夫人(ぶにん)


我が里に大雪(おほゆき)降れり大原の古りにし里に降らまくは後(のち)(天武天皇)、

の詞書(和歌や俳句の前書きで、万葉集のように、漢文で書かれた場合、題詞(だいし)という)にある、

天皇、藤原夫人(ふぢはらのぶにん)に賜 ふ御歌一首、

とある、

夫人、

は、

天皇妻妾の第三位、

とあり(伊藤博訳注『新版万葉集』)、

藤原鎌足の娘、五百重娘。新田部皇子の母、

という(仝上)。

ぶにん、

は、

「ぶ」「にん」は、「夫」「人」の呉音、

で、

夫人、

は、

ふじん、

とも訓ますが、もともとは、

夫人、

の、

夫、

は、漢語で、

夫は扶にして道を以て良人を扶くる義(字源)、
夫は扶なり、能く良人の徳を扶け成すの意(大言海)、

と、古くは、

進百金者、将為用夫人麤糲之費、得以交足下之歎(史記・刺客傳)、

と、

人の母の称、

や、

汝南傳云、元義謂人曰、此我故婦非有他過、家夫人、遇之實酷(後漢書・應奉傳「注」)

と、

おのれの母、

をいったが、

夫人以勞諸侯(周禮・考工記)、

と、

天子の妾、后の次位、

の意や、

天子之妃曰后、諸侯曰夫人(曲禮)、

と、

諸侯の正妻、また貴人の妻、

を指し(字源)、

漢魏以来、諸侯の妻にあらざるも広く貴人の妻の敬称とす、

とある(仝上)。。

中国で、古代天子の妃または諸侯の妻、

の称である、

夫人、

を、日本では、

大臣の娘などで、後宮に入った三位以上の女官、

に当てた(仝上・広辞苑)とある。

夫人、

は、

皇后、妃につぎ、嬪(ひん)の上に位置し、令の規定では三位以上の女性から選ばれ、三人置くことができた、

という(「令義解(718)」)。

聖武(しょうむ)天皇の夫人藤原光明子(こうみょうし)をはじめ、夫人から皇后にのぼった例も二、三あるが、平安初期から現れた、

女御(にょうご)・更衣制度、

が導入されると、この地位がしだいに向上し、嵯峨(さが)天皇の夫人藤原緒夏(おなつ)を最後として廃絶した(日本大百科全書)とある。なお、天皇の母にして夫人位にあるものを、

皇太夫人、

といい、とくに中宮職(ちゅうぐうしき)を付置されて后位に准ずる優遇を受けたが、これも醍醐(だいご)天皇の養母藤原温子(おんし)を最後として廃絶した(仝上)。

女御、

は、

にょご、

とも訓ませ、延喜式(927成立)には、

妃、夫人、女御(にようご)、

の后妃がみえるが、定員のない女御は光仁朝に登場し、平安初期に、

更衣(こうい)

が生まれて、妃、夫人の称号は廃絶した(山川日本史小辞典)とある。

女御、

は、令制の、

妃(ひ)、夫人(ぶにん)、嬪(ひん)の下位に位置づけられた、

が、その子は必ず親王とされ、嵯峨朝以降の源氏賜姓からも除外された。女御には位階や定員についての規定もなく、比較的自由な任命が可能であった(世界大百科事典)とされ、初見は、

桓武朝における紀乙魚(おといお)、

とするが、実質的には光仁朝においてすでに存在した(仝上)とある。淳和朝以降、

妃、夫人、嬪、

などがほとんど置かれなくなり、ときとして皇后すら置かれなかったこともあったから、後宮における女御の地位は徐々に高まった。10世紀に入ると皇后も女御から昇進するようになり、位階も、やがて入内と同時に従三位に叙せられるようになった。女御には摂関大臣等有力貴族の女が任用された(世界大百科事典)。

妃、夫人、嬪、

が置かれなくなって以降は、

皇后・中宮の下で更衣の上、

の位置で、

おおむね内親王・女王および親王・摂関・大臣の子女で、平安中期以後は、次いで皇后に立てられるものも出た(精選版日本国語大辞典)。因みに、

中宮、

は、

皇后と同格の后(きさき)、

をいい、

新しく立后したものを皇后と区別していう称、

とある(広辞苑)。一条天皇のとき、

藤原定子と彰子の2人が皇后に立つことになったので彰子を中宮と称してから、皇后につぐ后をさすようになった。皇后と同じ資格・待遇を与えられた、

とある(旺文社日本史事典)。

更衣

は、

古代の天皇の令外の〈きさき〉の称、

で、

女御(にようご)の下位にあり、ともに令制の嬪(ひん)の下位に位置づけられた。位階は五位または四位止りであった。皇子女をもうけた後は御息所(みやすどころ)とよばれたが、出身が皇親氏族・藤原氏・橘氏など有力氏族以外の更衣所生の皇子女は源氏となった、

とある(山川日本史小辞典)。なお、

ふうし、

と訓ます、

孔子、

を指す、

夫人

については、別に触れた。

「夫」.gif

(「夫」 https://kakijun.jp/page/0442200.htmlより)

「夫」 甲骨文字・殷.png

(「夫」 甲骨文字・殷 https://ja.wiktionary.org/wiki/%E5%A4%ABより)

「夫」(①フウ、②漢音フ・呉音ブ)は、

象形。大の字に立った人の頭に、まげ、また冠のしるしをつけた姿をえがいたもので、成年に達した男をあらわす、

とある(漢字源)。「人夫」「丈夫」というように、「成年に達したおとこ」の意、「おっと」の意は、①の音、助詞の「それ」「かな」、指示代名詞の「かの」は、②の音となる(仝上)。同趣旨で、

象形。頭部にかんざしをさして、正面を向いて立った人の形にかたどる。一人まえの男の意を表す。借りて、助字に用いる(角川新字源)、

象形。もと「大」と同形で、大人の形。意味のない装飾的な横棒を加えて「夫」の字体となる。甲骨文字では「大」と「夫」の両字は厳密な使い分けがされていなかったが、のちに用法に従って区別するようになった。「成人男子」を意味する漢語{夫 /*p(r)a/}を表す字(https://ja.wiktionary.org/wiki/%E5%A4%AB)

象形。大は人の正面形。その頭に髪飾りの簪(かんざし)を加えて、男子の正装の姿を示す。妻は女子が髪飾りを加えた形。夫妻は結婚のときの男女の正装を示す字形である。〔説文〕十下に「丈夫なり。大に從ふ。一は以て簪(しん)に象るなり」という。金文に人を数えるとき、〔鼎(こつてい)〕「厥(そ)の臣二十夫」「衆一夫」のようにいう。夫は労務に服するもの、その管理者を大夫という。夫人とは「夫(か)の人」、先生を「夫子(ふうし)(夫(か)の人)」というのと同じく、婉曲にいう語法である。「それ」は発語、「かな」は詠嘆の助詞(字通)、

と、象形文字とするが、

指事文字です。「成人を表す象形に冠のかんざしを表す「一」を付けて、「成人の男子、おっと」を意味する「夫」という漢字が成り立ちましたhttps://okjiten.jp/kanji41.html

と、指示文字とするものもある。ただ、

『説文解字』では簪を挿した人の姿と解釈されているが、これは誤った分析である。簪は「幵」と書かれ、単なる横棒で表現されることは無い、

としている(https://ja.wiktionary.org/wiki/%E5%A4%AB)

参考文献;
伊藤博訳注『新版万葉集』(全四巻合本版)(角川ソフィア文庫)Kindle版)

ホームページ;http://ppnetwork.c.ooco.jp/index.htm
コトバの辞典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba.htm#%E7%9B%AE%E6%AC%A1
スキル事典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/skill.htm#%E3%82%B9%E3%82%AD%E3%83%AB%E4%BA%8B%E5%85%B8
書評;http://ppnetwork.c.ooco.jp/critic3.htm#%E6%9B%B8%E8%A9%95

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