たゆたふ
常(つね)やまず通ひし君が使(つかひ)来(こ)ず今は逢はじとたゆたひぬらし(高田女王)
の、
たゆたふ、
は、
ためらう、
と訳されている(伊藤博訳注『新版万葉集』)。
たゆたふ、
は、
揺蕩ふ、
猶予ふ、
と当て、
は/ひ/ふ/ふ/へ/へ、
と活用する、自動詞ハ行四段活用で(学研全訳古語辞典・精選版日本国語大辞典)、
天雲(あまくも)の多由多比(タユタヒ)来れば九月(ながつき)の黄葉(もみち)の山もうつろひにけり(万葉集)
大海(おほうみ)に島もあらなくに海原(うなはら)のたゆたふ波に立てる白雲(しらくも)(仝上)
と、
こなたかなたへただよいて、一方へ定まりてはすすまます、ゆたゆた揺れて定まらず(大言海)、
水などに浮いているものや煙などが、あちらこちらとさだめなくゆれ動く、ひと所にとまらないでゆらゆらと動く、ただよう(精選版日本国語大辞典)、
の意で、それをメタファに、冒頭の、
常(つね)止まず通ひし君が使ひ来(こ)ず今は逢はじと絶多比(たゆタヒ)ぬらし、
と、
とやかくやせんと、思ひやすらひて、進まず。思ひて決せず(大言海)、
心が動揺して定まらなくなる、ぐずぐずして決心がつかない状態になる、躊躇(ちゅうちょ)する、ぐずぐずする(精選版日本国語大辞典)、
つまり、
ためらう、
意で使い、
躊躇、
猶餘、
依違(いゐ)、
等々とも当てる(大言海)。
たゆたふ、
の由来は、
タは接頭語、ユタは緩やかでさだまらないさま(岩波古語辞典)、
ユタユタの略タユタの活用語(万葉考)、
タユミ-タタフ(湛)の義(名言通)、
漂う意で、タユタユ(徒動徒動)の義(言元梯)、
タは接頭語、ユタはユタカ(裕)の語幹(日本古語大辞典=松岡静雄)、
等々諸説あるが、現代語で、
ゆったり、
という擬態語がある。これについて、類義語、
ゆっくり、
と対比して、
ゆったり、
は、
状態や心の余裕やゆとりがあることが意味の中心である、
のに対して、
ゆっくり、
は、
動作自体に時間をかけて行うことに意味の中心がある、
としていて(擬音語・擬態語辞典)、
ゆったり、
は、ふるく、
ゆたに、
ゆたふ、
ゆたゆた、
があり、これらの、
ゆた、
や、豊(ゆたか)の、
ゆた、
と関係がある(仝上)と推測している。
ゆたゆた、
は、少し後のことになるが、
絃を引はらず、ゆたゆたとゆるやかにのべて(評判記「色道大鏡(1678)」)、
と、
物がゆるやかにゆれるさま、また、ゆっくりしたさま、
で、
ゆらゆら、
ゆるゆる、
ゆさゆさ、
の意で使われている(大言海・精選版日本国語大辞典)。これは、明らかに、
擬態語、
である。
ゆたのたゆたに、
で触れたことだが、
ゆたのたゆたに、
は、
寛のたゆたに、
と当て、後世、
ゆだのたゆだに、
ともいい(精選版日本国語大辞典)、
ゆらゆらとただよい動いて、
甚だ揺蕩(たゆた)ひて、
といった(仝上・大言海)状態表現の意で、それが、価値表現に敷衍して、
不安定で落ち着かないようす、
を表す(学研全訳古語辞典)。この、
ゆた、
は、
寛、
と当て、
かくばかり恋ひむものそと知らませばその夜(よ)はゆたにあらましものを(万葉集)、
と、
ゆったりしたさま、
余裕のあるさま、
の意で(岩波古語辞典)、さらに、上述の、
ゆたにたゆたに、
のように、
ゆったりして不定のさま、
の意になり(仝上)、
たゆたに、
は、
タは接頭語、
で、
ゆたに、
ともいい、
ゆた、
は、上述のように、
ゆるめやかでさだまらないさま、
の意となり(仝上)、
ゆらゆら、
の状態表現から、
気持の揺れて定まらないさま、
の価値表現としても使う(仝上)、この、
ゆた、
とつながると思われる、動詞の、
ゆたふ、
は、
は/ひ/ふ/ふ/へ/へ
と、自動詞ハ行四段活用で、
(太鼓の)中の皮はゆたひたる故、(ばち)緩く当つるなり(教訓抄)、
と、
ゆるくなる、
たるむ、
ゆるむ、
意になる。接頭語、
た、
は、
動詞・形容詞の上につく。意味は不明、
とある(岩波古語辞典)が、
誰か多佐例(タされ)放(あら)ちし吉備なる妹を相見つるもの(日本書紀)、
霜の上に霰たばしりいや増しに我(あ)れは参(ま)ゐ来(こ)む年の緒長く(万葉集)、
と、
た謀る、
た易い、
たばしる、
等々というように、
語調をととのえる、
ともある(仝上・精選版日本国語大辞典)。しかし、
たばしる、
と
はしる、
では、
たゆたふ、
と、
ゆたふ、
のように、含意にわずかに違いがあるのではないか、という気がしてならない。
また、かりに、
ゆたふ、
たゆたふ、
の、
ゆた、
が、
ゆたか、
ゆた、
だとすると、
ゆたか、
は、
豊か、
寛か、
饒か、
裕か、
等々と当て(岩波古語辞典・精選版日本国語大辞典)、
豊富・富裕なさま、
広々と余裕のあるさま、
不足なく整っているさま、
六尺豊か、というように他の語について、不足のないことを表す、
といった意味の幅がある(岩波古語辞典 大言海は、他の語につくのは、六尺ゆたか、のような接尾語として別項を立てている)が、どうやら、
風雨時に順ひて、五の穀(たなつもの)豊穰(ユタカ)なり。三稔(みとせ)の間、百姓富み寛(ユたか)なり(日本書紀)、
と、
物の豊かさ、
から、それをメタファに、
天皇、壮大(をとこさかり)にして、士(ひと)を愛(め)で賢(さかしき)を礼(ゐやま)ひたまふて、意(みこころ)豁如(ユタカニましま)す」(日本書紀)、
と、
心の余裕、
の意に広がったように見える。
ゆたかの語源は、
「ゆた」+接尾辞「か」(https://ja.wiktionary.org/wiki/%E3%82%86%E3%81%9F%E3%81%8B)、
「ゆた」+接尾語「か」(精選版日本国語大辞典)、
とされ、「ユタ」は、
擬音語に基づく、
とする説がある(広辞苑)。言葉の幅を考えると、
擬音語、
が先か、
擬態語、
が先かはわからないが、前述の、
ゆったり、
で、
ゆたゆた、
を、
擬態語、
と見なしたことと繋がり、日本語が、いわゆる、
オノマトペ、
つまり、
擬音語、
擬態語、
の多い特異な言語で、昨今の、
あ゛
のように、様々な工夫があることに鑑みると、擬音語・擬態語由来に行き着くのである。これは、「文字」を持たなかった
文脈依存型、
の名残りなのではないか、という気がする。
形容詞シク活用の、
たゆたゆし(揺蕩)、
も、
たゆたふ、
と繋がり、
あちこちにゆれ動いて定まらない状態である、
意から、
さやうのすぢを思ひもよらずたゆたゆしくてのみながらへて(夜の寝覚)、
と、
ぐずぐずしている、
意に使われている(精選版日本国語大辞典)。
「揺」(ヨウ)の異体字は、
搖(旧字体/繁体字)、摇(簡体字)、
とある(https://ja.wiktionary.org/wiki/%E6%8F%BA)。字源は、
会意兼形声。䍃(ヨウ)は「肉+缶(ほとぎ 酒や水を入れた、胴が太く口の小さい土器)」の会意文字で、肉をこねる器。舀(トウ・ヨウ)の異体字。揺は「手+音符䍃」で、ゆらゆらと固定せず動くこと。游(ユウ ゆらゆら)と非常に近い、
とある(漢字源)。同じく、
会意兼形声文字です。「5本の指のある手」の象形と「肉の象形と酒などの飲み物を入れる腹部のふくらんだ土器の象形」(神に肉をそなえ歌うさまから、「声を強めたり、弱めたりして口ずさむ」の意味)から、「手で上下左右に動かす」、「ゆする」を意味する「揺」という漢字が成り立ちました(https://okjiten.jp/kanji1781.html)、
ともあるが、他は、
形声。手と、音符䍃(エウ)とから成る。ゆりうごかす、ひいて「ゆれる」意を表す。常用漢字は省略形による(角川新字源)
形声。声符は䍃(よう)。䍃は缶(ほとぎ)の上に肉をおく形。何かを祈るときの行為であるらしい。〔説文〕十二上に「動くなり」とあり、ゆり動かすような、不安定な状態をいう。〔詩、王風、黍離(しより)〕「中心搖搖たり」の〔伝〕に「憂ふるも、愬(うつた)ふる所無きなり」とみえる。〔爾雅、釈訓〕に字を「忄+䍃、忄+䍃」に作り、「憂ふるも告ぐる無きなり」とあって、声義の通ずる字である(字通)
と、形声文字としている。
「蕩」(漢音トウ、呉音ドウ)の異体字は、
蘯、盪、
とある(https://kanji.jitenon.jp/kanjif/2799)。字源は、
会意兼形声。「艸+音符湯(ゆれうごく水)」で、大水で草木がゆれうごくこと、
とある(漢字源)。別に、
形声。「艸」+音符「湯 /*LANG/」(https://ja.wiktionary.org/wiki/%E8%95%A9)、
と、形声文字とある。
参考文献;
伊藤博訳注『新版万葉集』(全四巻合本版)(角川ソフィア文庫)Kindle版)
大槻文彦『大言海』(冨山房)
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)
前田富祺編『日本語源大辞典』(小学館)
増井金典『日本語源広辞典』(ミネルヴァ書房)
ホームページ;http://ppnetwork.c.ooco.jp/index.htm
コトバの辞典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba.htm#%E7%9B%AE%E6%AC%A1
スキル事典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/skill.htm#%E3%82%B9%E3%82%AD%E3%83%AB%E4%BA%8B%E5%85%B8
書評;http://ppnetwork.c.ooco.jp/critic3.htm#%E6%9B%B8%E8%A9%95
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