2025年01月22日
大殯(おほあらき)
かからむとかねて知りせば大御船(おほみふね)泊(は)てし泊(とま)りに標(しめ)結(ゆ)はましを(額田王)
の、
詞書(和歌や俳句の前書きで、万葉集のように、漢文で書かれた場合、題詞(だいし)という)にある、
天皇の大殯の時、
の、
大殯(おほあらき)、
は、
天皇の殯、
をいい、
殯、
は、
新城、
で、
葬る以前の復活を祈る儀式、
をいう。この天智天皇(天命開別天皇 あめのみことひらかすわけのすめらみこと)の、
殯宮、
は大津の宮で営まれたらしいとある(伊藤博訳注『新版万葉集』)。
大殯(おほあらき)、
は、
大皇(おほきみ)の命かしこみ大荒城(おほあらき)の時にはあらねど雲隠ります(万葉集)、
と、
大荒城、
とも当て、
荒城(あらき)を敬っていう語、
で、
古代、貴人の死後、葬るまでの間、屍(しかばね)を仮に棺(かん)に収めて安置しておく所、
また、
その期間、
をいう(精選版日本国語大辞典)が、
かくしてやなほやなりなむ大荒木(おほあらき)の浮田(うきた)の杜(もり)の標(しめ)にあらなくに(万葉集)、
と、
大荒城の場所としていわれる地名、
をもいい、
奈良県五條市今井の荒木神社のある所、
とも、
京都府、
ともいい、また一般に、
古墳の所在地をいった、
とも考えられる(仝上)とある。
あらき、
は、
殯、
荒城、
などと当て、
殯(もがり)、
仮殯(かりもがり)、
ともいい、
殯、置き奉る仮宮、
で、
荒城の仮宮、
を、その場所を尊んで、
殯の宮(あらきのみや)、
といい(岩波古語辞典・大言海・広辞苑)、
崩御、薨去ありて、尊骸を、数日閒、御棺に収め、仮に置き奉ること、この間に、御葬儀の設備、陵墓の経営などあるなり、
とある(大言海)。
殯宮、
では、
誄(しぬびごと)や歌舞などが献奏された(日本大百科全書)が、葬祭までは、
生前と同じく朝夕の食膳を供え、呪術的歌舞を行って霊魂をしずめた、
とある(世界大百科事典)。
殯宮の儀は、
天武天皇の殯宮の喪儀は2年2か月、
持統天皇の場合は1年、
文武天皇の例では5か月、
元明(げんめい)天皇は6日、
と、その期間に長短がある(日本大百科全書)が、
期間は一定せず、大化前代では一年程であったが、後世では短縮され(精選版日本国語大辞典)、646年の薄葬令や仏教の葬送儀礼・火葬の影響で衰え、元明天皇以後造られなくなった (旺文社日本史事典) とある。
あらき、
は、
生死の境にいる者に対する招魂、蘇生の儀礼の行なわれる期間とみられ、生物的死から社会的死への通過期と考えられている、
とあり(精選版日本国語大辞典)、その由来は、
アラはアライミ(粗忌)のアラと同根。略式の意、キは棺(岩波古語辞典)、
アラキ(新棺・新城)の義、キは奥城(オクツキ)の意、説文「殯、死在棺、将遷葬棺、賓遇之(大言海・大日本国語辞典・日本古語大辞典=松岡静雄・日本語源=賀茂百樹)、
アラガキ(荒籬)の略(万葉考・松屋筆記)、
などあり、どれとは定めがたいが、「万葉」には、冒頭のように、
大荒城、
とあり、
新城、
の意とされ、
墳墓をオクツキ(奥つ城)というのに対する、
とある(精選版日本国語大辞典)。ちなみに、
あらいみ、
は、
粗忌、
散斎、
と当て、
真忌(まいみ)の対、
で、引折で触れたように、
真、
は、
真正に厳密(オゴソカ)にする、
意で、
荒、
は、
粗(アラ)、
で、
真に対して軽い、
意で、
いみ、
は、
斎戒(ものいみ)なり、真忌は真正に厳密(おごそか)にする意なり、騎射を行ふ、荒手番(アラテツガヒ)、真手番 まてつがひ)なども同例なり、
とあり(大言海)、
あらいみ、
は、
大忌(おほいみ)、
ともいい、
祭祀あるとき、神事に與(あづか)るひとの、まへかたよりする斎戒(ものいみ)、
で、
この閒は、諸司の政務は執れども、仏事にあづかり、喪を弔ひ、病を訪ひ、肉を食ふ等の事を禁ず、尚、音楽、死刑を停め、すべて穢れに触れざるやう謹慎す、
とある(大言海)。
真忌、
は、
小忌(をみ)、
致斎(ちさい)、
ともいい、
あらいみの後、祭事の前三日間服する厳重な斎戒、
をいい(岩波古語辞典)、
祭祀だけを行ない、祭事にたずさわらない官人も、職務を止めて謹慎する。、
という(精選版日本国語大辞典)。
うつせみのからはきごとにとどむれど魂(たま)のゆくへを見ぬぞかなしき(古今和歌集)、
で、
きごとに、
は、
木に「棺(き)」を掛けている(高田祐彦訳注『新版古今和歌集』)ように、
き、
は、
棺、
と当て、
棺(かん)のこと、
である(岩波古語辞典)。こうみると、意味は、
アラキ(新棺・新城)、
だが、この閒の、それを、
祭祀、
する側からみると、
アライミ(粗忌)、
という含意なのではないか、という気がする。なお、
殯、
は、
もがり、
とも訓ませ、
あらき、
と同義で、
貴人の葬儀の準備などが整うまで、遺体を棺におさめてしばらく仮に置いておくこと。また、その所、
の意だが、その由来は、
「も(喪)あ(上)がり」の音変化した語(広辞苑・精選版日本国語大辞典・デジタル大辞泉)、
もあがり(喪上)の約、アガリはカムアガリのアガリで、貴人の死をいう(岩波古語辞典)、
モアガリの略、モは凶事、アガリは崩御(かむあがり)の義(无火殯斂(ほなしあがり)のあがりと同趣(大言海)、
モグ(捥)ぐと同源(嬉遊笑覧)、
モバカリ(喪許)の義(和訓栞・言葉の根しらべの=鈴木潔子)、
カリモ(仮喪)の倒置(上代葬儀の精神=折口信夫)、
マガアリ(凶在)の約(日本古語大辞典=松岡静雄)、
モカリ(最仮)の義(柴門和語類集)、
の諸説は、多く語呂合わせで、はっきりしないが、
も(喪)あ(上)がり、
がまっとうに見える。因みに、
无火殯斂(ほなしあがり)、
は、
竊かに天皇の屍を収めて……豊浦宮に殯(もがり)して、无火殯斂〈无火殯斂、此をば褒那之阿餓利(ホナシアガリ)と謂ふ〉を為(日本書紀)、
とあり、
死を秘するために、灯火をたかないで殯(もがり)をすること、
である(精選版日本国語大辞典)。この、
殯、
は中国の葬送儀礼に倣っているようにみえるが、『魏志』東夷伝(とういでん)倭人(わじん)の条に、
始め死するや停喪十余日、時に当りて肉を食はず、喪主哭泣(こっきゅう)し、他人就(つ)いて歌舞飲酒す、
とみえ、また『隋書(ずいしょ)』東夷伝倭国の条にも、
貴人は三年外に殯し、庶人は日を卜(ぼく)してうづむ、
と記しており(日本大百科全書)、必ずしもそうではないかもしれない。
「殯」(ヒン)は、「もがり」で触れたが、
会意兼形声。「歹」+音符賓(賓 ヒン お客、そばにいる相手)」で、死人をそばにいる客として、しばらく身辺に安置すること、
とある(漢字源)が、
かつて「会意形声文字」と解釈する説があったが、根拠のない憶測に基づく誤った分析である、
とあり(https://ja.wiktionary.org/wiki/%E6%AE%AF)、
形声。「歹」+音符「賓 /*PIN/」(仝上)、
形声。声符は賓(賓)(ひん)。賓に賓迎・賓送の意がある。死者に対する殯送の礼をいう。〔説文〕四下に「死して棺に在り。將(まさ)に葬柩に遷さんとして、之れ賓遇す。歺(がつ)に從ひ、賓に從ふ。賓は亦聲なり」とし、また「夏后は阼階(そかい)(主人の階)に殯し、殷人は兩楹(えい)(廟の柱)の閒に殯し、周人は賓階に殯す」という〔礼記、檀弓上〕の文を引く。殯礼の次第は、〔儀礼、士喪礼〕に詳しい。殯礼が終わって、死者ははじめて賓として扱われる。卜辞に、祖霊を祭るとき「王、賓す」と賓迎の礼を行うことをいう。〔詩、秦風、小戎〕は武将の死を弔う葬送の曲で、板屋に殯葬することを歌う。「かりもがり」は本葬以前に、屍の風化を待つ礼で、板屋に収めてその風化を待ったのであろう。殯礼は、古く複葬の形式が行われたことを示すものである(字通)、
は、形声文字とする。
参考文献;
伊藤博訳注『新版万葉集』(全四巻合本版)(角川ソフィア文庫)Kindle版)
大槻文彦『大言海』(冨山房)
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)
前田富祺編『日本語源大辞典』(小学館)
ホームページ;http://ppnetwork.c.ooco.jp/index.htm
コトバの辞典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba.htm#%E7%9B%AE%E6%AC%A1
スキル事典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/skill.htm#%E3%82%B9%E3%82%AD%E3%83%AB%E4%BA%8B%E5%85%B8
書評;http://ppnetwork.c.ooco.jp/critic3.htm#%E6%9B%B8%E8%A9%95
この記事へのコメント
コメントを書く
コチラをクリックしてください