ますらをのさつ矢手挟(たばさ)み立ち向ひ射る円方(まどかた)は見るにさやけし(万葉集)
の、
円方、
は、
三重県松阪市東部、
とあり、
さつや、
は、
幸多き矢、矢のほめことば、
とある(伊藤博訳注『新版万葉集』)。
さつや、
の、
さつ、
は、
さち(幸)と同源(広辞苑)、
サツはサチ(矢)の古形(岩波古語辞典)、
サチ(幸)は獲物の意(日本語源大辞典・精選版日本国語大辞典)、
などとあるが、
「さち」の母音交替形「さつ(幸)」に「矢」がついたもの(精選版日本国語大辞典)、
とする説、
(「さちや」の「サチ」は、)サツヤ(猟矢)・サツヲ(猟人)のサツ(矢)の転(岩波古語辞典)、
とする説とに分かれ、
矢を意味する古代朝鮮語(sal)に求める(あるいはこれに霊威を表わす「ち」が付いたものとする)説がある。ただし「さつ矢」の他、「さつ弓」という語もあり、「さつ(ないし「さ」)」がただちに「矢」を意味する語であったとするには疑問が残る(精選版日本国語大辞典)、
とあり、はっきりしないが、いずれにせよ、
猟矢、
幸矢、
などと当て(仝上・デジタル大辞泉)、
猟に用いる矢(大言海・広辞苑)、
威力ある矢、縄文時代からあった石の矢じりの矢に対して、朝鮮から渡来した金属の矢じりの、強力有効な矢の意(岩波古語辞典)、
サチ(幸)を得るための狩猟用の矢(日本語源大辞典)、
とあり、意見が分かれるが、
さつや→さちや、
と転訛し、
狩猟用の矢、
の意である(岩波古語辞典)。
さつゆみ(猟弓・幸弓)、
さちゆみ(幸弓)、
と対であり(仝上・デジタル大辞泉・精選版日本国語大辞典)、
山の辺にい行くさつをは多かれど山にも野にもさ男鹿鳴くも(万葉集)、
と、
さつお(猟夫)、
というと、
サツ(矢)ヲ(男)、
で、
猟師を指す(仝上)。
さちや
は、
朝鮮語sal(矢)と同源(広辞苑・岩波古語辞典)、
さちや(猟矢)の義(大言海)、
サチヤ(刺霊矢)の義(日本古語大辞典=松岡静雄)、
と諸説あるが、もともと、
さち、
自体が、その由来に、
サツヤ(猟矢)・サツヲ(猟人)のサツ(矢)の転(岩波古語辞典)、
幸取(さきとり)の約略、幸(さき)は、吉(よ)き事なり、漁猟し物を取り得るは、身のために吉(よ)ければなり(古事記伝の説、尚、媒鳥(をきどり)、をとり。月隠(つきこもり)、つごもり。鉤(つりばり)を、チと云ふも、釣(つり)の約、項後(うなじり)、うなじ。ゐやじり、ゐやじ。サチを、サツと云ふは、音転也(頭鎚(かぶづち)、かぶつつ。口輪(くちわ)、くつわ)(大言海)、
サキトリ(幸取)の約略(古事記伝・菊池俗語考)、
サキトリ(先取)の義(名言通)、
山幸海幸のサチ、猟師をいうサツヲと関係ある語か(村のすがた=柳田國男)、
サツユミ(猟弓)、サツヤ(猟矢)、サツヲ(猟夫)などのサツの交換形(小学館古語大辞典)
矢を意味する古代朝鮮語salから生じた語か(日本語の年輪=大野晋)、
サチ(栄霊)の義(日本古語大辞典=松岡静雄)、
サは物を得ることを意味する(松屋筆記)、
サキの音転、サチヒコのサチは襲族の意(日鮮同祖論=金沢庄三郎)、
等々諸説あり、
さち、
は、
火遠理命(ほおりのみこと)、其の兄火照命(ほでりのみこと)に、各佐知(サチ)を相易へて用ゐむと謂ひて(古事記)、
と、
獲物を取る道具(広辞苑)、
狩や漁の道具、矢や釣針、また獲物を取る威力(岩波古語辞典)、
獲物をとるための道具。また、その道具のもつ霊力(精選版日本国語大辞典)、
上古、山に狩(かり)して、獣を取り得る弓の称(大言海)、
とされる。しかし、
威力あるものだけに、その矢にしろ、釣り針にしろ、その、
霊力、
を、
さち、
といい、さらに、その、
矢の獲物、
さらに、転じて、
幸福、
をも言うようになった(広辞苑)という意味の転化が納得がいく。
上古、山に狩(かり)して、獣を取り得る弓の称。又、幸弓(さきゆみ)と云ひ、其業を、山幸(やまさち)と云ひき、又海に漁(すなどり)して、魚を釣り得る鉤(チ 釣鉤(つりばり))をも、幸(サチ)と云ひ、又幸鉤(さちぢ)とも云ひ、其の業を海幸(うみさち)と云ひき。神代に、火遠理(ほをりの)命、幸弓(さちゆみ)を持ちたまへるに因りて、山幸彦と申し(彦火火出見尊(ひこほほでみのみこと)の御事なり)、其の兄火照(ほでりの)命、幸鉤(さちぢ)を持ちたまへるに因りて、海幸彦と申しき、
との説があり(大言海)、ここでは、この、
山幸彦、
から、
狩人(かりうど)、
を、
猟人(さつびと)、
猟夫(さつを)、
といい、その弓矢を、
猟矢(さつや)、
猟弓(さつゆみ)、
という説を採っている。で、道具の意の、
さち、
から、
各、其の利(サチ)を得ず(日本書紀)、
と、
漁や狩りの獲物の多いこと、また、その獲物、
の意となり、
凡人の子の福(さち)を蒙らまく欲りする事は、おやのためにとなも聞しめす(続日本紀)、
と、
都合のよいこと、
さいわいであること、
の意に転じて行く(精選版日本国語大辞典)。ただ、
さち→さき、
の転訛については、「道具」や「獲物」の状態表現と、価値表現である「さき(幸)」とは、関係ない語であったが、
「さち」を得られることが「さき」という情態につながることと、音声学上、第二音節の無声子音の調音点のわずかな違いをのぞけば、ほぼ同じ発音であることなどから、「さち」に「幸い」の意味が与えられるようになったと推定される、
とし(精選版日本国語大辞典)、上代の文献には、
ますらをの心思(おも)ほゆ大君の命(みこと)のさきを聞けば貴(たふと)み(万葉集)、
に、
さき(幸)、
はあるが、
さち、
の、
狩りや漁に関係しない、純然たる「幸い」の意味の確例は見られない、
としている(仝上)。なお、
猟矢を打ちつがひ、よっぴいて放つ(曽我物語)、
と、
猟矢、
は、
ししや、
とも訓ませ、
鹿矢、
とも当て、
さつや、
ともいい、
狩猟用の矢、
野矢(のや)、
の意となる(デジタル大辞泉)。
(「幸」 甲骨文字 字通より)
(「幸」 中国最古の字書『説文解字』 字通より)
「幸」(漢音コウ、呉音ギョウ)は、異体字が、
𦍒(異体字)、 𠂷(古字)、 𭎎(俗字)、
とあり(https://ja.wiktionary.org/wiki/%E5%B9%B8)、
象形。手にはめる手かせを描いたもので、もと手かせの意。手かせをはめられる危険を、危く逃れたこと。幸とは、もと刑や型と同系のことばで、報(仕返しの罰)や執(つかまえる)の字に含まれる。幸福の幸は、その範囲がやや広がったもの、
とある(漢字源)。同趣旨で、
象形文字です。「手かせ」の象形でさいわいにも手かせをはめられるのを免れた事を意味し、そこから、「しあわせ」を意味する「幸」という漢字が成り立ちました(https://okjiten.jp/kanji43.html)、
象形。手械(てかせ)の形。これを手に加えることを執という。〔説文〕十下に「吉にして凶を免るるなり」とし、字を屰(ぎゃく)と夭(よう)とに従い、夭死を免れる意とするが、卜文・金文の字形は手械の象形。これを加えるのは報復刑の意があり、手械に服する人の形を報という。幸の義はおそらく倖、僥倖にして免れる意であろう。のち幸福の意となり、それをねがう意となり、行幸・侍幸・幸愛の意となるが、みな倖字の意であろう(字通)、
ともあるが、別に、
会意。夭(よう)(土は変わった形。わかじに)と、屰(げき)(さかさま。は変わった形)とから成る。若死にしないでながらえることから、「さいわい」の意を表す。一説に、もと、手かせ()の象形で、危うく罰をのがれることから、「さいわい」の意を表すという(角川新字源)、
と会意文字とするものもある。しかし、手械(てかせ)を象る象形文字と解釈する説があるが、これは「幸」と「㚔」との混同による誤った分析である、
とし(https://ja.wiktionary.org/wiki/%E5%B9%B8)、また、
『説文解字』では「屰」+「夭」と説明されているが、篆書の形を見ればわかるようにこれは誤った分析である、
ともあり(仝上)、
「犬」と「矢」の上下顛倒形とから構成されるが、その造字本義は不明、
としている(仝上)。
「獵(猟)」(リョウ)は、異体字に、
猎(簡体字)、猟(新字体 「獵」の略体)
がある(https://ja.wiktionary.org/wiki/%E7%8D%B5)が、
会意兼形声。「犬+音符巤(リョウ 毛深い、数多い)」。犬を伴うのは、狩猟に犬を使用したからであろう。手当たり次第に数多くあさりとること、
とある(漢字源)。別に、
会意兼形声文字です(犭(犬)+鼡(巤))。「耳を立てた犬」の象形と「頭の象形と長いたてがみ」の象形から、犬を使って長いたてがみの獣を「かる(狩猟)」を意味する「猟」という漢字が成り立ちました、
ともある(https://okjiten.jp/kanji1311.html)が、他は、
形声。「犬」+音符「巤 /*RAP/」。「かる」を意味する漢語{獵 /*rap/}を表す字(https://ja.wiktionary.org/wiki/%E7%8D%B5)、
形声。犬と、音符巤(レフ)とから成る。「かり」の意を表す。常用漢字は省略形による。(角川新字源)、
形声。旧字は獵に作り、巤(りよう)声。巤は獣のたてがみのある形。〔説文〕十上に「放獵するなり。禽(きん)を逐ふなり」とする。狩猟は祭祀のために行われることも多く、〔爾雅、釈天〕に春猟を蒐(しゆう)、夏猟を苗(びよう)、秋猟を獮(せん)、冬猟を狩というとし、〔白虎通〕にその総名を獵(猟)というとする。古くは「うけひ狩り」などが行われたが、のちには遊猟のことがさかんになり、漢賦以来、そのことを歌うものが多い(字通)、
と、形声文字とする。
参考文献;
伊藤博訳注『新版万葉集』(全四巻合本版)(角川ソフィア文庫)Kindle版)
大槻文彦『大言海』(冨山房)
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)
前田富祺編『日本語源大辞典』(小学館)
ホームページ;http://ppnetwork.c.ooco.jp/index.htm
コトバの辞典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba.htm#%E7%9B%AE%E6%AC%A1
スキル事典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/skill.htm#%E3%82%B9%E3%82%AD%E3%83%AB%E4%BA%8B%E5%85%B8
書評;http://ppnetwork.c.ooco.jp/critic3.htm#%E6%9B%B8%E8%A9%95