草昧英雄起(草昧 英雄起り)
謳歌暦数帰(謳歌 暦数帰す)(杜甫・重経昭陵)
の、
草昧(そうまい)、
は、
天地の始めの、混沌とした状態、
を意味し、ここでは、
隋末の乱世をいう、
とある(前野直彬注解『唐詩選』)。
暦数、
は、
帝王が授かる天命のこと、
とあり、「書経」大禹謨篇に、
天の暦数は汝が躬(み)に在り、
とあるのに基づき、
「数」は運命、それが次の帝王・王朝へと運行するから、「暦」という、
とある(仝上)。
草昧、
は、『易経』屯(ちゅん)卦に、
天造草昧、宜建侯而不寧」(天造(てんぞう)草昧(そうまい)なり、宜(よろ)しく侯(きみ)を建(た)つべくして寧(やす)しとせず)、
とあり、また、『貞観政要』君道篇に、
太宗謂侍臣曰、帝王之業、草創與守成孰難。尚書左僕射房玄齡對曰、天地草昧、群雄競起、攻破乃降、戰勝乃剋。由此言之、草創爲難(太宗(たいそう)、侍臣(じしん)に謂(い)いて曰く、帝王の業、草創(そうそう)と守成(しゅせい)と、孰(いず)れか難(かた)き、と。尚書左僕(さぼく)射(や)房玄齢(げんれい)対(こた)えて曰く、天地草昧にして、群雄競(きそ)い起こる、攻め破りて乃(すなわ)ち降(くだ)し、戦い勝ちて乃(すなわ)ち剋(か)つ。此に由りて之を言いえば、草創を難しと為す、と)
とある(https://kanbun.info/syubu/toushisen142.html)。
謳歌、
は、
民衆が天子の徳をたたえて歌うこと、
をいい、『孟子』萬章上篇に、
謳歌者、不謳歌堯之子、而謳歌舜(謳歌する者は、堯の子を謳歌せずして、舜を謳歌す)、
とある(仝上)。
暦数、
は、
四五紀、一日歳、二日月、三日日、四日星辰、五日暦数(書経洪範篇)、
陰陽寮、頭一人、掌天文、暦数、風雲気色、有異密封奏聞事(「令義解(718)」職員令)、
等々と、
季節のめぐり、
をいい、また、
日月運行の度数を測って、こよみを作る技術、
をもいい、ひいては、
こよみ、
そのものの意もいう(広辞苑・精選版日本国語大辞典)。そこから、
堯曰、咨爾舜、天之暦数、在爾躬(堯曰く、咨(ああ)爾(なんじ)舜、天之暦数、爾の躬(み)に在り)(論語・堯曰篇)、
と、
自然にめぐって来る運命、
運命、
命数、
天運、
の意となり(仝上・大言海)、
隆周の昭王穆王暦数永し。吾君も又暦数永し(新撰朗詠集)、
と、
年代、
年数、
の意で使う(仝上)が、ここでは、『書経』大禹謨篇の、
天之曆數在汝躬(天の暦数は汝の躬(み)に在り)、
とあるのを踏まえ、
暦、
は、
巡り合わせ、
数、
は、
運命、
の意で、
天命を受けて天子となるべき順位、
の意に特定して使われる(https://kanbun.info/syubu/toushisen142.html)。
「暦」で触れたように、「暦」と「歴」は同系である(https://ja.wiktionary.org/wiki/%E6%9A%A6)。「暦(曆)」(漢音レキ、呉音リャク)は、
厤(レキ)はもと「禾(カ 象形。穂の垂れた粟の形を描いたもの)をならべたさま+厂印(やね)」の会意文字で、順序よく次々と並べる意を含む。曆はそれを音符とし、日を加えた字で、日を次々と順序よく配列すること、
とある(漢字源)。別に、
会意兼形声文字です(厤+日)。「屋内で整然と稲をつらねる」象形と「太陽」の象形から、日の経過を整然と順序立てる事を意味し、そこから、「こよみ(天体の運行を測り、その結果を記したもの。カレンダー。)」を意味する「暦」という漢字が成り立ちました、
との解釈もある(https://okjiten.jp/kanji1292.html)。しかし、
形声。「日」+音符「厤 /*REK/」。「こよみ」を意味する漢語{曆 /*reek/}を表す字(https://ja.wiktionary.org/wiki/%E6%9B%86)、
も、
形声。日と、音符厤(レキ)とから成る。「こよみ」の意を表す(角川新字源)、
も、形声文字とする。
参考文献;
前野直彬注解『唐詩選』(岩波文庫)
大槻文彦『大言海』(冨山房)
ホームページ;http://ppnetwork.c.ooco.jp/index.htm
コトバの辞典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba.htm#%E7%9B%AE%E6%AC%A1
スキル事典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/skill.htm#%E3%82%B9%E3%82%AD%E3%83%AB%E4%BA%8B%E5%85%B8
書評;http://ppnetwork.c.ooco.jp/critic3.htm#%E6%9B%B8%E8%A9%95
ラベル:暦数