今夜(こよひ)の早く明けなばすべをなみ秋の百夜(ももよ)を願ひつるかも(笠金村)
の、
すべをなみ、
は、
やるせないので、
と、注釈があり(伊藤博訳注『新版万葉集』)、
今夜(こよひ)の早く明けなばすべをなみ、
は、
楽しい今夜がまたたく間に明けてしまってはやるせないので、
と訳される(仝上)。
すべをなみ、
は、
術を無み、
と当て、冒頭の、
今夜の早く明けなば為便乎無三(すベヲなみ)秋の百夜を願ひつるかも(万葉集)、
道行く人も一人だに似てし行かねばすべをなみ妹が名喚(よ)び袖そ振りつる(仝上)、
などと、
どうにもしようがないので、
しかたがなくて、
しかたのなさに、
の意で(学研全訳古語辞典・精選版日本国語大辞典)、上記注釈は、その意を汲んだ意訳になる。
なみ、
は、
形容詞「なし」の語幹に接尾語「み」のついたもの、
で、
なさに、
ないままに、
ないゆえに、
の意である(広辞苑)。「なみする」で触れたことだが、「なみ」は、
無み、
と当て、
若の浦に潮満ち来れば潟をなみ葦辺をさして鶴(たづ)鳴きわたる(万葉集)、
と、
……ないので、
……ないままに、
……ないために、
といった意味で使う(明解古語辞典)。
なみする、
なみす、
は、
無みすの義、
とある(大言海)。つまり、
無いものと見做す、
というのが原義のようである。(多少価値表現が含まれるが)ただの状態表現が、
ないがしろにする、
軽んずる、
と意味の外延を広げ、価値表現の勝った使い方になっていったとみられる。
み、
は、
形容詞なしの語幹「な」に接尾語ミのついたもの、
とある(広辞苑・明解古語辞典・精選版日本国語大辞典)。
接尾語「み」、
は、一つには、
春の野の繁み飛び潜(く)くうぐいすの声だに聞かず(万葉集)、
というように、
形容詞の語幹について体言を作る、
とあり、ふたつには、
黒み、白み、青み、赤み(ロドリゲス大文典)、
と、
色合いを表し、三つには、
甘み、苦み(仝上)、
と、味わいを表すとある(岩波古語辞典)が、どうも、「なみ」は当てはまらない。その他に、
采女(うねめ)の袖吹きかへす明日香風都を遠みいたづらに吹く(万葉集)、
と、
形容詞及び形容動詞型活用の助動詞の語幹につき、多くは上に間投助詞「を」を伴って、
のゆえに、
によって、
なので、
と、
原因・理由を表す(広辞苑・明解古語辞典)、
という接尾語があり、冒頭の、
今夜(こよひ)の早く明けなばすべをなみ秋の百夜(ももよ)を願ひつるかも、
にも、これが該当し、
やるせないので、
という意訳になる。
術をな+み、
の、
術無し、
は、
しもと取る里長(さとをさ)が声は寝屋処(ねやど)まで来立ち呼ばひぬかくばかりすべなきものか世の中の道(貧窮(びんぐう)問答)、
と、
どうしてよいかわからず困りはてるさま、
ほどこす方法がなくせつない、
どうしようもない、
の意で使う。因みに、
術無し、
を、
ずちなし、
とも訓ませるが、これは、たぶん、
じゅつなし、
の転化だと思うが、これがさらに転訛して、
ずつなし、
ともなるが、
いずれも、
すべなし、
と同じで、
あまり責めしかば、喉腫れて、湯水通ひしも術無(ズチナ)かりしかど(梁塵秘抄口伝集)、
いもうとのありどころ申せ、いもうとのありどころ申せとせめらるるに、ずちなし(枕草子)、
ああずつない苦しいと悶えわななきそぞろ言(浄瑠璃「油地獄」)、
などと、
工夫したり対処したりする方法がなく、困りきってしまう、
どうしたらよいかわからなくて困る状態である、
なすすべを知らず苦しい、
どうにもやりきれない、
せつない、
つらい、
などといった意味になる。この、
ずつなし、
は、近世になると、
ずつない、
という形で上方語として用いられ、現在でも関西を中心に広い地域で使用がみられる(精選版日本国語大辞典)。ただ、
すべなし、
の、
「すべ」に「術」をあてたものが音読されて生じた、
と上述したが、
術に「すべ」の古訓はない、
とあり(仝上)、冒頭の歌の原文、
今夜之 早開者 為便乎無三 秋百夜乎 願鶴鴨
の、
為便乎無三(すべをなみ)、
の、
為便(すべ)、
に、どこかの時点で、
術、
を当てたところから、生じた派生語ということになる。
術、
と当てられた、
すべ、
は、
言はむ須部(スベ)もなく為(せ)む須倍(スベ)もしらに(続日本紀)、
言はむすべ為(せ)むすべ知らず極まりて貴きものは酒にしあるらし(萬葉集)、
などとあり、後者だと、原文は、
将言為便 将為便不知 極 貴物者 酒西有良之
とあり、
すべ、
は、
スベ(可為・為方)の義か(言元梯・大言海)、
スル(為)へ(方)の約、打消しの語を伴うことが多い(岩波古語辞典)、
と、
なすべき手だて、
そうすればよいというしかた、
手段、
方法、
で、多く打消を伴って用いられる(精選版日本国語大辞典)とあり、類聚名義抄(11~12世紀)には、
将為、セムスベ、将之為、セムスベ、
とあり、
術、
を当てたのは、後世のことと思われる。なお、
術、
は、
ジュツ、
以外に、
ばけ、
とも訓ませ、
百姓(おほみたから)を寛(ゆたか)にするばけあらば(天武紀)、
とある。つまりは、後世に、
てだて、
すべ、
みち、
方法、
の意の用法に、
術、
を当てたが、和語としてもともとあった、
すべ、
や、
ばけ、
に、
術、
を当てた、ということなのだろう。
「術」(漢音シュツ、呉音ジュツ・ズチ)は、
会意兼形声。朮(ジュツ)は、秫(ジュツ)の原字で、茎にねばりつくもちあわを描いた象形文字。術は行(みち、やり方)+音符朮」で、長年の間、人がひとがくっついて離れない通路をあらわす。転じて、昔からそれにくっついて離れないやり方、つまり伝統的な方法のこと、
とある(漢字源)。同じく、
会意兼形声文字です(行+朮)。「十字路」の象形(「道を行く」の意味)と「整然と実の並ぶもちきび(とうもろこし)」の象形から、整然とある行為を継続させていく為の、「みち」、「てだて」を意味する「術」という漢字が成り立ちました(https://okjiten.jp/kanji780.html)、
と、会意兼形声文字とするが、
形声。「行」+音符「朮 /*LUT/」。「みち」を意味する漢語{術 /*lut/}を表す字。のち仮借して「わざ」を意味する漢語{術 /*lut/}に用いる(https://ja.wiktionary.org/wiki/%E8%A1%93)、
形声。行と、音符朮(シユツ)とから成る。集落のなかの小路の意を表す。借りて、すべの意に用いる(角川新字源)、
と、形声文字とするもの、
会意。行+朮(じゆつ)。朮は呪霊をもつ獣の形。この獣を用いて、道路で呪儀を行い、軍の進退などを決した。それで述󠄁・遂には、その決定に従い、ことを遂行する意がある。〔説文〕二下に「邑中の道なり」と道路の意とし、〔段注〕に「引伸して技術と爲す」とするが、本来は路上でその行為を決する呪儀であるから、呪術・法術の意をもつ字である。道は首に従い、異族の首を携えて祓う意。みな道路で行う呪儀に関する字である(字通)、
と会意文字とするものに分かれる。
(「無」 甲骨文字・殷 https://ja.wiktionary.org/wiki/%E7%84%A1より)
(「無」 金文・西周 https://ja.wiktionary.org/wiki/%E7%84%A1より)
(「無」 楚系簡帛文字(簡帛は竹簡・木簡・帛書全てを指す) https://ja.wiktionary.org/wiki/%E7%84%A1より)
(「無」 簡牘(かんどく)文字(「簡」は竹の札、「牘」は木の札に書いた) https://ja.wiktionary.org/wiki/%E7%84%A1より)
「無(无)」(漢音ブ、呉音ム)は、「なみする」で触れたが、異体字は、
㷻、幠、无(簡体字)、橆、𠘩(古字)、𡙻、𣑨、𣚨、𣞣、𣞤、𣟒、𣠮、𤀢、𤍍、𬻜(俗字)、𬻝(俗字)、𭴾(俗字)、𭴿、
とあり(https://ja.wiktionary.org/wiki/%E7%84%A1)、字源は、
形声。原字は、人が両手に飾りを持って舞うさまで、のちの舞(ブ・ム)の原字。無は「亡(ない)+音符舞の略体」。古典では无の字で、無をあらわすことが多く、今の中国の簡体字でも无を用いる、
とある(漢字源)。また、
日本語の「なし」は形容詞であるが、漢語では「無」は動詞である、
ともある(仝上)。しかし、他は、
象形。人が飾りを持って舞う様を象る。「まう」を意味する漢語{舞 /*m(r)aʔ/}を表す字。のち仮借して「ない」を意味する漢語{無 /*ma/}に用いる(https://ja.wiktionary.org/wiki/%E7%84%A1)、
象形。両手を広げてまう人の形にかたどる。もと、舞(ブ)に同じ。借りて「ない」意に用いる。のち、舞とは字形が分化し、さらに省略されて無の字形となった(角川新字源)、
象形文字です。もと、「舞」という漢字と同形で、「人の舞う姿」の象形から「まい」を意味していましたが、借りて(同じ読みの部分に当て字として使って)、「ない」を意味する「無」という漢字が成り立ちました(https://okjiten.jp/kanji730.html)、
と、象形文字とするもの、
仮借)文字。もと象形。人の舞う形で、舞の初文。卜文に無を舞雩(ぶう)(雨乞いの祭)の字に用い、ときに雨に従う形に作る。有無の無の意に用いるのは仮借。のちもっぱらその仮借義に用いる。〔説文〕六上に「豐かなり」と訓し、字を林に従う字とする。〔説文〕が林とするその部分は、舞袖の飾りとして加えたもので、金文にみえるその字形を、誤り伝えたものである。また、「豐かなり」の訓も、〔爾雅、釈詁〕「蕪(ぶ)は豐かなり」とみえる蕪字の訓である。〔説文〕にまた「或いは説(い)ふ、規模の字なり。大册に從ふは、數の積なり。林なる者は、木の多きなり。册と庶と同意なり」とし、「商書に曰く、庶草繁無す」と、〔書、洪範〕の文を引く。今本に「蕃廡(ばんぶ)」に作る。〔説文〕は字を林に従うものとして林部に属し、そこから繁蕪の意を求めるが、林は袖の飾り、字は人が両袖をひろげて舞う形。のち両足を開く形である舛(せん)を加えて、舞となる。いま舞には舞を用い、無は有無の意に専用して区別する(字通)
と、仮借(意味とは関係なく、似た発音の文字を借りて表記する)文字とするものとがあるが、「無」の字源は、「舞」の字源からみると、理解しやすいようだ。
(「舞」 甲骨文字・殷 https://ja.wiktionary.org/wiki/%E8%88%9Eより)
「舞」(漢音ブ、呉音ム)の異体字は、
儛、午、𣄳、𦏶、𦐀、𦨅、𮎁(俗字)、
とある(仝上)。字源は、
会意兼形声。舛(セン)は、左足と右足を開いたさま。無(ブ)は、人が両手に飾りを持って舞うさまで、舞の原字。舞は「舛+音符無」で、幸いを求める神楽のまいのこと、
とあり(漢字源)、同じく、
会意形声。もと、無(ブ)(たもとを広げてまう人のさまの象形。無の灬のない字は省略形)が「まう」意を表したが、のち「ない」意に借用されるようになったため、さらに舛(あし)を加えて無と区別し、もっぱら「まう」意に用いる(角川新字源)、
と、会意兼形声文字とするものもあるが、
象形。人が飾りを持って舞う様を象る。もと「無」の異体字で、足の形である羨符「舛」を伴う(人を象る文字によく見られる)形。「まう」を意味する漢語{舞 /*m(r)aʔ/}を表す字(https://ja.wiktionary.org/wiki/%E8%88%9E)、
象形文字です。「人が装飾のあるそでをつけて舞う」象形から、「まう」、「おどる」、「飛びまわる」を意味する「舞」という漢字が成り立ちました。(篆文になり、「左右の足」の象形が追加されました。)(https://okjiten.jp/kanji1155.html)、
と象形文字とするもの、
会意。無+舛(せん)。無は舞の初文。両袖に呪飾をつけて舞う形。無がのち有無の無に専用されるに及んで、舞うときの足の形である舛をそえて舞となった。〔説文〕五下に「樂しむなり。足を用(もつ)て相ひ背く」といい「舛に從ひ、無(ぶ)聲」とする。〔荘子、在宥〕や〔山海経〕〔孔子家語〕には儛の字を用いるが、舞楽をいう後起の字とみてよい。無はもと舞雩(ぶう)という雨乞いの儀礼で、卜辞には舞雩のことが多くみえる。また羽をかざして舞うこともあって、〔説文〕に録する重文の字は羽+亡に作る。金文に辵(ちやく)に従って辶+舞に作る字があり、舞雩は特定の地に赴いて行われた。強く勢いをはげますことを鼓舞という(字通)、
と、会意文字とするものに分かれる。
「無」と「舞」は、
舞、
は、
無、
の異体字で、
無、
は、
舞、
の原字という関係になる。
参考文献;
伊藤博訳注『新版万葉集』(全四巻合本版)(角川ソフィア文庫)Kindle版)
大槻文彦『大言海』(冨山房)
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)
前田富祺編『日本語源大辞典』(小学館)
ホームページ;http://ppnetwork.c.ooco.jp/index.htm
コトバの辞典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba.htm#%E7%9B%AE%E6%AC%A1
スキル事典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/skill.htm#%E3%82%B9%E3%82%AD%E3%83%AB%E4%BA%8B%E5%85%B8
書評;http://ppnetwork.c.ooco.jp/critic3.htm#%E6%9B%B8%E8%A9%95
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