あくがる
心こそあくがれにけれ秋の夜の夜深き月をひとり見しより(新古今和歌集)、
の、
あくがる、
は、
何かに誘われて心が身体からぬけ出てゆく、上の空になる、
意とある(久保田淳訳注『新古今和歌集』)。
あくがる、
は、
憧る、
と当て、
「あこがれる」の文語形、
である。上代には用例は見えず、
十世紀半ば以降に一般化した語、
で(日本語源大辞典)、中世頃から、
「あこがる」と併用、
され(精選版日本国語大辞典)、その後、
ふらふらとさまよいでる、
意から、その原因の、
対象に惹かれる、
意へとシフトし、
あこがれる、
へと転化したもののようである。
所または事を意味する古語アクとカレ(離)との複合語。心身が何かにひかれて、もともと居るべき所を離れてさまよう意。後には、対象にひかれる心持を強調するようになり、現在のアコガルに転じる、
とある(岩波古語辞典)。
アクとカルとの複合語で、カルが離れる意、
で、
アクの語源は諸説あり不明であるが、あるいは場所にかかわる語か(日本語源大辞典)、
「あく」は「ところ」、「かる」は「離れて遠く去る」意(広辞苑)、
(浮宕、憧憬と当て)在處離(ありかか)るの略転と云ふ。アコガルルも同じ(假事〔かりごと〕、かごと。若子〔わかご〕、わくご。其處〔そこ〕、此處〔ここ〕)。宿離(か)レテ、アクガレヌベキ、など云ふは、重言なれど、アクガルの語原は忘れられて云ふなり(大言海)、
アクは事、所などの意の古語。カルは離れて遠く去る意(日本語の年輪=大野晋)、
アは在、クは処、カルは離の意(槻の落葉・信濃漫録・雅言考・比古婆衣)、
アク(間隔が空く)+カレ(離れる)。距離が遠くなればなるほど強く惹かれる心情(日本語源広辞典)、
アク(足・踵)+カレ(離れる)。足が地から離れるほど引きつけられる心情(仝上)、
ア(接頭語)+焦がれる(吉田金彦説)、
アクは空の義。これを語源として動詞のアクグル、アクガルが生まれた(国語の語根とその分類=大島正健)、
ウカルルと同意。ウの延アク(名言通・和訓栞・槙のいた屋)、
等々諸説あるが、
アク、
については、
(本来居る)所、または事の意をもつ古語。単独の用例はなく、アクガレ(憧)に含まれている。また、いわゆるク語法の曰ハク・恋フラクのク・ラクの語根、
とある(岩波古語辞典)。なお、ク語法の用例については、
おもわく、
ていたらく、
で触れた。
カル、
は、「かる」で触れたように、
切り離す、
意であり、
離る、狩る、涸る、刈ると同源、
とであるるので、基本は、
アク(所)+カル(離れる)、
と、
心が自分のところから離れ、強く引き付けられる意、
で(日本語源広辞典)、
人間の身や心、また魂が、本来あるべき場所から離れてさまよいあるくこと、
をいう意味になる(日本語源大辞典)。で、
思ひあまり恋しき時は宿かれてあくがれぬべき心地こそすれ(貫之集)、
と、
本来いるはずの場所からふらふらと離れる、
さまよい出る、
意や(広辞苑・岩波古語辞典)、
物思ふ人の魂は、げにあくがるるものになむありける(源氏物語)、
と、
何かにさそわれて、心がからだから抜け出てゆく、
宙にさまよう、
意や(仝上)、
いつまでか野辺に心のあくがれむ花し散らずは千世もへぬべし(古今和歌集)、
と、
ある対象に、何となく心がひかれる。心が、からだから離れる、
うわのそらになる、
意から、
このとしごろ人にも似給はず、うつし心なき折々多く物し給ひて、御中もあくがれてほど経にけれど(源氏物語)、
と、
いとわしく思うようになって離れる、
男女の仲がうとくなる、
世を避けようとする、
などの意になり(精選版日本国語大辞典)、
離れかたきは女子(をなこ)の誠、分つ袂にふり棄られて、あくがれて死(しな)んより、おん身刃(やいば)にかけてたべ(南総里見八犬伝)、
と、
(心がひかれるところから)気をもむ、
気が気でなくなる、
意や、
花にあくかるる昔を思出して(延慶本平家)、
と、
理想とするもの、また、目ざすものなどに心が奪われて落ち着かなくなる、
また、それを求めて思いこがれる、
意と(仝上)、
あこがる、
の意味にシフトし、中世になると、
特定の対象に心をひかれるという意味合いが強くなり、アコガルという語形も生じる、
とある(日本語源大辞典)。ちなみに、
心あくがる、
というと、
かくこころあくがれて、いかなるも、のどらかにうちおきたる物と見えぬくせなんありける(蜻蛉日記)、
と、
魂が身から抜け出て放心状態になる、
浮き浮きする、
夢中になる、
意で使う(精選版日本国語大辞典)。なお、
あこがれる、
については触れた。
「憧」(漢音ショウ、呉音シュ、慣用ドウ、)は、
会意兼形声。「心+音符童」で、心中がむなしく筒抜けであること、
とあり、自分の心をむなしくして、ひたすら遠くのものを恋い求める、
うっとりと気を取られる、
意とある(漢字源)。「童」は、
東(トウ 心棒を突きぬいた袋、太陽が突き抜けて出る方角)はつきぬく意を含む。童の下部は「東+土」。重や動の左側の部分と同じで、土(地面)をつきぬくように↓型に動作や重みがかかること。童は「辛(鋭い刃物)+目+音符東+土」で、刃物で目をつき抜いて盲人にした男のこと、
とあり、もともとは、
刃物で目を突きぬいて盲人にした男のどれい。転じて男の召使い、
を指し、「僕童」(男の奴隷や召使)といった使い方をするが、それが転じて、
わらべ(十五歳で成人して冠者となる)、
の意となる(仝上)。ただ、他は、
形声。「心」+音符「童 /*TONG/」(https://ja.wiktionary.org/wiki/%E6%86%A7)、
形声。心と、音符童(トウ)→(シヨウ)とから成る。(角川新字源)
形声文字です(忄(心)+童)。「心臓」の象形と「入れ墨をする為の針の象形と人の目の象形と重い袋の象形」(「目の上に入れ墨をされ、重い袋を背負わされた奴隷」の意味だが、ここでは、「動(ドウ)」に通じ(同じ読みを持つ「動」と同じ意味を持つようになって)、「動く」の意味)から、「心が動いて定まらない」、「あこがれる」を意味する「憧」という漢字が成り立ちました(https://okjiten.jp/kanji2176.html)、
と、何れも形声文字とする。
参考文献;
久保田淳訳注『新古今和歌集』(角川ソフィア文庫Kindle版)
大槻文彦『大言海』(冨山房)
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)
前田富祺編『日本語源大辞典』(小学館)
増井金典『日本語源広辞典』(ミネルヴァ書房)
ホームページ;http://ppnetwork.c.ooco.jp/index.htm
コトバの辞典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba.htm#%E7%9B%AE%E6%AC%A1
スキル事典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/skill.htm#%E3%82%B9%E3%82%AD%E3%83%AB%E4%BA%8B%E5%85%B8
書評;http://ppnetwork.c.ooco.jp/critic3.htm#%E6%9B%B8%E8%A9%95
この記事へのコメント