大君(おほきみ)の命畏(かしこ)み親(にき)びにし家を置きこもりくの泊瀬の川に舟浮(う)けて我が行く川の(万葉集)
黄葉(もみちば)の散り飛ぶ見つつにきびにし我れは思はず草枕旅をよろしと思ひつつ君はあるらむとあそそにはかつは知れども(笠金村)
の、
親(にき)ぶ、
は、
馴れ親しむ意、
とあり(伊藤博訳注『新版万葉集』)、
あそそ、
は、
薄々は、
の意で、
「あそ」は「浅」の意か、
とある(仝上)。前者の、
親(にき)びにし、
は、
馴れ親しんでくれた私のことなど何も思わず、
と訳し、後者の、
にきびにし、
は、
馴れ親しんだ、
と訳す(仝上)、
にし、
には、
めぐり逢(あ)ひて見しやそれとも分かぬ間(ま)に雲隠れにし夜半(よは)の月影(新古今和歌集)、
と、
完了の助動詞「ぬ」の連用形に過去の助動詞「き」の連体形「し」の付いたもの、
で、
…てしまった、
という意の用法と、
八千矛(やちほこ)の神の命萎(ぬ)え草の女(め)邇志(ニシ)あれば(古事記)、
と、
格助詞または断定の助動詞「なり」の連用形「に」に副助詞「し」の付いたもの、
として、
「に」を強調して表わす、
用法とがある(学研全訳古語辞典・精選版日本国語大辞典)。どちらとも言い難いが、後者の用法の、
本質・内容・資格・状態を示す「なり」の連用形「に」、いわゆる形容動詞の「に」もこれに相当する。……で、……として、
という意味よりは、前者の、
完了、
の意の、
馴れ親しんできた、
という意の方が、妥当な気がする。
あそそに、
は、冒頭の、
草枕旅を宜しと思ひつつ君はあるらむと安蘇々二(アソソニ)はかつは知れども(万葉集)、
の一例しかなく、諸説あるが、
あそそ、
を、
浅々と同じとみて、
うすうす、
と解するのが有力(精選版日本国語大辞典)とある。
にきぶ、
は、
和ぶ、
と当て、
び/び/ぶ/ぶる/ぶれ/びよ、
の、自動詞バ行上二段活用で、
しろたへの手本(たもと)を別れ丹杵火(にきび)にし家ゆも出でて(万葉集)、
と、
やわらぐ、
くつろぎ安んじる、
なれ親しむ、
意で、
あらぶ(荒)、
の対で、
此の意を悟りて其の人等の和美(にきミ)安み為べく相言へ、驚ろ驚ろしき事行なせそ(続日本紀)、
と、
にきむ(和)、
ともいう(岩波古語辞典・精選版日本国語大辞典)。ちなみに、
和ぶ、
を、
なごむ、
と訓ませると、
活用{ま/み/む/む/め/め、
の、自動詞マ行四段活用で、
なほざりごととは見給ひながら、おのづからなごみつつものし給ふを(源氏物語)、
と、
なごやかになる、
やわらぐ、静かになる、
意で、
め/め/む/むる/むれ/めよ、
の、他動詞マ行下二段活用だと、
鬼神をなごむる術(みち)にて侍(はべ)れ(無名抄)、
と、
和やかにする、
やわらげる、
となり、
なごめる(和)、
と同義である(学研全訳古語辞典・精選版日本国語大辞典)。
にこむ(和)、
と訓ませると、自動詞マ行四段活用、
で、
是を以て天神地祇共に和享(ニコミ)て、風雨時に順ひ百の穀(たなつもの)用て成りぬ(日本書紀)、
と、
おだやかになる、
なごむ、
意になる(仝上)。
にきぶ、
の対の、
あらぶ (荒)
は、
び/び/ぶ/ぶる/ぶれ/びよ、
の、自動詞バ行上二段活用で、
形容詞「あらし(荒)」の語幹に、そのような様子をしたり、そのような状態にあることを表わす接尾語「ぶ」が付いたもの(精選版日本国語大辞典)、
荒(あら)を活用せしむ(洗ふも、新(あら)の活用)。あれぶと云ふは、音転なり(さざら波、さざれ波)(大言海)、
と異説があるが、
四方(よも)四角(よすみ)より疎(うと)び荒備(アラビ)来む天のまがつひといふ神の(延喜式(927)祝詞)、
と、
乱暴なふるまいをする、
荒々しくふるまう、
また、
風などが強く吹く、
荒れる、
意で、
荒ぶる神、
等々という言い方がある。また、それをメタファに、
夫れ葦原中国は本(もと)より荒芒(アラビ)たり(日本書紀)、
と、
土地が荒れる、
未開である、
意や、
筑紫船(つくしふね)いまだも来(こ)ねばあらかじめ荒振(あらぶる)君を見るが悲しさ(万葉集)、
と、
うとくなる、
情が薄くなる、
意で使う(精選版日本国語大辞典)。
あ(荒)る、
は、現代なら、
荒れる、
だが、
あ(荒)る、
が、
風や波が激しくなる、家や都などが荒廃する様子など常に視覚性を持つのに対し、
あらぶ、
は、
神や人の心情や性格などについて、馴れ親しまない状態を表わす、
とある(仝上)。まさに、
にきぶ、
の対語である。
荒ぶ、
を、
さぶ、
と訓ませると、
び/び/ぶ/ぶる/ぶれ/びよ、
の、バ行上二段活用で、
生気・活気が衰え、元の姿などが傷つき、いたみ、失われる、
意で、
楽浪(ささなみ)の国つ御神(みかみ)のうらさびて荒れたる都見れば悲しも(万葉集)、
と、
あれる、
荒涼としたさまになる、
意や、
我が門の板井の清水里遠み人し汲まねば水さびにけり(神楽・杓)、
と、
古くなる、
意や、
うす霧の朝けの梢色さびて虫の音残る森の下草(風雅集)、
と、
色があせる、
勢いが衰える、
意で使い、こうした状態表現をメタファに、
まそ鏡見飽かぬ君に後れてや朝夕(あしたゆふへ)にさびつつ居らむ(万葉集)、
と、
心が荒れすさぶ、
さびしく思う、
意で使い、この、
さぶ、
が、
寂ぶ、
錆ぶ、
へと派生していく(デジタル大辞泉)。
荒ぶ、
を、
進ぶ、
遊ぶ、
とも当て、
すさぶ、
と訓ませる、
すさぶ、
については触れた。
(「親」 金文・西周 https://ja.wiktionary.org/wiki/%E8%A6%AAより)
「親」(シン)の異字体は、
亲(簡体字)、𪧭(同字)、𭓳(俗字)
とある(https://ja.wiktionary.org/wiki/%E8%A6%AA)。字源は、
会意兼形声。辛(シン)は、はだ身を刺す鋭いナイフを描いた象形文字。親の左側は、薪(シン)の原字で、木をナイフで切ったなま木。親はそれを音符とし、見を加えた字で、ナイフで身を切るように身近に接して見ていること。じかに刺激をうける近しい間がらの意、
とあり(漢字源)、
会意形声。見と、木(き)と、辛(シン)(はり。立は省略形)とから成る。木材に針を打った神木で位牌(いはい)を作り、これを仰ぎ見ることから「おや」の意を表す(角川新字源)、
も、会意兼形声文字とするが、
形声。当初の字体は「視」の原字+音符「辛 /*SIN/」、のちに音符が「𣓀」(「新」の略字)に入れ替わった。「したしい」を意味する漢語{親 /*tshin/}を表す字(https://ja.wiktionary.org/wiki/%E8%A6%AA)、
形声文字です。「大きな目の人」の象形(「見る」の意味)と「入れ墨をする為の針の象形と大地を覆う木の象形」(「木の切り口」の意味だが、ここでは、「進」に通じ、「進む」の意味)から「進んで目をかける」を意味し、そこから、「おや」を意味する「親」という漢字が成り立ちました(https://okjiten.jp/kanji39.html)、
は、形声文字とし、
会意。辛(しん)+木+見。神事に用いる木をえらぶために辛(針)をうち、切り出した木を新という。その木で新しく神位を作り、拝することを親という。〔説文〕八下に「至るなり」とし、また宀(べん)部の寴字条七下にも「至るなり」とあって同訓。寴は新しい位牌を廟中に拝する形で、金文には親を寴に作ることがある。父母の意に用いるのは、新しい位牌が父母であることが多いからであろう。その限定的な用義である。すべて廟中に新しい位牌を拝するのは、親しい関係の者であるから、親愛の意となり、また自らする意に用いる(字通)、
は、会意文字とする。
なお、「和」は「和魂」で触れた。
参考文献;
伊藤博訳注『新版万葉集』(全四巻合本版)(角川ソフィア文庫)Kindle版)
大槻文彦『大言海』(冨山房)
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)
ホームページ;http://ppnetwork.c.ooco.jp/index.htm
コトバの辞典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba.htm#%E7%9B%AE%E6%AC%A1
スキル事典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/skill.htm#%E3%82%B9%E3%82%AD%E3%83%AB%E4%BA%8B%E5%85%B8
書評;http://ppnetwork.c.ooco.jp/critic3.htm#%E6%9B%B8%E8%A9%95
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