2025年01月14日

夫人(ぶにん)


我が里に大雪(おほゆき)降れり大原の古りにし里に降らまくは後(のち)(天武天皇)、

の詞書(和歌や俳句の前書きで、万葉集のように、漢文で書かれた場合、題詞(だいし)という)にある、

天皇、藤原夫人(ふぢはらのぶにん)に賜 ふ御歌一首、

とある、

夫人、

は、

天皇妻妾の第三位、

とあり(伊藤博訳注『新版万葉集』)、

藤原鎌足の娘、五百重娘。新田部皇子の母、

という(仝上)。

ぶにん、

は、

「ぶ」「にん」は、「夫」「人」の呉音、

で、

夫人、

は、

ふじん、

とも訓ますが、もともとは、

夫人、

の、

夫、

は、漢語で、

夫は扶にして道を以て良人を扶くる義(字源)、
夫は扶なり、能く良人の徳を扶け成すの意(大言海)、

と、古くは、

進百金者、将為用夫人麤糲之費、得以交足下之歎(史記・刺客傳)、

と、

人の母の称、

や、

汝南傳云、元義謂人曰、此我故婦非有他過、家夫人、遇之實酷(後漢書・應奉傳「注」)

と、

おのれの母、

をいったが、

夫人以勞諸侯(周禮・考工記)、

と、

天子の妾、后の次位、

の意や、

天子之妃曰后、諸侯曰夫人(曲禮)、

と、

諸侯の正妻、また貴人の妻、

を指し(字源)、

漢魏以来、諸侯の妻にあらざるも広く貴人の妻の敬称とす、

とある(仝上)。。

中国で、古代天子の妃または諸侯の妻、

の称である、

夫人、

を、日本では、

大臣の娘などで、後宮に入った三位以上の女官、

に当てた(仝上・広辞苑)とある。

夫人、

は、

皇后、妃につぎ、嬪(ひん)の上に位置し、令の規定では三位以上の女性から選ばれ、三人置くことができた、

という(「令義解(718)」)。

聖武(しょうむ)天皇の夫人藤原光明子(こうみょうし)をはじめ、夫人から皇后にのぼった例も二、三あるが、平安初期から現れた、

女御(にょうご)・更衣制度、

が導入されると、この地位がしだいに向上し、嵯峨(さが)天皇の夫人藤原緒夏(おなつ)を最後として廃絶した(日本大百科全書)とある。なお、天皇の母にして夫人位にあるものを、

皇太夫人、

といい、とくに中宮職(ちゅうぐうしき)を付置されて后位に准ずる優遇を受けたが、これも醍醐(だいご)天皇の養母藤原温子(おんし)を最後として廃絶した(仝上)。

女御、

は、

にょご、

とも訓ませ、延喜式(927成立)には、

妃、夫人、女御(にようご)、

の后妃がみえるが、定員のない女御は光仁朝に登場し、平安初期に、

更衣(こうい)

が生まれて、妃、夫人の称号は廃絶した(山川日本史小辞典)とある。

女御、

は、令制の、

妃(ひ)、夫人(ぶにん)、嬪(ひん)の下位に位置づけられた、

が、その子は必ず親王とされ、嵯峨朝以降の源氏賜姓からも除外された。女御には位階や定員についての規定もなく、比較的自由な任命が可能であった(世界大百科事典)とされ、初見は、

桓武朝における紀乙魚(おといお)、

とするが、実質的には光仁朝においてすでに存在した(仝上)とある。淳和朝以降、

妃、夫人、嬪、

などがほとんど置かれなくなり、ときとして皇后すら置かれなかったこともあったから、後宮における女御の地位は徐々に高まった。10世紀に入ると皇后も女御から昇進するようになり、位階も、やがて入内と同時に従三位に叙せられるようになった。女御には摂関大臣等有力貴族の女が任用された(世界大百科事典)。

妃、夫人、嬪、

が置かれなくなって以降は、

皇后・中宮の下で更衣の上、

の位置で、

おおむね内親王・女王および親王・摂関・大臣の子女で、平安中期以後は、次いで皇后に立てられるものも出た(精選版日本国語大辞典)。因みに、

中宮、

は、

皇后と同格の后(きさき)、

をいい、

新しく立后したものを皇后と区別していう称、

とある(広辞苑)。一条天皇のとき、

藤原定子と彰子の2人が皇后に立つことになったので彰子を中宮と称してから、皇后につぐ后をさすようになった。皇后と同じ資格・待遇を与えられた、

とある(旺文社日本史事典)。

更衣

は、

古代の天皇の令外の〈きさき〉の称、

で、

女御(にようご)の下位にあり、ともに令制の嬪(ひん)の下位に位置づけられた。位階は五位または四位止りであった。皇子女をもうけた後は御息所(みやすどころ)とよばれたが、出身が皇親氏族・藤原氏・橘氏など有力氏族以外の更衣所生の皇子女は源氏となった、

とある(山川日本史小辞典)。なお、

ふうし、

と訓ます、

孔子、

を指す、

夫人

については、別に触れた。

「夫」.gif

(「夫」 https://kakijun.jp/page/0442200.htmlより)

「夫」 甲骨文字・殷.png

(「夫」 甲骨文字・殷 https://ja.wiktionary.org/wiki/%E5%A4%ABより)

「夫」(①フウ、②漢音フ・呉音ブ)は、

象形。大の字に立った人の頭に、まげ、また冠のしるしをつけた姿をえがいたもので、成年に達した男をあらわす、

とある(漢字源)。「人夫」「丈夫」というように、「成年に達したおとこ」の意、「おっと」の意は、①の音、助詞の「それ」「かな」、指示代名詞の「かの」は、②の音となる(仝上)。同趣旨で、

象形。頭部にかんざしをさして、正面を向いて立った人の形にかたどる。一人まえの男の意を表す。借りて、助字に用いる(角川新字源)、

象形。もと「大」と同形で、大人の形。意味のない装飾的な横棒を加えて「夫」の字体となる。甲骨文字では「大」と「夫」の両字は厳密な使い分けがされていなかったが、のちに用法に従って区別するようになった。「成人男子」を意味する漢語{夫 /*p(r)a/}を表す字(https://ja.wiktionary.org/wiki/%E5%A4%AB)

象形。大は人の正面形。その頭に髪飾りの簪(かんざし)を加えて、男子の正装の姿を示す。妻は女子が髪飾りを加えた形。夫妻は結婚のときの男女の正装を示す字形である。〔説文〕十下に「丈夫なり。大に從ふ。一は以て簪(しん)に象るなり」という。金文に人を数えるとき、〔鼎(こつてい)〕「厥(そ)の臣二十夫」「衆一夫」のようにいう。夫は労務に服するもの、その管理者を大夫という。夫人とは「夫(か)の人」、先生を「夫子(ふうし)(夫(か)の人)」というのと同じく、婉曲にいう語法である。「それ」は発語、「かな」は詠嘆の助詞(字通)、

と、象形文字とするが、

指事文字です。「成人を表す象形に冠のかんざしを表す「一」を付けて、「成人の男子、おっと」を意味する「夫」という漢字が成り立ちましたhttps://okjiten.jp/kanji41.html

と、指示文字とするものもある。ただ、

『説文解字』では簪を挿した人の姿と解釈されているが、これは誤った分析である。簪は「幵」と書かれ、単なる横棒で表現されることは無い、

としている(https://ja.wiktionary.org/wiki/%E5%A4%AB)

参考文献;
伊藤博訳注『新版万葉集』(全四巻合本版)(角川ソフィア文庫)Kindle版)

ホームページ;http://ppnetwork.c.ooco.jp/index.htm
コトバの辞典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba.htm#%E7%9B%AE%E6%AC%A1
スキル事典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/skill.htm#%E3%82%B9%E3%82%AD%E3%83%AB%E4%BA%8B%E5%85%B8
書評;http://ppnetwork.c.ooco.jp/critic3.htm#%E6%9B%B8%E8%A9%95

posted by Toshi at 05:01| Comment(0) | 言葉 | 更新情報をチェックする
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