うつたへに
神木(かむき)にも手は触るといふをうつたへに人妻といへば触れぬものかも(大伴安麻呂)
の、
うつたへに、
は、
まるっきり、
ことさらに、
の意で、
打消しや反語に応じてそれを強める副詞、
とある(伊藤博訳注『新版万葉集』)。
ある一つの事だけに向かうさまにいう、
とあり、
いちずに、
むやみに、
全く、
多く、
の意とあり、一つは、冒頭の歌のように、
あとに打消の語または反語による否定表現を伴って用いる、
とある(精選版日本国語大辞典)。院政期以後には、
松が根を磯辺の浪のうつたへにあらはれぬべき袖の上かな(藤原定家 新勅撰和歌集)、
と、
肯定表現を伴って用いたこともある、
とあるが、
未必、
の訓にも当てられ、否定表現と呼応する陳述の副詞としての側面が強い(仝上)とある。
室町中期の『歌林良材集』(一条兼良)に、
うつたへに、うちつけと云ふ心也、
とあり、
うつちけに、
で触れたように、
直接に、
だしぬけに、
の意であり、冒頭の歌は、むしろ、この含意のようである。さらに、
鎌倉初期の歌学書「八雲御抄(やくもみしょう)」(順徳天皇)には、
うつたへに、うちたてなり、偏(ひとへに)と云ふ心也、
とあり、
うつたへに忘れなむとにはあらで、戀ひしきここち暫し休めて、又も戀ふる力にせむとなるべし(土佐日記)、
と、
ひたすから、
ひたぶるに、
一途に、
の意とある。
うつたへ、
は、
全栲(うつたへ)の義、駁(まじり)なき栲(たへ)の意。駁なく純向(ひたむき)の義より、一向(ひたすら)の意に転じたり、と云ふ説あれど、万葉集の用字の、細布(たへ)に就きての考なるべきか、是れは若しは、打勝(うちたへ)の転ならむと思ふは、いかに(打は、接頭語、内股(うちまた)、うつもも)、
とあり(大言海)、おそらく、
栲(たへ)、
ではなく(「栲」については、「白栲」、「荒栲」などで触れた)、
たふ(堪・耐・勝)、
であると思われる。
たふ、
は、
へ/へ/ふ/ふる/ふれ/へよ
と、自動詞ハ行下二段活用で、類聚名義抄(11~12世紀)に、
耐、堪、たへなり、
とある。この含意については、
タ(手)アフ(合)の約、自分に加えられる圧力に対して、その圧力に応ずる手段をもって対抗する意。類義語シノブは、目立たないように、自分の気持を押し付けてこらえる意(岩波古語辞典)、
と、
喜怒哀楽などの感情を抑えて表面に出さないようにする。苦しみや圧迫などをこらえてじっと我慢する。こらえる。しのぶ。古くは、多く下に打消の語を伴って、それができない意で用いた(精選版日本国語大辞典)、
と異同があり、どちらともいえないが、
泣(いさ)ち哭(な)き憤惋(いた)むて、自ら勝(タフル)こと能はず(日本書紀)、
勧(すす)むらく毛野臣(けなのおみ)の軍(いくさ)防遏(た)へよと(日本書紀)、
寂しさにたへたる人のまたもあれな庵(いほり)並べむ冬の山里(新古今和歌集)、
などと、
こらえる、
ふせぐ、
こらえる、
意で使い、
世の中の苦しきものにありけらく恋にたへずて死ぬべき思へば(万葉集)、
と、
持ちこたえる、
じっとこらえる、
意や、更に転じて、類聚名義抄(11~12世紀)に、
勝、たふ、
とあるように、
たへたることなき人だに身の沈むをば憂へとする(宇津保物語)、
と、多く「勝」の字をあて、
すぐれる、
堪能である、
成し遂げる、
意でも使う。
うつたへに、
の、
うつたふ、
の、
うつ、
は、
うちつけに、
で触れた、
打ちの転訛
と見ると、
打ち、
で触れたように接頭語「うち」は、動詞に冠して、
その意を強め、またはその音調を整える(打ち興ずる、打ち続く)
瞬間的な動作であることを示す(打ち見る)、
と(広辞苑)あり、
平安時代ごろまでは、打つ動作が勢いよく、瞬間的であるという意味が生きていて、副詞的に、さっと、はっと、ぱっと、ちょっと、ふと、何心なく、ぱったり、軽く、少しなどの意を添える場合が多い。しかし和歌の中の言葉では、単に語調を整えるためだけに使ったものもあり、中世以降は単に形式的な接頭語になってしまったものが少なくない、
として(岩波古語辞典)、
さっと(打ちいそぎ、打ちふき、打ちおほい、打ち霧らしなど)、
はっと、ふと(打ちおどろきなど)、
ぱっと(打ち赤み、打ち成しなど)、
ちょっと(打ち見、打ち聞き、打ちささやきなど)、
何心なく(打ち遊び、打ち有りなど)、
ぱったり(打ち絶えなど)、
といった意味をもつとしている。動詞「うち(つ)」は、
打つ、
撃つ、
とあて、
相手・対象の表面に対して、何かを瞬間的に勢い込めてぶつける意。類義語タタキは比較的広い面を連続して打つ意、
だが(岩波古語辞典)、その意味の幅は、
あるものを他の物に瞬間的に強く当てる(打・撃)、
(釘や杭、針を)たたきこむ、差し込む(打)、
傷つけ倒す(撃・討)、
(網などを)遠くへ投げる意から(打・射)、
(門・幕などを)設ける(打)、
(もも・筵などを)編む(打)、
(転じて)あること(芝居などを)行うこと(打)、
とあり、接頭語「うつ」に、この意味の何がしかは反映している。たとえば、
打ち興ずる、
打ち続く、
のように、
その意を強め、またはその音調を整える、
ほかに、
打ち見る、
のように、
瞬間的な動作であることを示す、
使い方をする(広辞苑)。しかし、
うつ、
を、
打、
ではなく、
内、
と当てる、
うち(内)の古形、
と見ると、大言海が挙げていた、類聚名義抄(11~12世紀)の、
腿、うつもも、
とある、
うち、
で、ほぼ、
伏(うつふ)す、
梁(うつばり)、
と、複合語で使う、
うつ、
とも考えられる。この、
うち、
は、
古形ウツ(内)の転。自分を中心にして、自分に親近な区域として、自分から或る距離のところを心理的に仕切った線の手前。また囲って覆いをした部分。そこは、人に見せず立ち入らせず、その人が自由に動ける領域で、その線の向こうの、疎遠と認める区域とは全然別の取り扱いをする。はじめ場所についていい、後に時間や数量についても使うように広まった。ウチは、中心となる人の力で包み込んでいる範囲、という気持ちが強く、類義語ナカ(中)が、単に上中下の中を意味して、物と物とに挿まれている間のところを指したのと相違していた。古くは「と(外)」と対にして使い、中世以後「そと」または「ほか」と対する、
とあり(岩波古語辞典)、
うち(うつ)⇔そと(と)・ほか、
と、対比される。また、
空(うつ)と通づるか、くちわ、くつわ(轡)。ちばな、つばな(茅花)、
として(大言海)、
外(そと)の反。中、
外(ほか)の反。物事の現話ならぬ方。ウラ、
あひだ。間、
それより下。以内、以下、
という「うち」の意味の変化をなぞり、その意味のメタファとして、
内裏、禁中、
主上の尊称。うへ、
家の内、
味方、
心の内、
と意味の変化をなぞる(仝上)説もある。しかし、「内」を使う、
伏(うつふ)す、
は、
内に伏す、
と、
うち、
に意味があるが、
うつたふ、
は、そうではない。むしろ、ただ、
たふ、
のではなく、
打ちたふ、
と「打ち」をつけることで、主体の意志を強く言い表す必要があるからに違いない。
見る、
のではなく、あえて、
打ち見る、
と言うには、強い意志を言い表したいからではあるまいか。
うたげ、
で触れたように、「うたげ」は「うちあげ」の縮約で、「うたげ(打ち上げ)」には、手を打つという含意を残しているし、それがなくても、ただ語調を整えるというには、止まらないのではないか。この、
うち、
が訛って、
ぶつ、
ぶち、
ぶん、
となることもある。
Uti→buti→bunn、
打ち壊す、
↓
ぶっ壊す、
打ち投げる、
↓
ぶん投げる、
打ちのめす、
↓
ぶちのめす、
等々である。
打ちたふ、
↓
うつたふ、
も、ただ、
堪える、
のではなく、
自分の意思で、
の含意があると見ていいのではないか。
「打」(唐音ダ、漢音テイ、呉音チョウ)は、「うちつけに」で触れたように、
会意兼形声。丁は、もと釘の頭を示す□印であった。直角にうちつける意を含む。打は「手+音符丁」で、とんとうつ動作を表す、
とある(漢字源)が、他は、
形声。「手」+音符「丁 /*TENG/」。「うつ」を意味する漢語{打 /*teengʔ/}を表す字(https://ja.wiktionary.org/wiki/%E6%89%93)、
形声。手と、音符丁(テイ)→(タ)とから成る。手で強く「うつ」意を表す(角川新字源)、
形声。声符は丁(てい)。丁は釘の頭の形。釘の頭をうちつける意。〔説文新附〕十二上に「擊つなり」とする。のち動詞の上につけて打聴・打量のように用いる。わが国の「うち聞く」「うち興ずる」というのに近い(字通)、
と、いずれも形声文字としている。
参考文献;
伊藤博訳注『新版万葉集』(全四巻合本版)(角川ソフィア文庫)Kindle版)
大槻文彦『大言海』(冨山房)
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)
前田富祺編『日本語源大辞典』(小学館)
ホームページ;http://ppnetwork.c.ooco.jp/index.htm
コトバの辞典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba.htm#%E7%9B%AE%E6%AC%A1
スキル事典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/skill.htm#%E3%82%B9%E3%82%AD%E3%83%AB%E4%BA%8B%E5%85%B8
書評;http://ppnetwork.c.ooco.jp/critic3.htm#%E6%9B%B8%E8%A9%95
この記事へのコメント