意兼形声文字です(丰+廾+手)。「草・木のよく茂った」象形と「両手」の象形と「5本の指のある手」の象形から、「両手を寄せて物をささげる」を意味する「奉」という漢字が成り立ちましたhttps://okjiten.jp/kanji1639.html

と、会意兼形声文字とする説もあり、別に、

形声。金文の字形は「廾」(与える)+音符「丰 /*PONG/」。「与える」「献上する」を意味する漢語{奉 /*b(r)ongʔ/}を表す字。のち「手」を加えて「奉」の形となるhttps://ja.wiktionary.org/wiki/%E5%A5%89

と、形声文字とする説もある。

参考文献;
久保田淳訳注『新古今和歌集』(角川ソフィア文庫Kindle版)
大槻文彦『大言海』(冨山房)

ホームページ;http://ppnetwork.c.ooco.jp/index.htm
コトバの辞典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba.htm#%E7%9B%AE%E6%AC%A1
スキル事典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/skill.htm#%E3%82%B9%E3%82%AD%E3%83%AB%E4%BA%8B%E5%85%B8
書評;http://ppnetwork.c.ooco.jp/critic3.htm#%E6%9B%B8%E8%A9%95

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