白栲(しろたへ)
春過ぎて夏来(きた)るらし白栲(しろたへ)の衣干したり天の香具山(万葉集)
の、
白栲、
は、
まっ白い、
の意、
栲、
は、
楮の樹皮で作った白い布、
とあり(伊藤博訳注『新版万葉集』)、
衣干したり、
を、
白い布を斎衣と見たものか、
と注釈する(伊藤博訳注『新版万葉集』)。
白栲、
は、
しらたへ、
とも訓ませ、
白妙、
白細、
とも当てる(大言海)が、
妙、
細、
は、借字とある(仝上)。
しきたへ、
で触れたように、
栲(たへ)、
は、
𣑥、
とも当て、
たく、
ともいい(大言海)、
楮(こうぞ)類の皮からとった白色の繊維、またそれで織った布(岩波古語辞典)、
梶(かじ)の木などの繊維で織った、一説に、織目の細かい絹布。布(精選版日本国語大辞典)、
殻の木の糸(祭に用ゐるときは木綿(ユフ)とも云ふ)を以て織りなせる布(大言海)、
古へかぢの木の皮の繊維にて織りし白布(字源)、
等々とあり、
コウゾの古名(デジタル大辞泉)、
「かじのき(梶木)」、または「こうぞ(楮)」の古名(精選版日本国語大辞典)、
ともあるのは、
カジノキとコウゾは古くはほとんど区別されていなかったようである。中国では「栲」の字はヌルデを意味する。「栲(たく)」は樹皮を用いて作った布で、「タパ」と呼ばれるカジノキなどの樹皮を打ち伸ばして作った布と同様のものとされる、
とある(精選版日本国語大辞典)。
純白で光沢がある、
ため(仝上)、
色白ければ、常に白き意に代へ用ゐる
とあり(大言海)、
白栲(しろたへ)、
和栲(にぎたへ)、
栲(たへ)の袴、
栲衾(たくぶすま)、
などという(仝上・字源)。
栲、
は、
ハタヘ(皮隔)の義(言元梯)、
たへ(手綜)の義(日本古語大辞典=松岡静雄・続上代特殊仮名音義=森重敏)、
と、「織る」ことと関わらせる説もある(「綜(ふ)」については触れた)が、
堪(た)へにて、切れずの義か、又、妙なる意か、
とある(大言海)ように、
妙、
と同根とされる(岩波古語辞典)。また、
御服(みそ)は明る妙(タヘ)・照る妙(タヘ)・和(にき)妙(タヘ)・荒妙(あらたへ)に称辞竟(たたへごとを)へまつらむ(「延喜式(927)祝詞(九条家本訓)」)、
とあるように、
布類の総称、
として、
妙、
を当てている(精選版日本国語大辞典)例もある。
しろたへ、
は、
春過ぎて夏来にけらし白たへの衣干すてふ天の香具山(新古今和歌集)
卯の花の咲きぬる時は白たへの波もて結へる垣根とぞ見る(仝上)
などと詠われるが、
栲(たえ)で作った製品の意で、繊維製品を表わす、
ので、
やすみしし我が大君の獣(しし)待つと呉床(あぐら)にいまし斯漏多閉能(シロタヘノ)衣手(そて)着備ふ(古事記)、
と、
「衣(ころも)」「衣で」「下衣(したごろも)」「袖(そで)」「たもと」「たすき」「帯」「紐(ひも)」「領巾(ひれ)」「天羽衣(あまのはごろも)」「幣帛(みてぐら)」、
などにかかり、白栲のように真白なの意で、
まそ鏡照るべき月を白妙乃(しろたへノ)雲か隠せる天つ霧かも(万葉集)、
と、
「君が手枕(たまくら)」「雲」「月」「雪」「光」「砂」「鶴(つる)」「梅」「菊」「卯(う)の花」、
など、白いものを表わす語にかかる(精選版日本国語大辞典)。
栲、
は、
上代において、衣料の素材として用いられていたため、「白栲」は、「万葉集」では、
衣服に関する語の枕詞として多用される。実生活に即した語ではあるが、一方で「白妙」という美称的表記も用いられ、歌語としての萌芽が認められる、
とある(精選版日本国語大辞典)。時代が下ると、「栲」が生活に用いられることはなくなり、それに伴って「白栲」は観念的なものとなっていき、歌語としては白色のみが強く意識され、白の象徴としての枕詞になっていく(仝上)とある。また、
白栲の衣、
は、
祭祀・葬礼・儀式のときなどに着用された、
といい(https://jmapps.ne.jp/kokugakuin/det.html?data_id=32053)、冒頭の、
春過ぎて夏来たるらし白たへの衣干したり天の香具山、
は、
香具山を祀る巫女達の斎衣(さいい)、
とも、
香具山での春の神事に奉仕した人々が身につける白衣、
とも考えられ(仝上)、そうした衣を干した光景を歌に詠んだものともされ(仝上)。安積(あさか)皇子が薨去したときに家持が詠んだ歌に、
皇子(みこ)の御門(みかど)の五月蠅(さばえ)なす騒く舎人は白たへに衣取り着て、
と、
舎人が喪服として白い衣を着している、
と詠っている(仝上)。因みに、
斎衣(さいい)、
は、
喪服、
の意、「後漢書」礼儀志に、
夜漏二十刻、太尉長冠を冠し、齋衣を衣(き)、~殿に詣(いた)る。~群臣、位に入り、太尉禮を行ふ。執事皆長冠を冠り、齋衣を衣る。太祝令、跪いて謚策(しさく)を讀む、
とあり(字通)、
裳のすそをぬひしもの、
とある(字源)。
「栲」(こう)は、「しきたへ」で触れたように、異体字は、
𣐊、𣑥、𣛖、
とある(https://ja.wiktionary.org/wiki/%E6%A0%B2)。字源は、
会意兼形声。「木+音符考(まがる)」で、くねくねと曲がった木、
とある(漢字源)が、
形声。声符は考(こう)。〔説文〕六上に𣐊に作り「山樗(さんちよ)なり」とし、「讀みて糗(きう)の若(ごと)くす」という。〔爾雅、釈木、注〕に「樗に似て色小(すこ)しく白く、山中に生ず。~亦た漆樹に類す」とあって、相似た木で、一類として扱われる(字通)、
と、形声文字とする説もある。
中国最古の字書『説文解字』(後漢・許慎)には、
紵緒の旁(つくり)を省き、合して木篇としたるもの、
とあり(大言海)、「栲」は、
樗(アフチ 「楝(あふち)」に似たる一種の喬木、
で、
栲栳量金買斷春(盧延譲詩)、
と、
栲栳(カウラウ)、
は、柳條をまげて作り、物を盛る器、
とある(字源・漢字源)。
「妙」(漢音ビョウ、呉音ミョウ)は、「妙見大悲者」で触れたように、
会意文字。少は「小+ノ(けずる)」の会意文字で、小さく削ることをあらわす。妙は「女+少」で、女性の小柄で細く、なんとなく美しい姿を示す。細く小さい意を含む、
とある(漢字源)。別に、
会意形声。女と、少(セウ→ベウ わかい)とから成り、年若い女、ひいて、美しい意を表す。また、杪(ベウ)・眇(ベウ)に通じて、かすかの意に用いる(角川新字源)、
会意兼形声文字です(女+少)。「両手をしなびやかに重ね、ひざまずく女性」の象形と「小さい点」の象形(「まれ・わずか」の意味)から、奥床しい女性(深みと品位がある女性)を意味し、そこから、「美しい」、「不思議ではかりしれない」を意味する「妙」という漢字が成り立ちました(https://okjiten.jp/kanji1122.html)、
と、会意兼形声文字ともあるが、
形声。声符は少(しよう)。少に従う字に眇・秒(びよう)の声がある。〔玉篇〕に字を玅に作り、「精なり」と訓し、「今妙に作る」という。〔老子、一〕の「其の妙を觀る」の妙を、〔馬王堆帛書、甲本〕に眇に作る。漢碑には妙を通行の体として用いるが、その形は〔説文〕にはみえない。〔広雅、釈詁一〕に「好なり」とするのが通訓である(字通)、
と、形声文字ともある。
参考文献;
伊藤博訳注『新版万葉集』(全四巻合本版)(角川ソフィア文庫)Kindle版)
大槻文彦『大言海』(冨山房)
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)
前田富祺編『日本語源大辞典』(小学館)
ホームページ;http://ppnetwork.c.ooco.jp/index.htm
コトバの辞典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba.htm#%E7%9B%AE%E6%AC%A1
スキル事典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/skill.htm#%E3%82%B9%E3%82%AD%E3%83%AB%E4%BA%8B%E5%85%B8
書評;http://ppnetwork.c.ooco.jp/critic3.htm#%E6%9B%B8%E8%A9%95
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