稲筵


あらし吹く岸の柳の稲筵おりしく波にまかせてぞ見る(新古今和歌集)、

の、

おりしく波、

は、

折り返してはしきりに寄せる波、

の意で、

「折り」に「筵」の縁語「織り」、「しく」は頻りに起こるの意の「頻く」に「筵」の縁語「敷く」を掛ける、

とある(久保田淳訳注『新古今和歌集』)。

稲筵、

は、

秋の田の稲穂が波打つ有様を筵に喩えていう、

が、ここでは、

川面に浸る柳条の比喩、

とあり(仝上)、

稲蓆(いなむしろ)川副楊(かはそひやなぎ)水行けば靡き起き立ちその根は失せず(日本書紀)、

を引く(仝上)。

いなむしろ、

は、

いねむしろ、

の轉(大言海)で、

稲筵、
稲蓆、

等々と当て、

稲稈(いねわら)で織ったむしろ、

の意で、一説に、

寝筵、

の意という(広辞苑)。

寝筵、

は、

寝る時に布団の上に敷く筵、

の意とある(仝上)。

夫婦寝るに用ゐる、二枚刺しつなぎたる筵(比翼茣蓙 ひよくござ)、

ともある(大言海)。また、

いなむしろ、

は、上述のように、

田の稲のみのって乱れ臥したさまをむしろに見做していう語、

でもある(仝上)。俊頼髄脳(1111~14)に、

いなむしろといへる事は、稲の穂の出でととのはりて田に波寄りたるなむ、筵を敷き並べたるに似たると云ふなり、

とある。で、上述のように、

夫婦寝るに用ゐる、二枚刺しつなぎたる筵(比翼茣蓙 ひよくござ)、因りて敷くに掛かり、二枚刺し交すより、かはにかかる、

とあり(大言海)、

玉桙(たまほこ)の道行き疲れ伊奈武思侶(イナムシロ)しきても君を見むよしもがも(万葉集)、

と、「敷く」の序詞として用いられ、冒頭の歌と関連付けられたように、

伊儺武斯盧(イナムシロ)川副楊(かはそひやなぎ)水行けば摩(なび)き起き立ちその根は失せず(日本書紀)、

と、「かわ(川)」にかかるが、このかかり方については、

(イ)風に吹かれて波打つ稲田のさまを川に見立てて。
(ロ)川面の青やかであるのを稲わらで編んだむしろを敷いたのにたとえて。
(ハ)「いなむしろ」は「いねむしろ(寝莚)」の変化した語で、「いなむしろ」に使う皮の意から「皮」と同音の「川」にかかる、
(ニ)稲の莚は、コモ、スゲなどの莚にくらべて編み目が強(こわ)ばっているところから「こわ」と類音の「川」にかかる、

等々諸説ある(精選版日本国語大辞典)。

むしろ、

は。

筵、
蓆、
席、
莚、
薦、

等々と当て(広辞苑・大言海・精選版日本国語大辞典・岩波古語辞典)、

梯立(はしたて)の嶮(さが)しき山も我妹子と二人越ゆればやす武志呂(ムシロ)かも(日本書紀)、

と、

藺(い)・竹・藁(わら)・蒲(がま)などで編んで作った敷物の総称、

で、和名類聚抄(931~38年)に、

筵、無之呂、竹席也、席、訓上同、薦席也、

とある。

むしろ.jpg


平安・鎌倉期は屋内用であったが、畳の普及後は屋外用、

となった。

筵薦(むしろごも)、

ともいうが、今はもっぱら、

藁筵(わらむしろ)、

をいう(精選版日本国語大辞典・大言海)。形により、

狭(さ)むしろ、
長むしろ、
小むしろ、
広むしろ、

などと区別した(世界大百科事典)。

藁筵(わらむしろ)、

は、

藁にて織り作りたるむしろ、

で、江戸時代中期編纂の日本の類書(百科事典)『和漢三才図絵(わかんさんさいずえ)』(寺島良安)には、

筵、……藁筵(わらむしろ)、麤莚、處處皆織之、農家乾殻包綿、又代畳表、其用最多也、

とある。

わらむしろ、

は、農家の板の間や土間に敷いたり、出入口に垂らし風雨よけなどに用いた。穀物の乾燥用などの農作業用や荷物の包装材料としても広く用いられ(世界大百科事典)、

かます(叺)、

は、

むしろを二つ折りにして左右の両端を縫い閉じたもので、肥料、石炭、塩、穀類などを入れたもの、

である(仝上)。

むしろ、

は、上記の意が転じて、

女院は法皇の御病のむしろに御髪剃させ給へりき(今鏡)、

と、

人々が寄り集まり、すわって、風雅な遊びや法事などをする場所、
会席、
座席、

の意に、さらに、日葡辞書(1603~04)に、

Muxironi(ムシロニ)ツク(寝床に寝る)、

と、

寝るための場所、
寝床、

意へと、何だか先祖返りしている(仝上)。漢語の音で、

えん(筵)、

ともいうが、これは、

過去の四仏も普賢薩埵も、形をかくして、この御講演の莚には、日々に来りのぞみ給て(出法華修法一百座聞書抄(1110)三月二七日)、

と、

むしろ、
敷物、

の意と共に、その派生意として、

座席、ところ、場所、

また、

催しや酒宴などの席、

でもある(精選版日本国語大辞典)。この、

むしろ、

の由来は、

ムシ(苧)シロ(代)の約か(岩波古語辞典)、
裳代の転にて、裳は敷裳を云ふかと云ふ(大言海・名言通・和訓栞・国語の語根とその分類=大島正健)、
身代(みしろ)の転(大言海・言元梯・文学以前=高崎正秀)、
メシロ(目代)の転か(俚言集覧)、
ムシはマシ(座)の転、ロは助詞(東雅)、
タタミノシロ(畳代)の義で、ムはタタム、シロは代の意(和語私臆鈔)、

等々あるが、たぶん、

シロ、

は、

代、

つまり、

代わり、

の意だと思うが、平安期の用例から見ると、

裳代の転にて、裳は敷裳を云ふ、

のが最も近いのではないか。

莚の大きさは、

幅約3尺(約90センチメートル)に長さが約6尺(約180センチメートル)、

と決まっていて、

薦(こも)、

より上等品とされ、保存に留意しながら生活に組み込まれてきた(日本大百科全書)とある。因みに、

こも、

は、

真菰

で触れたように、

薦、
菰、

と当て、

イネ科の大形多年草。各地の水辺に生える。高さ一~二メートル。地下茎は太く横にはう。葉は線形で長さ〇・五~一メートル。秋、茎頂に円錐形の大きな花穂を伸ばし、上部に淡緑色で芒(のぎ)のある雌小穂を、下部に赤紫色で披針形の雄小穂をつける。黒穂病にかかった幼苗をこもづのといい、食用にし、また油を加えて眉墨をつくる。葉でむしろを編み、ちまきを巻く、

とあり、漢名、

菰、

という(精選版日本国語大辞典・日本語源大辞典)。なお、

筵道、

というと、

えんどう、
または、
えどう、

と訓み、

天皇や貴人が歩く道筋や神事で祭神が遷御する通り道に敷く筵の道、

といい、筵の上に白い絹を敷く場合もあるhttps://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%8E%9Aとあり、平安時代に宮中で舞が演じられる際に庭に敷かれる筵の道も筵道と呼ぶとある(仝上)。

「筵」.gif


「筵」(エン)は、

会意兼形声。「竹+音符延(のばす)」、

で、

竹を編んでつくり、引き延ばして敷くむしろ、

の意で、

たかむしろ(竹筵 たけむしろ)、

ともいう(漢字源・岩波古語辞典)。

「席」.gif

(「席」 https://kakijun.jp/page/1058200.htmlより)

「席」(漢音セキ、呉音ジャク)は、

形声。「巾(ぬの)+音符庶の略体」で、巾印をつけて座布団を示す、

とあり(漢字源)、

がまやいぐさで編んだ敷物、転じて、広く座る場所や寝る所に敷く敷物、で、広く座る場所の意、ポストの意にも使う(漢字源)。別に、

形声。「巾」+音符「石 /*TAK/」[字源 1]。「むしろ」を意味する漢語{席 /*sdak/}を表す字(https://ja.wiktionary.org/wiki/%E5%B8%AD)

形声。巾と、音符庶(シヨ)→(セキ)とから成る。しきもの、ひいて、座る所の意を表す(角川新字源)、

形声文字です(庶の省略形+巾)。「屋根の象形と器の中の物を火で煮たり焼いたりする象形」(「煮る」の意味だが、ここでは「籍」に通じ(同じ読みを持つ「籍」と同じ意味を持つようになって)、「しきもの」の意味)と「頭に巻く布きれにひもを付けて、帯にさしこむ象形」(「布きれ」の意味)から、「しきもの」を意味する「席」という漢字が成り立ちました。(甲骨文は、「草を編んだしきもの」の象形から「しきもの」の意味を表しました)https://okjiten.jp/kanji653.html

と、同じ形声文字でも、解釈が異なる。

「蓆」.gif

(「蓆」 https://kakijun.jp/page/E4EC200.htmlより)

「蓆」(漢音セキ、呉音ジャク)は、

会意兼形声。「艸+音符席(しきもの)」、

で、「むしろ」の意だが、「大きくしきつめたさま」から、「広くおおきい」意で使う(漢字源)。

「莚」.gif

(「莚」 https://kakijun.jp/page/E4AD200.htmlより)

「莚」(エン)は、

会意兼形声。「艸+音符延(のばす)」、

で、草が伸びてはびこる意だが、我が国では、「むしろ」に当てている(漢字源)。

「薦」.gif

(「薦」 https://kakijun.jp/page/1614200.htmlより)

「薦」(セン)は、「刈菰(かりこも)」で触れたように、

会意。「艸+牛に似ていて角が一本の獣のかたち」で、その獸が食うというきちんとそろった草を示す、

とある(漢字源)が、別に、

形声。「艸」+音符「廌 /*TSƏN/」。「むしろ」を意味する漢語{薦 /*tsəəns/}を表す字、

ともhttps://ja.wiktionary.org/wiki/%E8%96%A6

会意。艸と、廌(ち)(しかに似たけもの)とから成り、廌が食う細かい草の意を表す。借りて「すすめる」意に用いる、

とも(角川新字源)、

会意文字です(艸+廌)。「並び生えた草」の象形と「一本角の獣」の象形から、「一本角の獣が食べる草」を意味する「薦」という漢字が成り立ちました。また、「饌(せん)」に通じ(同じ読みを持つ「饌」と同じ意味を持つようになって)、「すすめる」、「供える」の意味も表すようになりました、

ともあるhttps://okjiten.jp/kanji1962.html

参考文献;
久保田淳訳注『新古今和歌集』(角川ソフィア文庫Kindle版)
大槻文彦『大言海』(冨山房)
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)
前田富祺編『日本語源大辞典』(小学館)

ホームページ;http://ppnetwork.c.ooco.jp/index.htm
コトバの辞典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba.htm#%E7%9B%AE%E6%AC%A1
スキル事典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/skill.htm#%E3%82%B9%E3%82%AD%E3%83%AB%E4%BA%8B%E5%85%B8
書評;http://ppnetwork.c.ooco.jp/critic3.htm#%E6%9B%B8%E8%A9%95

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