萩が花真袖にかけて高円の尾上の宮に領布(ひれ)振るやたれ(新古今和歌集)、
の、
領布、
は、
上代、女性が首にかけ、左右に垂らした装身用の布、
とある(久保田淳訳注『新古今和歌集』)。
領布、
については、
望夫石、
で触れたように、万葉集で、
山の名と言ひ継げとかも佐用姫(さよひめ)がこの山の上(へ)に領布(ひれ)を振りけむ、
万代(よろづよ)に語り継げとしこの岳(たけ)に領布(ひれ)振りけらし松浦佐用姫、
海原(うなはら)の沖行く船を帰れとか領布(ひれ)振らしけむ松浦佐用姫、
行く船を振り留(とど)みかね如何(いか)ばかり恋(こほ)しくありけむ松浦佐用姫、
などと詠われる、
松浦佐用姫伝説、
で、
大伴佐提比古(狭手彦 おとものさてひこ/さでひこ)が異国へ使者として旅立つとき、妻の松浦佐用比売(さよひめ)が別れを悲しみ、高い山の上で領巾(ひれ)を振って別れを惜しんだので、その山を「領巾麾(ひれふり)の嶺(みね)」とよぶと伝える、
とある(日本大百科全書)。大伴狭手彦が朝廷の命で任那(みまな)に派遣されたことは『日本書紀』の宣化(せんか)天皇二年(537)条にみえるが、佐用姫の伝えはない、とある(仝上)。肥前地方で発達した伝説で、奈良時代の『肥前国風土記』にも、松浦(まつら)郡の、
褶振(ひれふり)の峯(みね)、
としてみえるが、そこでは、
大伴狭手彦連(むらじ)と弟日姫子(おとひひめこ)の物語、
になっており、
夫に別れたのち、弟日姫子のもとに、夫に似た男が通ってくる。男の着物の裾(すそ)に麻糸をつけておき、それをたどると、峯の頂の沼の蛇であった。弟日姫子は沼に入って死に、その墓がいまもある、
と、昔話の、
蛇婿入り、
の三輪山型の説話になっている(仝上)。
佐賀県唐津市東郊鏡山(284メートル)を中心に東北地方まで伝説が分布、
しているといい(日本伝奇伝説大辞典)、狭手彦が百済救援のため渡海するときに名残りを惜しんだ、
名残りの坂、
焦がれ石、
がある(仝上)。姫は夫に焦がれて後姿を追って鏡山に登り領巾(ひれ)を振った。山頂に、
領巾振り松、
があり、それで鏡山を、
領巾振(ひれふり)山、
といい、姫は、軍船が小さくなると、松浦川の
松浦佐用姫岩、
に飛び降り、着物が濡れたので、
衣掛(きぬかけ)松、
で干し、呼子に走ったが及ばず、加部島の伝登(てんどう)岳で、悲しみの余り、
望夫石、
と化した(仝上)、とされる。
領布、
は、
比礼、
肩巾、
とも記し(精選版日本国語大辞典)、
ももしきの大宮人は宇豆良登理(鶉鳥 ウヅラトリ)比礼(ヒレ)取り掛けて鶺鴒(まなばしら)尾行き合へ(古事記)、
と、上代から平安時代にかけての
婦人の服したる白き帛、
で、和名類聚抄(931~38年)に、
領布、比禮、婦人項上餝(飾ノ俗字)也、
とあるように、
項より肩に掛けて、左右の前へ垂れたるもの、生絹、紗、羅などを用ゐる、
とある(大言海・岩波古語辞典)。
5尺から2尺5寸の羅や紗などを、一幅(ひとの)または二幅(ふたの)に合わせてつくった、
とされ(世界大百科事典)、「古事記」に、
天日矛(あめのひぼこ)招来の宝物として、振浪比礼(なみふるひれ)、切浪比礼(なみきるひれ)、風振比礼(かぜふるひれ)、風切比礼(かぜきるひれ)、
とか、
須佐之男命が、須勢理毘売(すせりびめ)から蛇比礼(へびのひれ)、呉公蜂比礼(むかではちのひれ)を得てこれを振り、蛇やムカデ、ハチの難を逃れた話が見える、
等々、比礼を振ることに呪術的意味があり、
風や波を起こしたり鎮めたり、害虫、毒蛇などを駆除する呪力を持つ、
と信じられ、
別れなどに振った、
とされる(精選版日本国語大辞典・岩波古語辞典)。
本来は呪力をもつものとして用いられ、のちにその意識が薄れて装飾用に用いられたと思われる、
とある(仝上)。古くは男女ともに着用したものらしく、
比礼掛る伴の男(祝詞大祓詞)、
とあり、「延喜式」には元日や即位の儀に、
隼人(はやと)が緋帛五尺の肩巾(ひれ)を着用して臨む、
とある(世界大百科事典)。
領布、
は、
朝服、
で定められた衣服であったが、『日本書紀』天武天皇11年(682)の条に、
膳夫(かしわで)、采女(うねめ)等の手繦(たすき)、肩巾(ひれ)は並び莫服(なせそ)、
と、
廃止され、『延喜式』縫殿寮の巻の年中御服の条中宮の項に、
鎮魂祭の項その他に領巾が掲げられ、ふたたび用いられた、
とあり(日本大百科全書)、平安時代の宮廷女子の正装に裙帯(くたい・くんたい 裙はロングスカートで、もともと裙(くん 裳裾)をはいた腰のところに締めて前に長く垂らす帯)とともに着用されたという。
(朝服 日本大百科全書より)
なお、「朝服」は「衣冠束帯」で触れたように、
大宝令を改修した養老令(718)の衣服令では、即位・朝賀などの朝廷の儀式に際して着用する、五位以上の、
礼服(らいふく)、
と、
諸臣の参朝の際に着用する、
朝服(ちょうふく)、
が定められ、すべて唐風をそのままに採用した(有職故実図典)。この朝服が、唐風を脱して、わが国独自の服装である、
束帯、
へと変じていくが、現在、飛鳥時代から平安時代にかけて着用された装束を特に、
朝服、
といい、これ以降、国風文化発達に伴って変化した朝服を、
束帯(そくたい)、
と称する(https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9C%9D%E6%9C%8D)。
領布、
の由来は、
ヒラヒラするものの意(岩波古語辞典)、
ヒレ(鰭)と同義、ヒラメク異(大言海)、
ヒラメクの意(筆の御霊・言元梯)、
フリテ(振手)の約(古事記伝・和訓栞)、
フリタヘ(振栲)の約(雅言考)、
など、その形状からきているようである。
鰭、
も、ここからきていると見ていい。
(「領」 中国最古の字書『説文解字』(後漢) https://ja.wiktionary.org/wiki/%E9%A0%98より)
「領」(漢音レイ、呉音リョウ)は、
会意兼形声。令(レイ・リョウ)は、すっきりと清らかなお告げ。領は「頁(あたま、くび)+音符令」で、すっきりときわだったくびすじ、えりもとをあらわす。清らかな意を含む、
とある(漢字源)。別に、
会意兼形声文字です(令+頁)。「頭上の冠の象形とひざまずく人の象形」(「人が神の神意を聞く」の意味)と「人の頭部を強調した」象形(「頭」の意味)から、「うなじ(首の後ろの部分)」を意味する「領」という漢字が成り立ちました、
ともある(https://okjiten.jp/kanji833.html)が、
形声。「頁」+音符「令 /*RENG/」。「えりくび」を意味する漢語{領 /*rengʔ/}を表す字(https://ja.wiktionary.org/wiki/%E9%A0%98)、
形声。頁と、音符令(レイ、リヤウ)とから成る。「うなじ」の意を表す。借りて「おさめる」意に用いる(角川新字源)、
も、形声文字とする。
参考文献;
久保田淳訳注『新古今和歌集』(角川ソフィア文庫Kindle版)
大槻文彦『大言海』(冨山房)
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)
ホームページ;http://ppnetwork.c.ooco.jp/index.htm
コトバの辞典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba.htm#%E7%9B%AE%E6%AC%A1
スキル事典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/skill.htm#%E3%82%B9%E3%82%AD%E3%83%AB%E4%BA%8B%E5%85%B8
書評;http://ppnetwork.c.ooco.jp/critic3.htm#%E6%9B%B8%E8%A9%95
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