信濃道(しなぬぢ)は今の墾(は)り道刈りばねに足踏ましむな沓(くつ)はけ我が背(万葉集)、
の、
せ、
は、
背、
兄、
夫、
と当て、
いも(妹)の対、
である。主として女性が用い、
夫、兄弟、恋人などすべて男性を親しんでいう語、
とされる(精選版日本国語大辞典)。
せこ、
せな、
せなな、
せのきみ、
せろ、
せうと、
等々とともいう(仝上)。古えは、
兄弟、長幼を問はず、女は男を以て兄(せ)と言ふ、男は女を以て妹(いも)と言ふ(日本書紀・仁賢紀註)、
とある。女性が、自分の夫あるいは恋人である男性に対して用いる場合は、
後れ居て恋ひつつあらずは追ひ及(し)かむ道の隈廻(くまみ)に標(しめ)結へ吾が勢(セ)(万葉集)、
と、
畏敬の念を伴わない、
とされ、女性が、
兄または弟に対して用いる場合は、
言問はぬ木すら妹(いも)と兄(せ)と有りと云ふをただ独り子にあるが苦しさ(万葉集)、
と、
年齢の上下を区別しない、
とし、男性が、兄弟その他の親しい男性に対して用いる場合は、
向かつ峰(を)に立てる制(セ)らが柔手(にこで)こそ我が手を取らめ(日本書紀)、
と、
歌語に特有である、
とある(仝上)。これが、
ながらふる妻吹く風の寒き夜に我がせ(勢)の君はひとりか寝(ぬ)らむ(万葉集)
と、専ら、
結婚の相手としてきまった男、
妻問い婚の時代に、訪れてくることを許した男を女が呼ぶ称、
になる(岩波古語辞典・大言海)。これは、
いも、
が、
いもうと、
に変化したのに対応して、
せ、
が、
せうと、
に変化したのに伴い、
せ、
は、
夫、
の意に収斂していった(日本語源大辞典)ようである。この、
せ、
は、
兄(エ)の転か、朝鮮語にも、セと云ふ(大言海)、
セ(背)の高いところから(名言通)、
セ(兄)はエ(甲)の義、セ(夫)はテ(手)の義(言元梯)、
等々あるが、普通に考えると、
兄(エ)の転、
とするのが妥当なのだろう。
せ、
が、
いも→いもうと、
の変化に対応して使われた、
せうと(しょうと)、
は、
兄人、
背人、
と当て、
セヒトの音便形である(岩波古語辞典・精選版日本国語大辞典)。
せうと、
は、
二条の后に忍びて参りけるを、世の聞えありければ、せうとたちのまもらせ給ひけるとぞ(伊勢物語)、
と、
女からみて同腹の兄、または弟をいう語、
であり、また、
京極中納言の御むすめ、……民部卿の典侍(すけ)のせうとにてぞおはしける(十六夜日記)、
と、
女からみて姉または妹をいう語、
であるが、平安末期以降、
かのせうとの童(わらは)なる、率(ゐ)ておはす(源氏物語)、
公世の二位のせうとに、良覚僧正と聞えしは(徒然草)、
と、
男の兄弟。兄または弟をいう語、
となり、後には、
もっぱら兄をさす、
とある(精選版日本国語大辞典・広辞苑)。また、「せ(兄)」の敬称として。
せのきみ(背の君・兄の君・夫の君)、
という使い方もされる。
兄(エ)の転、
とされるが、
兄(え)、
と
兄(せ)、
では意味が違う。
イモ(妹)、
は、
セ(兄)、
と対であるが、
エ(兄)、
は、
オト(弟)、
と対である。
エ(兄)とオト(弟)、
については、
あに、
で触れた。
え、
は、
元来ヤ行のエ、
で、
兄、
姉、
と当て(岩波古語辞典)、
同母の子のうち年少者から見た同性の年長者。弟から見た兄、妹から見た姉、
を指す(仝上)。下から見て、
え、
というのは、
うへ(上、古くはウハ)、
という意味ではあるまいか。『大言海』も、
上(うへ)の約(貴(あて)も、上様(うはて)の約ならむ)、
としている。対語の、
おと、
は、
弟、
乙、
と当て、年上から見て、同性の下のものをいい、
兄に対する弟、
姉に対する妹、
をいった(岩波古語辞典)。で、
え、
は、
弟から見た兄、妹から見た姉、
おと、
は、
兄から見た弟、姉から見た妹、
となる(岩波古語辞典)。なお、
おと、
は、
オトス(落)・オトル(劣)のオトと同根、オトは低い位置、必要な力の少ししかない状態(岩波古語辞典)、
年劣る義、乙の字をも用ゐるは、甲乙の義にて、次なる意か(大言海)、
とある。
(「兄」 甲骨文字・殷 https://ja.wiktionary.org/wiki/%E5%85%84より)
「兄」(漢音ケイ、呉音キョウ)は、
象形。兄は頭の大きい子を描いたもので、大きいの意を含む、
とある(漢字源)。別に、
象形。頭蓋骨が固まった子どもの形から。固まっていないのは兒(児)(https://ja.wiktionary.org/wiki/%E5%85%84)、
指事。儿の上に(頭の意)を加えて、頭部の大きな人の意を表す。転じて、年長者の意に用いる。なお、篆文(てんぶん)・楷書(かいしよ)では、兄と、祝(・)の旁(つくり)の兄とが、同じ字形になっているが、もとは異なっていた(角川新字源)、
会意文字です(口+儿)。「口」の象形と「人」の象形から上に立って妹・弟の世話をする「あに」を意味する「兄」という漢字が成り立ちました(https://okjiten.jp/kanji35.html)、
とあり、諸説ばらばらである。
参考文献;
大槻文彦『大言海』(冨山房)
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)
前田富祺編『日本語源大辞典』(小学館)
ホームページ;http://ppnetwork.c.ooco.jp/index.htm
コトバの辞典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba.htm#%E7%9B%AE%E6%AC%A1
スキル事典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/skill.htm#%E3%82%B9%E3%82%AD%E3%83%AB%E4%BA%8B%E5%85%B8
書評;http://ppnetwork.c.ooco.jp/critic3.htm#%E6%9B%B8%E8%A9%95