うちひさす宮に行く子をま悲しみ留(と)むれば苦し遣(や)ればすべなし(大伴宿奈麻呂宿禰)
の、
うちひさす、
は、
「宮」「都」の枕詞、
とあり(伊藤博訳注『新版万葉集』)、
大君の敷きます国にうち日さす都しみみに里家はさはにあれどもいかさまに思ひけめかも(大伴坂上郎女)、
では、
うち日さす、
と当て、
美しい日の射す意か、
とある(仝上)。
うちひさす、
は、
打ち日さす、
と当て(学研全訳古語辞典)、
「うち」はウツの転、全日(うつひ)が射し入るの意、
とあり(広辞苑)、また、一説に、上述の、
大君の敷きます国にうち日さす都しみみに里家はさはにあれどもいかさまに思ひけめかも、
では、
大皇之敷座國尓内日指京思美弥尓里家者左波尓雖在何方尓念鷄目鴨、
と、
内日指(うちひさす)、
が使われているところから、
内日刺、
とあて、
ウチヒは、現日(ウツシヒ)の約にて、宮は高く秀でたれば、物の障りなく、現(ウツ)しく日光の指しかがやく意なりと云ふ、うちはし(打橋)も、うつしばし(移橋)の約なり、京(みやこ)は、宮處(みやこ)なり、うちひさつ、と云ふは、す、つ、相通ずるなり、けす、けつ(消)、
として(大言海)、
ウツシヒ(現し日)の約、
ともあり(仝上)、
日の光が輝く、
意から、
「宮」「都」にかかる、
枕詞として使われる(学研全訳古語辞典・広辞苑)としている。
うちひさす、
の、
うち、
は、接頭語、
「うつたへに」で触れたように、
うつ、
を、
うちつけに、
で触れた、
打ち、
の転訛と見ると、
打ち、
で触れたように接頭語「うち」は、動詞に冠して、
その意を強め、またはその音調を整える(打ち興ずる、打ち続く)
瞬間的な動作であることを示す(打ち見る)、
と(広辞苑)あり、
平安時代ごろまでは、打つ動作が勢いよく、瞬間的であるという意味が生きていて、副詞的に、さっと、はっと、ぱっと、ちょっと、ふと、何心なく、ぱったり、軽く、少しなどの意を添える場合が多い。しかし和歌の中の言葉では、単に語調を整えるためだけに使ったものもあり、中世以降は単に形式的な接頭語になってしまったものが少なくない、
として(岩波古語辞典)、
さっと(打ちいそぎ、打ちふき、打ちおほい、打ち霧らしなど)、
はっと、ふと(打ちおどろきなど)、
ぱっと(打ち赤み、打ち成しなど)、
ちょっと(打ち見、打ち聞き、打ちささやきなど)、
何心なく(打ち遊び、打ち有りなど)、
ぱったり(打ち絶えなど)、
といった意味をもつとしている。動詞「うち(つ)」は、
打つ、
撃つ、
とあて、
相手・対象の表面に対して、何かを瞬間的に勢い込めてぶつける意。類義語タタキは比較的広い面を連続して打つ意、
だが(岩波古語辞典)、その意味の幅は、
あるものを他の物に瞬間的に強く当てる(打・撃)、
(釘や杭、針を)たたきこむ、差し込む(打)、
傷つけ倒す(撃・討)、
(網などを)遠くへ投げる意から(打・射)、
(門・幕などを)設ける(打)、
(もも・筵などを)編む(打)、
(転じて)あること(芝居などを)行うこと(打)、
とあり、接頭語「うつ」に、この意味の何がしかは反映している。「うつ」の語源は、
ウはたたく音(雅語音声考・国語溯原=大矢徹・国語の語根とその分類=大島正健)、
と、
手の力で、強く打撃する、
が語源とし、
基本的な二音節語とみます。アテル、ウツ、ブツ(方言)などの、ア、ウ、の語根と関連するようです、
とある(日本語源広辞典)。たとえば、ただ、
見る、
のではなく、
打ち見る、
には、強い意志が見える気がする。
打ち興ずる、
打ち続く、
のように、
その意を強め、またはその音調を整える、
ほかに、
打ち見る、
のように、
瞬間的な動作であることを示す、
使い方をする(広辞苑)。しかし、
うつ、
を、
打、
ではなく、
内、
と当てる、
うち(内)の古形、
と見ると、
伏(うつふ)す、
梁(うつばり)、
と、複合語で使う、
うつ、
とも考えられる。この、
うち、
は、
古形ウツ(内)の転。自分を中心にして、自分に親近な区域として、自分から或る距離のところを心理的に仕切った線の手前。また囲って覆いをした部分。そこは、人に見せず立ち入らせず、その人が自由に動ける領域で、その線の向こうの、疎遠と認める区域とは全然別の取り扱いをする。はじめ場所についていい、後に時間や数量についても使うように広まった。ウチは、中心となる人の力で包み込んでいる範囲、という気持ちが強く、類義語ナカ(中)が、単に上中下の中を意味して、物と物とに挿まれている間のところを指したのと相違していた。古くは「と(外)」と対にして使い、中世以後「そと」または「ほか」と対する、
とあり(岩波古語辞典)、
うち(うつ)⇔そと(と)・ほか、
と、対比される。また、
空(うつ)と通づるか、くちわ、くつわ(轡)。ちばな、つばな(茅花)、
として(大言海)、
外(そと)の反。中、
外(ほか)の反。物事の現話ならぬ方。ウラ、
あひだ。間、
それより下。以内、以下、
という「うち」の意味の変化をなぞり、その意味のメタファとして、
内裏、禁中、
主上の尊称。うへ、
家の内、
味方、
心の内、
と意味の変化をなぞる(仝上)説もある。そうみると、「内」を使う、
伏(うつふ)す、
は、
内に伏す、
と、
うち、
に意味があるが、
うちひさす、
の場合は、どうだろう。
打ち、
なら、
日差す、
を強めているとも見えるが、
内、
なら、
内へ滲みとおる、
含意になるが、どちらとも言い難い。
語義およびかかり方未詳、
とする(精選版日本国語大辞典)のも故なしとはしない。しかし、個人的には、
内日刺す、
を採りたい気がする。
「打」(唐音ダ、漢音テイ、呉音チョウ)は、「うちつけに」で触れたように、
会意兼形声。丁は、もと釘の頭を示す□印であった。直角にうちつける意を含む。打は「手+音符丁」で、とんとうつ動作を表す、
とある(漢字源)が、他は、いずれも、
形声。「手」+音符「丁 /*TENG/」。「うつ」を意味する漢語{打 /*teengʔ/}を表す字(https://ja.wiktionary.org/wiki/%E6%89%93)、
形声。手と、音符丁(テイ)→(タ)とから成る。手で強く「うつ」意を表す(角川新字源)、
形声。声符は丁(てい)。丁は釘の頭の形。釘の頭をうちつける意。〔説文新附〕十二上に「擊つなり」とする。のち動詞の上につけて打聴・打量のように用いる。わが国の「うち聞く」「うち興ずる」というのに近い(字通)
と、形声文字とする。
(「內」 https://kakijun.jp/page/U_E585A7.htmlより)
(「内」 甲骨文字・殷 https://ja.wiktionary.org/wiki/%E5%86%85より)
(「内」 金文・西周 https://ja.wiktionary.org/wiki/%E5%86%85より)
「内」(①漢音ダイ・呉音ナイ、②漢音ドウ・呉音ノウ)の異字体は、
內(旧字体/繁体字)
とある(https://ja.wiktionary.org/wiki/%E5%86%85)。字源は、
会意文字。屋根の形と入を合わせたもので、おおいの中に入れることを示す、
とあり(漢字源)、「外」の対としての「内」、「内密」「内緒」等々の場合は、①の音、「納」と同義の「入れる」意の場合、②の音となる(仝上)。
会意。入と、冂(けい)(=。いえ)とから成り、家に入れる、ひいて、「うち」の意を表す。教育用漢字は俗字による(角川新字源)、
と、同じく会意文字とするものもあるが、
形声。「宀(家)」+音符「入 /*NUP/」。{内 /*nuups/}を表す字。もと「入」が{内}を表す字であったが、「宀」を加えた(https://ja.wiktionary.org/wiki/%E5%86%85)、
象形。家屋の入口の形。〔説文〕五下に「入るなり」とし、冂(けい)と入との会意で「外よりして入るなり」とするが、金文の字形は屋形に従い、その入口の形である。金文の冊命(さくめい)廷礼をしるす文に「門に入りて中廷に立つ」を「門に內る」に作るものがあり、入と内とは通用の字。内は名詞的に用いる語であった(字通)、
会意兼形声文字です(冂+入)。「家屋」の象形と「入り口」の象形から家に「はいる」を意味する「内」という漢字が成り立ちました。また、入った中、「うち」の意味も表すようになりました(https://okjiten.jp/kanji236.html)、
と、諸説ばらばらである。
参考文献;
伊藤博訳注『新版万葉集』(全四巻合本版)(角川ソフィア文庫)Kindle版)
大槻文彦『大言海』(冨山房)
前田富祺編『日本語源大辞典』(小学館)
増井金典『日本語源広辞典』(ミネルヴァ書房)
ホームページ;http://ppnetwork.c.ooco.jp/index.htm
コトバの辞典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba.htm#%E7%9B%AE%E6%AC%A1
スキル事典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/skill.htm#%E3%82%B9%E3%82%AD%E3%83%AB%E4%BA%8B%E5%85%B8
書評;http://ppnetwork.c.ooco.jp/critic3.htm#%E6%9B%B8%E8%A9%95
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