2024年11月08日

洗幘


洗幘豈獨古(幘(さく)を洗うば豈獨(ひと)り古(いにしえ)のみならんや)
濯纓良在茲(纓(えい)を濯(あら)うは良(まこと)に茲(ここ)に在り)(孟浩然・陪張丞相自松滋江東泊渚宮)

の、

洗幘、

は、

むかし楚の陸通という隠者が、幘(頭巾)を松の枝にかけたまま寝ていると、鶴がそれをくわえて、川岸まで運んだ。通は頭巾を洗い、鶴に乗って飛び去った、

という故事を踏まえている(前野直彬注解『唐詩選』)。また、

濯纓、

は、文字通り、

冠の紐を洗濯する、

意だが、

治まった世に、すぐれた人物が官職について、平和な生活を楽しむこと、

との意がある(仝上)。「楚辞」屈原の「漁父」に、

滄浪の水清(す)まば、以て吾が纓を濯(あら)う可し、滄浪の水濁らば、以て吾が足を濯う可し、

とあるのを踏まえる(仝上)。

洗幘、

の、

幘(さく)、

は、

髪の毛を包む布製の頭巾、

をいい、

洗幘、

は、明代『広博物誌』(董斯張)に、

楚狂士陸通高臥松間、以受霞氣。幘挂松頂。有鶴銜去水濱。通洗之、因與鶴同去(楚の狂士(きょうし)陸通(りくつう)、松間(しょうかん)に高臥(こうが)し、以て霞気 (かき)を受く。幘(さく)松頂(しょうちょう)に挂(か)く。鶴有り銜(ふく)んで水浜 (すいひん)に去る。通(つう)之を洗い、因りて鶴と同じく去る)、

とある、

楚の陸通(りくつう)が頭巾を松の枝にかけて寝ていたところ、一羽の鶴がそれをくわえて川辺に運んだ。陸通はその頭巾を洗い、鶴に乗って飛び去った、

という逸話を踏まえるhttps://kanbun.info/syubu/toushisen138.html

濯纓、

の、

纓(えい)、

は、

冠のひも、

で、

冠かんむりのひもを洗う、

意から、『楚辞』屈原の「漁父」を基に、

時の流れに従い、治まった世には官職に就き、平和な生活を楽しむこと、

である(仝上)。

幘(さく)、

は、漢代『急就篇』(史游)註に、

幘者、韜(つつむ)髪之布、

とあり、

古代、中国で、髪を包んだ布、
頭巾(ずきん)、

をいい(広辞苑・精選版日本国語大辞典)、これが伝わった我が国では、

大嘗祭、神今食(じんごんじき)などの神事に際して、天皇の冠の巾子(こじ)を包む布。白い生絹(すずし)で巾子と纓(えい)とを一つに合わせて巾子の後方で結び、その端を左右に垂らしたもの、

をいい、

御幘(おさく・ごさく・おんさく)の冠(かむり)、

という(仝上)。なお、

神今食(じんごんじき・じんこんしき・じんこじき)、

とは、

陰暦六月と一二月の一一日、月次祭(つきなみまつり)の夜、天照大神を神嘉殿に勧請(かんじょう)して、火を改め、新しく炊いた御飯を供え、天皇みずからこれをまつり、自身も食する儀式。新嘗祭(にいなめまつり)に似ているが、新嘗祭は新穀を用いるのに対し、これは旧穀を用いる、

とある(仝上)。和訓栞に、

御幘は、白き絹もて、御冠の巾子を結はせたまふ、御神事の時の儀式なりと、三箇重事抄に見えたり、

とある、

白き生絹を、四折(よつおり)にしたるもの、

で、

立纓(りふえい)の御冠の纓を、巾子の前へ曲げて、二つ折にして、それを、御幘にて結ひつくるなり、、

とある(大言海)。

巾子

は、

冠の後ろに高く突き出ている部分。もとどりを入れて冠を固定する、

とある(佐藤謙三校注『今昔物語集』)。

御幘の冠.jpg

(御幘の冠 デジタル大辞泉より)

似たものに、

かしはばさみ(柏夾)、
空頂黒幘(くうちょうこくさく)、

がある。

柏夾、

の、

柏、

は、

凶事、焼亡のような非常の場合、臨機に冠の纓(えい)を巻くこと、

で、

挟木(はさみぎ)に有り合わせの木・竹の類を用いることを特色とする、

とあり(精選版日本国語大辞典)、

窪椀(くぼて)、葉椀(ひらで)に、葉(かしは)を竹針にて刺し作るになぞらへたる名か、和訓栞に「白木を、柏とつめて書きしより、かしは夾みと云ひなせり」とあるが、いかがか、

とある(大言海)。「葉椀(くぼて)・葉手(ひらて)」については触れた。

冠の垂纓(すゐえい)を、二重に折りて、白木の挟木にて挟みと止むるもの、

である(仝上)。

空頂黒幘.jpg

(空頂黒幘(「冠帽図会」)デジタル大辞泉より)

空頂黒幘、

は、

頂辺をあけた黒の幘帽(さくぼう)の意で、黒絹製の天冠の一種。江戸時代は繁文(しげもん)の羅を山形に作り、帽額(もこう)の正面につけ、額にあて後ろで結ぶ、

ものである。新撰字鏡(898~901)に、

幘、比太比乃加加保利(ひたひのかかほり)、

とあり、

かがふり(被り、冠り)、

は、

頭に被る、

意である(岩波古語辞典)。

黒紗、三山形をなし、前面に、四目様の紋、散らしあり、紫絹の縁をつく、

という(大言海)。

纓.jpg

(「纓」デジタル大辞泉より)

纓(えい)、

は、「衣冠束帯」、「したうづ」で触れたように、日本独自の冠の付属品の1つで、

冠のうしろに長く垂れるもの、

をいい、古くは、

髻(もとどり)を入れて巾子(こじ)の根を引き締めた紐の余りを、うしろに垂らした。のちには、別に両端に骨を入れ羅(うすぎぬ)を張り、巾子の背面の纓壺(えつぼ)に、差し込んで垂らした、

とある。冠の縁を2分して、

額のほうを磯 (いそ)、
後方を海 (うみ)、

といい、海に挿し入れて垂らす細長い布を纓と称した(ブリタニカ国際大百科事典)。元来は、

令制の頭巾の結び余りから変化したもので、地質が羅のような薄い地であったので、平安時代 (9世紀)に漆をはいて形を固定し、院政頃 (10世紀) より冠と纓が分離する、

ようになり、形も、初めは燕尾であったのが長方形となり、天皇の纓は高く直立する、

立纓(りゅうえい) 、

であるが、文官は、

垂纓(すいえい)、

といって纓を垂れ下げ、武官は、

巻纓 (けんえい) 、

といって巻くのが普通であり、その巻き方も衣紋の流儀によって異なる。また六位以下の武官が警固や駆馳 (くち) をする際には、挙動が便利なように纓筋だけの鯨鬚黒塗りのものを輪にして挿し、これを、

細纓(ほそえい)、

と称した(仝上)とある。なお、

五位以上は有文(うもん)、六位以下は無文、

である(精選版日本国語大辞典)。飛鳥(あすか)時代後期に、中国より導入されたイラン式の、

漆紗冠(しっしゃかん)、

は、髪を頭上に束ねた髻(もとどり)を、巾子(こじ)という筒に入れ、その上から袋状に仕立てた絹や布をかぶり、髻の根元を共裂(ともぎれ)の紐(ひも)で結んで締め、結び余りを後ろに垂らした。この垂らした部分を、

纓、

とよび、その形より、

燕尾(えんび)、

ともいった。

平安時代に冠が大きく固くつくられるようになると、纓も両側にクジラのひげを入れて幅広く長いものとなって、後ろにただ綴(と)じ付けて垂らした。鎌倉時代になると形式化して、纓の元を冠に取り付けた纓壺(えいつぼ)に上から差し込んで、しなって垂れ下がる形となった、

(日本大百科全書)という。この、

纓、

の由来は、

冠系也とあれば、上緒(あげを 冠が脱げないように、冠の左右につけ、引き上げて髻(もとどり)の根にくくり結ぶための紐)なり、其餘垂に、纓との名の移りしものか、

あるいは、

燕尾を、えひと約め、纓を借字とせしものか、

とある(大言海・東雅・安斎随筆)。

なお、「冠」については、「冠と烏帽子」http://www.kariginu.jp/kikata/2-2.htmが詳しい。

「幘」.gif


「幘」(漢音サク、呉音シャク)は、

会意兼形声。責は、重ねる意を含む。幘は「巾(ぬの)+音符責」で、髪を重ねて上から包む布のこと、

とある(漢字源)。この布製の頭巾は、

漢以降唐までの風俗で、冠をはずしても、幘はつけていた、

とある(仝上)。

「纓」.gif


「纓」(漢音エイ、呉音ヨウ、慣用オウ)は、

会意兼形声。「糸+音符嬰(エイ ぐるっととりまく)」で、顔をとりまく冠のひもをあらわす、

とある(漢字源)。「纓冠」と、冠の両脇から顔をとりまき、あごの下で結ぶ、冠のひもである(仝上)。

参考文献;
差前野直彬注解『唐詩選』(岩波文庫)
大槻文彦『大言海』(冨山房)
前田富祺編『日本語源大辞典』(小学館)

ホームページ;http://ppnetwork.c.ooco.jp/index.htm
コトバの辞典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba.htm#%E7%9B%AE%E6%AC%A1
スキル事典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/skill.htm#%E3%82%B9%E3%82%AD%E3%83%AB%E4%BA%8B%E5%85%B8
書評;http://ppnetwork.c.ooco.jp/critic3.htm#%E6%9B%B8%E8%A9%95

posted by Toshi at 04:39| Comment(0) | 言葉 | 更新情報をチェックする
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