2024年12月14日
たまゆら
たまゆらの露も涙もとどまらずなき人恋ふる宿の秋風(新古今和歌集)、
の、
たまゆらの、
は、
しばしの、
の意、
「玉」の連想で、下の「露」「涙」と縁語、
とある(久保田淳訳注『新古今和歌集』)。
たまゆら、
は、
玉響、
と当て、
玉響(たまかぎる)きのふの夕(ゆふへ)見しものを今日の朝(あした)に恋ふべきものか(万葉集)、
の、
玉響、
を、
玉がゆらぎ触れ合うことのかすかなところから(デジタル大辞泉)、
玉が触れ合ってかすかに音を立てる意として(広辞苑)、
物に着けたる玉の、揺らぎ触れ合ふ音の、幽かなるより(大言海)、
ユラは擬声語、鈴や玉が触れ合う音のかすかなところから(日本古語大辞典=松岡静雄)、
等々から、
たまゆら、
と訓じたことから生れた語である(広辞苑・岩波古語辞典)。
たまゆら、
の、
ゆら、
は、
玉のふれあう音。その音をかすかなこととし、そこから短い時間の意に転じた、
と解されて(精選版日本国語大辞典)、鎌倉初期の歌学書「八雲御抄(やくもみしょう)」(順徳天皇)には、
玉ゆら、しばし、
とあり、
たまゆらの命、
というように、
ほんのしばらくの間、
一瞬、
しばし、
の意で、
いずれの所を占めて、いかなるわざをしてか。しばしもこの身を宿し、たまゆらも心をやすむべき(方丈記)、
と使うが、
玉響に昨日の夕見しものを今日の朝は恋ふべきものか(風雅集)、
と、原義に近い、
幽かに、
の意でも使う(広辞苑・大言海)。この意味からだろうか、
玉響、……露の多く置きたる躰を云ふ語(匠材集)、
と、
草などに露の玉が宿っているさま、
にもいう(広辞苑・岩波古語辞典)。
「響」(漢音キョウ、呉音コウ)は、「響(どよ)む」で触れたよう、
会意兼形声。卿(郷 ケイ)は「人の向き合った姿+皀(ごちそう)」で、向き合って会食するさま。饗(キョウ)の原字。郷は「邑(むらざと)+音符卿の略体」の会意兼形声文字で、向き合ったむらざと、視線や方向が空間をとおって先方に伝わる意を含む。響は「音+音符卿」で、音が空気に乗って向こうに伝わること、
とある(漢字源)が、
「郷(鄕)」は「邑」+音符「卿」の会意形声文字で、「邑(むらざと)」で「卿」は向かい合って会食する様を示す。向かい合って音が「ひびく」様、
とも(https://ja.wiktionary.org/wiki/%E9%9F%BF)、
会意兼形声文字です(郷(鄕)+音)。「ごちそうを真ん中にして二人が向き合う」象形(「向き合う」の意味)と「取っ手のある刃物の象形と口に縦線を加えた文字」(「音(おと)」の意味)から、向き合う音、すなわち、「ひびき」、「ひびく」を意味する「響」という漢字が成り立ちました、
ともある(https://okjiten.jp/kanji1325.html)。
参考文献;
久保田淳訳注『新古今和歌集』(角川ソフィア文庫Kindle版)
大槻文彦『大言海』(冨山房)
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)
ホームページ;http://ppnetwork.c.ooco.jp/index.htm
コトバの辞典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba.htm#%E7%9B%AE%E6%AC%A1
スキル事典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/skill.htm#%E3%82%B9%E3%82%AD%E3%83%AB%E4%BA%8B%E5%85%B8
書評;http://ppnetwork.c.ooco.jp/critic3.htm#%E6%9B%B8%E8%A9%95
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