2024年10月21日
メタ歌
久保田淳訳注『新古今和歌集』を読む。
「斯の集の体たるや、先万葉集の中を抽き、更に七代集の外を拾ふ。深く索めて微長も遺すこと無く、広く求めて片善も必ず挙げたり。」
と、「序」で言うとおり、万葉集をはじめ、古今集から千載集までの七勅撰集のすぐれた歌1980句を選んでいる。しかも、
「和歌という形式の枠内で古典の伝統によって洗練された大和言葉の微妙な組み合わせにより、現実をはるかに超えた美の世界を実現しようと努めた」(久保田淳・解説)
という独自の文学観に基づき、その方法も、
「『古今』『後撰』『拾遺』の三代のすぐれた歌の語句を大胆に取り込んだり、『源氏物語』や『狭衣物語』などの作り物語のある場面を利用したり、『白氏文集』や『和漢朗詠集』などの漢詩文の佳句から発想・表現を借りたりした」(仝上)
という独特の物だ。その典型的なものは、
すぐれた古歌や詩の語句、発想、趣向などを意識的に取り入れる表現技巧、
である、後世に、
本歌取り、
というようになり、中世の歌論書では、
本歌とす、
本歌をとる、
本歌にとる、
などの形で見える修辞法で、新古今集の時代に最も隆盛した。たとえば、
苦しくも降りくる雨か三輪が崎佐野のわたりに家もあらなくに(万葉集)、
を本歌として、
駒とめて袖打払ふ蔭もなし佐野のわたりの雪の夕暮(藤原定家)
と詠うのが一例になるが、
古くからある有名な歌や、自分が好きな歌、オマージュしたい歌などを「本歌」として、その中の1句もしくは2句を取り入れて新しく歌を詠む、
という手法(https://tanka-textbook.com/honkadori/)で、定家は、『近代秀歌』、『詠歌之大概(えいがのたいがい)』において、本歌取りの原則的な事柄について、
句の置き所を変えないならば2句まで、句の置き所を変えるならば2句と更に3、4文字まで本歌を下敷きにするのがいい、そして、枕詞や序詞の入った本歌については、あまりに有名な名句という評ではないならば初2句までそのまま本歌取りに用いてもいいが、本歌と主題を合致させるのは避けなくてはいけない、本歌のネタ元として三代集と『伊勢物語』と『三十六人家集』のみを採用し、昨今の詩からは引っぱらないようにするのがいい、
とした(https://jtanka.com/tankadaigaku/archives/23)。その基本は、
〔1〕本歌の字句はできるだけ置き場所を変えて借用し、字数は二句以上3、4字までとする。
〔2〕本歌が四季の歌ならば、新作は恋・雑(ぞう)の歌というふうに主題を変え、また趣向を変えて取ることが望ましい。
〔3〕格別な名句や同時代人の歌は避ける、
などである(日本大百科全書)。ある意味で、
メタ化された歌、
メタ和歌、
といってよく、
現実を詠うのではなく、詠われた世界や感覚・情緒をベースに更に詠う、
という、
作品世界の多重化・多層化、
の狙いがある。それは、言わば、
虚構の歌世界、
である。たとえば、
明けぬるか川瀬の霧の絶え間より遠方(をちかた)人の袖の見ゆるは(後拾遺・源経信母)、
を本歌として、
川霧といふことを、
という詞書で、
あけぼのや川瀬の波の高瀬舟くだすか人の袖の秋霧(左衛門督通光)
という歌は、
曙、浅瀬に立つ波は高く、高瀬舟に棹さして川を下すのだろうか、舟人の袖がちらりと秋霧の絶え間から見えるよ、
と注釈される(久保田淳訳注『新古今和歌集』)が、明らかに、本歌を知っていてこそ、この歌の情景の奥行きが見える。もちろん、『袋草紙』に、
麓をば宇治の川霧立ちこめて雲居に見ゆる朝日山かな(権大納言公実)、
の歌は、公実自身が
川霧の麓をこめて立ちぬれば空にぞ秋の山は見えける(拾遺・清原深養父)、
を盗んだと語ったとあるように、ある意味、本歌取りと盗作とは微妙な差なのだが、それは、言語世界が自立していればこそ生じることだともいえる。『新古今和歌集』は、言語作品が、ここまで自立した世界を目ざしている、というと言い過ぎだろうか。その分、それは嘘だろう、と言いたくなるような、空々しい世界や、情緒が透けて見えてしまうこともある。いくつか上げて見ると、たとえば、面白い工夫と見えるのは、
色見えでうつろふものは世の中の人の心の花にぞありける(古今集・小野小町)、
を本歌とした、
さりともと待ちし月日ぞうつりゆく心の花の色にまかせて(式子内親王)
で、主体的な心の変化に置き換えているところが工夫だが、
黒髪の乱れも知らずうち臥せばまづ掻きやりし人ぞ戀しき(和泉式部)
を本歌とした、
掻きやりしその黒髪の筋ごとにうち臥すほどは面影ぞ立つ(定家)
は、それをおのが心のメタファに置き換えて、本歌の直截的な表現よりも屈折している。
しかし、虚構的であることで、
霜こおる袖にも影は残りけり露よりなれし有明の月(右衛門督通具)
ながめつつ幾度袖に曇るらむ時雨にふくる有明の月(藤原家隆)
晴れ曇る影を都に先立ててしぐると告ぐる山の端の月(源具親)
などは、かなり仮想的というか、作りものめいていると言えるし、
知られじなおなじ袖には通ふともたが夕暮れと頼む秋風(家隆)
物思はでただおほかたの露にだに濡るれば濡るる秋の袂を(有家朝臣)
みるめ刈る潟やいづくぞ棹さしてわれに教へよ海人の釣舟(業平朝臣)
などは、技巧的というよりは作為的に過ぎる気がするし、
難波人いかなる江にか朽ちはてむ逢ふことなみに身をつくしつつ(摂政太政大臣)
梶を絶え由良の湊に寄る舟のたよりも知らぬ沖つ潮風(摂政太政大臣)
しるべせよ跡なき波に漕ぐ舟のゆくへも知らぬ八重の潮風(式子内親王)
まばらなる柴の庵に旅寝して時雨に濡るる小夜衣かな(後白河院)
なびかじな海人の藻塩火たきそめてけぶりは空にくゆりわぶとも(藤原定家朝臣)
等々は、技巧的というよりも、ちょっと嘘っぽい。
といった新古今和歌集の特徴を拾ったというよりは、自分の心に何かさざ波を立てた歌を、勝手に拾ってみたのは、次の130首ほどになる。
風まぜに雪は降りつつしかすがに霞たなびき春は來にけり(読人知らず)
春の夜の夢の浮橋とだえして峰に別るる横雲の空(定家)
大空は梅のにほひに霞みつつ曇りもはてぬ春の夜の月(仝上)
梅の花にほひをうつす袖の上に軒もる月の影ぞあらそふ(仝上)
梅の花たが袖ふれしにほひぞと春や昔の月に問はばや(右衛門督通具)
照りもせず曇りもはてぬ春の夜のおぼろ月夜にしくものぞなき(大江千里)
あさみどり花もひとつに霞みつつおぼろに見ゆる春の夜の月(菅原孝標女(すがわらのたかすえのむすめ))
帰る雁今はの心有明に月と花との名こそ惜しけれ(摂政太政大臣(良経))
つくづくと春のながめのさびしきはしのぶに伝ふ軒の玉水(大僧正行慶)
春風の霞吹きとく絶えまより乱れてなびく青柳の糸(殷富門院大輔(いんぷもんいんのたいふ))
青柳の糸に玉ぬく白露の知らず幾代の春か経ぬらむ(藤原有家)
花の色にあまぎる霞立ちまよひ空さへにほふ山桜かな(権大納言長家)
ももしきの大宮人はいとまあれや桜かざしてけふも暮らしつ(赤人)
花にあかぬ歎きはいつもせしかどもけふの今宵に似る時はなし(在原業平朝臣)
散り散らずおぼつかなきは春霞たなびく山の桜なりけり(祝部成仲)
山里の春の夕暮れ来て見れば入相の鐘に花ぞ散りける(能因法師)、
花さそふなごりを雲に吹きとめてしばしはにほへ春の山風(藤原雅経)
吉野山花のふるさと跡絶えてむなしき枝に春風ぞ吹く(摂政太政大臣)
たがたにかあすは残さむ山桜こぼれてにほへけふの形見に(清原元輔)
柴の戸にさすや日影のなごりなく春暮れかかる山の端の雲(宮内卿)
春過ぎて夏来にけらし白たへの衣干すてふ天の香具山(持統天皇)
声はして雲路にむせぶほととぎす涙やそそく宵の村雨(式子内親王)
ほととぎす深き峰より出でにけり外山の裾に声の落ち来る(西行法師)
あふち(楝)咲くそともの木蔭露おちてさみだれ晴るる風渡るなり(前大納言忠良)
さみだれの雲間の月の晴れゆくをしばし待ちけるほととぎすかな(二条院讃岐)
帰り来ぬ昔を今と思ひ寝の夢の枕ににほふたちばな(式子内親王)
たちばなの花散る軒のしのぶ草昔をかけて露ぞこぼるる(前大納言忠良)
たちばなのにほふあたりのうたた寝は夢も昔の袖の香ぞする(皇太后宮大夫俊成女)
いさり火の昔の光ほの見えて蘆屋の里に飛ぶ蛍かな(摂政太政大臣)
窓近き竹の葉すさぶ風の音にいとどみじかきうたた寝の夢(式子内親王)
窓近きいささ群竹(むらたけ)風吹けば秋におどろく夏の夜の夢(春宮大夫公継)
むすぶ手に影乱れゆく山の井のあかでも月のかたぶきにける(前大僧正慈円)
夕立の雲もとまらぬ夏の日のかたぶく山にひぐらしの声(式子内親王)
いづちとか夜は蛍ののぼるらむ行く方知らぬ草の枕に(壬生忠見)
白露のなさけ置きける言の葉やほのぼの見えし夕顔の花(前太政大臣)
たそかれの軒端の萩にともすればほに出でぬ秋ぞ下に言問ふ(式子内親王)
この寝(ね)ぬる夜のまに秋は来にけらし朝けの風のきのふにも似ぬ(藤原季通朝臣)
おしなべてものを思はぬ人にさへ心をつくる秋の初風(西行法師)
うたたねの朝けの袖にかはるなりならす扇の秋の初風(式子内親王)
手もたゆくならす扇のおきどころ忘るばかりに秋風ぞ吹く(相模)
薄霧の籬の花の朝じめり秋は夕べとたれかいひけむ(清輔朝臣)
心なき身にもあはれはしられけり鴫立つ沢の秋の夕暮れ(西行)
見わたせば花も紅葉もなかりけり浦の苫屋の秋の夕暮れ(定家)
深草の里の月影さびしさも住みこしままの野べの秋風(右衛門督通具)
月影の澄みわたるかな天の原雲吹き払ふ夜はのあらしに(大納言経信)
秋風にたなびく雲の絶え間よりもれいづる月の影のさやけさ(左京大夫顕輔)
行く末は空もひとつの武蔵野に草の原より出づる月影(摂政太政大臣)
過ぎてゆく秋の形見にさを鹿のおのが鳴く音もをしくやあるらむ(権大納言長家)
秋来れば朝けの風の手を寒み山田の引板(ひた)をまかせてぞ聞く(前中納言匡房)
ふけにけり山の端近く月さえて十市の里に衣打つ声(式子内親王)
ひとめ見し野辺のけしきはうら枯れて露のよすがに宿る月かな(寂蓮法師)
秋の夜は衣さむしろ重ねても月の光にしくものぞなき(大納言経信)
あけぼのや川瀬の波の高瀬舟くだすか人の袖の秋霧(左衛門督通光)
村雲や雁の羽風に晴れぬらむ声聞く空に澄める月影(朝恵法師)
いつのまにもみぢしぬらむ山桜きのふか花の散るを惜しみし(中務卿具平親王)
柞(ははそ)原しづくも色や変るらむ杜の下草秋ふけにけり(摂政太政大臣)
時わかぬ波さへ色にいづみ川柞(ははそ)の杜(もり)にあらし吹くらし(定家朝臣)
おきあかす秋の別れの袖の露霜こそ結べ冬や来ぬらむ(皇太后宮大夫俊成)
月を待つ高嶺の雲は晴れにけり心あるべき初時雨かな(西行法師)
柴の戸に入日の影はさしながらいかにしぐるる山辺なるらむ(清輔朝臣)
世の中になほもふるかなしぐれつつ雲間の月のいでやと思へど(和泉式部)
秋の色を払ひはててや久方の月の桂にこがらしの風(雅経)
風寒み木の葉晴れゆく夜な夜なに残るくまなき庭の月影(式子(しょくし)内親王)
霜枯れはそことも見えぬ草の原誰に問はまし秋のなごりを(皇太后宮大夫俊成)
津の国の難波の春は夢なれや蘆の枯葉に風渡るなり(西行法師)
さびしさに堪へたる人のまたもあれな庵(いほり)並べむ冬の山里(西行法師)
かつ氷りかつは砕くる山川の岩間にむせぶ暁の声(皇太后宮大夫俊成)
見るままに冬は來にけり鴨のゐる入り江の汀(みぎは)薄ごほりつつ(式子内親王)
白波に羽うちかはし浜千鳥かなしき声は夜の一声(重之)
さ夜千鳥声こそ近く鳴海潟(なるみがた)かたぶく月に潮や満つらむ(正三位季能)
風さゆるとしまが磯の群(むら)千鳥立ちゐは波の心なりけり(正三位季経)
降りそむる今朝だに人の待たれつる深山の里の雪の夕ぐれ(寂連法師)
おのづからいはぬを慕ふ人やあるとやすらふほどに年の暮れぬる(西行法師)
數ふれば年の残りもなかりけり老いぬるばかりかなしきはなし(和泉式部)
けふごとにけふやかぎりと惜しめどもまたも今年に逢ひにけるかな(皇太后宮大夫俊成)
あはれなりわが身のはてやあさ緑つひには野辺の霞と思へば(小野小町)
たれもみな花の都に散りはててひとりしぐるる秋の山里(左京大夫顕輔)
なれし秋のふけし夜床はそれながら心の底の夢ぞかなしき(大納言実家)
朽ちもせぬその名ばかりをとどめおきて枯野のすすき形見とぞ見る(西行法師)
物思へば色なき風もなかりけり身にしむ秋の心ならひに(皇太后宮大夫俊成)
けふ来ずば見でややままし山里のもみぢも人も常ならぬ世に(前大納言公任)
思へ君燃えしけぶりにまがひなでたちおくれたる春の霞を(源三位)
夜もすがら昔のことを見つるかな語るやうつつありし世や夢(大江匡衡朝臣)
あらざらむのち偲べとや袖の香を花橘にとどめおきけむ(祝部成仲)
あるはなくなきは数添ふ世の中にあはれいづれの日まで歎かむ(小野小町)
暮ぬまの身をば思はで人の世のあはれを知るぞかつははかなき(紫式部)
思ひ出でば同じ空とは月を見よほどは雲居にめぐり遭ふまだ(後三条院)
人をなほ恨みつべしや都鳥ありやとだにも問ふを聞かねば(女御徽子女王(きしにょおう))
み山路に今朝や出でつる旅人の笠白妙に雪積もりつつ(大納言経信)
袖にしも月かかれとは契りおかず涙は知るや宇津の山越え(鴨長明)
年たけてまた越ゆべしと思ひきや命なりけりさやの中山(西行法師)
年を経て思ふ心のしるしにぞ空もたよりの風は吹きける(藤原高光)
玉の緒よ絶えなば絶えねながらへば忍ぶることのよわりもぞする(式子内親王)
忘れてはうち歎かるる夕べかなわれのみ知りて過ぐる月日を(式子内親王)
わが恋はいはぬばかりぞ難波なる蘆のしの屋の下にこそ焚け(小弁)
わが恋は荒磯の海の風をいたみしきりに寄する波のまもなし(伊勢)
しるべせよ跡なき波に漕ぐ舟のゆくへも知らぬ八重の潮風(式子内親王)
なびかじな海人の藻塩火たきそめてけぶりは空にくゆりわぶとも(藤原定家朝臣)
数ならぬ心のとがになしはてじ知らせてこそは身をも恨みめ(西行法師)
ながめわびそれとはなしにものぞ思ふ雲のはたての夕暮れの空(左衛門督通光)
くれなゐに涙の色のなりゆくをいくしほ(入)までと君に問はばや(道因法師)
覚めてのち夢なりけりと思ふにも逢ふはなごりのをしくやはあらぬ(後徳大寺左大臣)
身にそへるその面影も消えななむ夢なりけりと忘るばかりに(摂政太政大臣)
なき名のみ立田の山に立つ雲のゆくへも知らぬながめをぞする(権中納言俊忠)
逢ふことのむなしき空の浮雲は身を知る雨のたよりなりけり(惟明親王)
思ふには忍ぶることぞ負けにける逢ふにしかへばさもあらばあれ(業平朝臣)
夕暮れに命かけたるかげろふのありやあらずや問ふもはかなし(読人しらず)
君来(こ)むといひし夜ごとに過ぎぬれば頼まぬものの恋ひつつぞ経(ふ)る(読人しらず)
つらしとは思ふものから伏柴(ふししば)のしばしもこりぬ心なりけり(左衛門督家通)
恋ひ死なむ命はなほも惜しきかなおなじ世にあるかひはなけれど(刑部卿頼輔)
言の葉のうつろふだにもあるものをいとど時雨のふりまさるらむ(伊勢)
くまもなき折しも人を思ひ出でて心と月をやつしつるかな(西行法師)
いくめぐり空ゆく月も隔てきぬ契りし中はよその浮雲(左衛門督通光)
今はただ心のほかに聞くものを知らずがほなる荻の上風(式子内親王)
草枕結び定めむ方(かた)知らずならはぬ野辺の夢の通ひ路(雅経)
さりともと待ちし月日ぞうつりゆく心の花の色にまかせて(式子内親王)
掻きやりしその黒髪の筋ごとにうち臥すほどは面影ぞ立つ(定家)
夢かとよ見し面影も契しも忘れずながらうつつならねば(皇太后宮大夫俊成女)
いかにしていかにこの世にありへ(経)ばかしばしもものを思はざるべき(和泉式部)
梅の花香をのみ袖にとどめおきてわが思ふ人は訪れもせぬ(業平朝臣)
雲居より遠山鳥の鳴きてゆく声ほのかなる恋もするかな(凡河内躬恒)
人ならば思ふ心をいひてましよしやさこそはしづのをだまき(藤原惟成)
見てもまたまたも見まくのほしかりし花の盛りは過ぎやしぬらむ(藤原高光)
思ひきや別れし秋にめぐり逢ひてまたもこの世の月を見むとは(皇太后宮大夫俊成)
ながめして過ぎにし方を思ふまに峰より峰に月は移りぬ(入道親王覚性)
老いぬともまたも逢はむとゆく年に涙の玉を手向けつるかな(皇太后宮大夫俊成)
一筋に馴れなばさてもすぎの庵(いほ)によなよな変る風の音かな(右衛門督通具)
命さへあらば見つべき身のはてを偲ばむひとのなきぞかなしき(和泉式部)
數ならぬ身をも心の持ちがほにうかれてはまた帰り来にけり(西行法師)
おろかなる心の引くにまかせてもさてさはいかにつひの思ひは(西行法師)
憂きながらあればある世にふる里の夢をうつつにさましかねても(読人しらず)
ささがにの空にすがくもおなじことまたき宿にも幾代かは経む(僧正遍照)
数ならぬ身を何ゆゑに恨みけむとてもかくても過ぐしける世を(大僧正行尊)
願はくは花の下にて春死なむそのきさらぎの望月の頃(西行法師)
世の中はとてもかくても同じこと宮も藁屋もはてしなければ(蟬丸)
夢や夢現や夢とわかぬかないかなる世にか覺めむとすらむ(赤染衞門)
闇晴れて心のそらにすむ月は西の山辺や近くなるらむ(西行法師)
なお『古今和歌集』については触れた。
参考文献;
久保田淳訳注『新古今和歌集』(角川ソフィア文庫Kindle版)
ホームページ;http://ppnetwork.c.ooco.jp/index.htm
コトバの辞典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba.htm#%E7%9B%AE%E6%AC%A1
スキル事典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/skill.htm#%E3%82%B9%E3%82%AD%E3%83%AB%E4%BA%8B%E5%85%B8
書評;http://ppnetwork.c.ooco.jp/critic3.htm#%E6%9B%B8%E8%A9%95
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