紫の雲路にさそふ琴の音(ね)に憂き世を払ふ峰の松風(寂連法師)、
の詞書に、
十楽の心をよみ侍りけるに、聖衆来迎樂、
とある、
十樂(じゅうらく)、
は、
西方浄土で受ける十種の樂、
とあり、『往生要集』に詳述され、
聖衆来迎樂はその第一、
とある(久保田淳訳注『新古今和歌集』)。
寂連法師は、冒頭の歌の他に、
十楽の第二、蓮華初開楽
についての歌として、
これやこの憂き世のほかの春ならむ花のとぼそのあけぼのの空、
十楽の第五、快楽不退楽
についての歌として、
春秋も限らぬ花におく露はおくれ先立つ恨みやはある、
十楽の第六、引接結縁楽
についての歌として、
立ちかへり苦しき海におく網も深き江にこそ心引くらめ
の歌の載せている(「とぼそ(樞)」については触れた)。
十楽、
は、『往生要集』大文第二「欣求浄土門」に説示される、浄土に往生した者が受ける十種の快楽のこと、
をいい、
浄土十楽、
ともいう(http://jodoshuzensho.jp/daijiten/index.php/%E5%8D%81%E6%A5%BD)。『往生要集』では、
今、私は十種の楽を挙げて、極楽浄土を讃ほめようと思うが、それはちょうど、一筋の毛で大海の水を滴らせるようなものである。第一には聖衆来迎の楽、第二には蓮華初開の楽、第三には身相神通の楽、第四には五妙境界の楽、第五には快楽無退の楽、第六には引接結縁の楽、第七には聖衆倶会の楽、第八には見仏聞法の楽、第九には随心供仏の楽、第十には増進仏道の楽である、
と書き始めている(http://www.yamadera.info/seiten/d/yoshu1_j.htm)が、「十楽」とは、
①聖衆来迎楽。臨終時に苦しみがなく、阿弥陀仏や観音・勢至菩薩が来迎して浄土に引接してくれる、
②蓮華初開楽。蓮華のつぼみの中に寄託して浄土に往生し、その蓮華が初めて開くとき、清浄の眼を得て浄土の荘厳を見ることができる、
③身相神通楽。三二の勝れた特質(三二相)を持つ身と天眼などの五種の神通力を得ることができる、
④五妙境界楽。浄土では、五感の対象となるものすべてが、清らかで勝れたこよなきものとなっている、
⑤快楽無退楽。浄土では、行者がもはや退転することなく楽を受けることができる、
⑥引接結縁楽。縁故のある人びとを浄土に迎えとることができる、
⑦聖衆俱会楽。多くの聖者たちと浄土で会うことができる、
⑧見仏聞法楽。仏を見ることや、仏の法を聞くことが容易にできる、
⑨随心供仏楽。心のままに自由に阿弥陀仏や十方の諸仏を供養することができる、
⑩増進仏道楽。浄土の勝れた環境によって自然に仏道を増進して、ついにはさとりを得ることができる、
をいう(仝上)。
『往生要集』では、
『群疑論』五には浄土の三〇種の利益、
『安国鈔』では二四種の楽、
があることをあげて、
欣求浄土、
を勧めている(仝上)。鎌倉時代、
越前国坪江下郷十楽名、紀伊国阿氐河(あてがわ)荘十楽房、十楽名、
等々、しばしば仮名(けみよう)・法名として使われた(世界大百科事典)とあり、このように広く庶民の間で用いられるにつれて、
十楽、
は楽に力点を置いて理解されるようになった(仝上)という。戦国時代、諸国の商人の自由な取引の場となった伊勢の桑名、松坂を、
十楽の津、
十楽、
の町といい、関、渡しにおける交通税を免除された商人の集まる市(いち)で、不入権を持ち、地子を免除され、債務や主従の縁の切れるアジールでもあった市を、
楽市、
楽市場、
といったように、
十楽、
楽、
は中世における自由を表現する語となった(仝上・マイペディア)。織田信長の、
楽市・楽座、
もその意味であるが、江戸時代に入るとこうした楽は抑制され、地域によっては被差別民を「らく」と呼んだ事例があるように、この語の意味自体、大きく逆転する場合もみられた(仝上)とある。
なお、
往生要集、
は、
往生集、
ともいい、源信が、
百六十余部の仏教経典、論疏から九五二文に及ぶ要文を集め、極楽浄土に往生するためには、念仏の実践が最も重要であることを示した書、
で(http://jodoshuzensho.jp/daijiten/index.php/%E5%BE%80%E7%94%9F%E8%A6%81%E9%9B%86)、これにより浄土教の基礎が確立された。その構成は、
①厭離穢土②欣求浄土③極楽証拠④正修念仏⑤助念方法⑥別時念仏⑦念仏利益⑧念仏証拠⑨往生諸行⑩問答料簡、
の一〇門(大文)からなり(仝上)、その序文で、
それ往生極楽の教行は、濁世末代の目足なり。道俗貴賤、誰か帰せざる者あらん。ただし顕密の教法は、その文、一にあらず。事理の業因、その行これ多し。利智精進の人は、いまだ難しと為さざらんも、予が如き頑魯の者、あに敢てせんや、
と、撰述の目的を述べている。
(「樂(楽)」 https://kakijun.jp/page/gaku15200.htmlより)
「田楽」で触れたように、「樂(楽)」(ガク、ラク)は、
象形。木の上に繭のかかったさまを描いたもので、山繭が、繭をつくる櫟(レキ くぬぎ)のこと。そのガクの音を借りて、謔(ギャク おかしくしゃべる)、嗷(ゴウ のびのびとうそぶく)などの語の仲間に当てたのが音楽の樂。音楽で楽しむというその派生義を表したのが快楽の樂。古くはゴウ(ガウ)の音があり、好むの意に用いたが、今は用いられない、
とある(漢字源)。音楽の意では「ガク」、楽しむ意では、「ラク」と訓む。しかし、この、
「木」に繭まゆのかかる様を表し、櫟(くぬぎ)の木の意味。その音を仮借、
とする説(藤堂明保)、
に対し、
柄のある手鈴の形。白が鈴の部分、
とする説(白川静)がある(字通)。また別に、
象形。木に糸(幺)を張った弦楽器(一説に、すずの形ともいう)にかたどり、音楽、転じて「たのしむ」意を表す、
とも(角川新字源)、
象形文字です。「どんぐりをつけた楽器」の象形から、「音楽」を意味する「楽」という漢字が成り立ちました。転じて(派生して・新しい意味が分かれ出て)、「たのしい」の意味も表すようになりました、
とするものもある(https://okjiten.jp/kanji261.html)。
参考文献;
久保田淳訳注『新古今和歌集』(角川ソフィア文庫Kindle版)
ホームページ;http://ppnetwork.c.ooco.jp/index.htm
コトバの辞典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba.htm#%E7%9B%AE%E6%AC%A1
スキル事典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/skill.htm#%E3%82%B9%E3%82%AD%E3%83%AB%E4%BA%8B%E5%85%B8
書評;http://ppnetwork.c.ooco.jp/critic3.htm#%E6%9B%B8%E8%A9%95