か(醸)む
君がため醸(か)みし待酒(まちざけ)安(やす)の野にひとりや飲まむ友なしにして(大宰帥大伴卿)
の、
かむ、
は、
醸造する、
意とある(伊藤博訳注『新版万葉集』)。
か(醸)む、
は、
醸す、
の古語(岩波古語辞典)で、
「噛む」と同語源。酒は、古く、生米をかんで唾液とともに吐き出し、発酵させて造ったところから(デジタル大辞泉)、
上代、生米を噛んで吐き出し、それを瓶にためて発酵させたところから(精選版日本国語大辞典)、
釀(か)むは「かもす」の古語、もと米などを噛んで作ったことから(岩波古語辞典)、
などから、
須須許理(すすこり)が迦美(カミ)し御酒(みき)に我酔ひにけり(古事記)、
と、
酒を造る、
醸造する、
意の、
かもす、
ことで(精選版日本国語大辞典・岩波古語辞典)、
醸(さけか)む、
ともいい、
発酵させる、
酒にかもし作る、
意となる(精選版日本国語大辞典)。平安時代の漢和辞典『新撰字鏡』(898~901)に、
釀、酘(かもす)也、曾比須(そひす)、佐介加牟(さけかむ)、
平安後期の漢和辞書『字鏡』(じきょう)に、
釀、造酒也、佐計可无、
類聚名義抄(11~12世紀)に、
釀、カム、サケカム、サケツクル、カモス、
釀酒、ツクリサケ、
とある。
かもす、
で触れたように、
カム(醸)は、口で噛むという古代醸造法、
である(日本語源広辞典)が、当然、
か(醸)む、
は、
か(噛)む、
に由来する。
カム(噛む)はカム(嚼)に転義して食物を噛み砕くことをいう。米を噛んで酒をつくったことからカム(醸む)の語が生まれた。〈すすこりがカミし神酒にわれ酔ひにけり〉(古事記)。(中略)酒を造りこむことをカミナス(噛み成す)といったのがカミナス(醸み成す)に転義した。カミナスは、ミナ[m(in)a]の縮約で、カマス・カモス(醸す)になった、
という転訛とする説がある(日本語の語源)。しかし、上述のような、
米を歯でかんで作るところから(塵袋)
以外に、
石臼で米をかみつぶして酒を造るところから(俚言集覧)、
かびさせて作るところから(雅言考・和訓栞)、
カアム(日編)の約。日数を定め量って造るという義(国語本義)、
カメ(甕)で蒸すところから(本朝辞源=宇田甘冥)、
等々の異説もある(日本語源大辞典)。
他方、酒・味噌・醤油などに加工するため、
米こめ・麦むぎ・大豆といった穀類を蒸したものに、コウジカビなどの発酵に有効な黴かびを中心にした微生物を繁殖させたもの、
である、
麹、
からみるとどうか。「こうじ」は、
麹、
糀、
と当てるが、前述の古事記を引いたように、
応神天皇のころ朝鮮から須須許理(すずこり)という者が渡来して、酒蔵法を伝えて、麹カビを繁殖させることを伝えた、
とされる(たべもの語源辞典)ので、この説には説得力がある。しかし、和名類聚抄(931~38年)に、
麹、加无太知、
平安時代の漢和辞書『類聚名義抄』も、
麹、カムタチ、カムダチ、
とあるところから、『大言海』は、
かうぢ(麹・糀、)、
を、
カビタチ→カムダチ→カウダチ→カウヂと約転したる語、
とし、『日本語源広辞典』も、麹の語源を、
カビ+タチ、
とし、
カビタチ→カムダチ→カウダチ→カウヂ→コウジの変化、
とし、『たべもの語源辞典』も、
カムタチ(醸立)→カムチ→コウジ、
とし、『語源由来辞典』も、
カビダチ(黴立)→カムダチ→カウダチ→カウヂ、
の音変化が有力としつつ、しかし、
中世の古辞書では「カウジ」しか見られず、「ヂ」の仮名遣いが異なる点に疑問の声もある、
とするし、
類聚名義抄などに「麹」を「カビダチ」(黴立ち)と訓ずるのに拠り、この転訛(カビダチ>カウヂ>コージ)とする説もあるが、このような変化は不規則であることに加え、「ヂ」で終わる語形は実際には確認されていない(https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%BA%B9)、
とあるが、
こうじ、
の語源は、
かびだち(黴立ち)→かむだち→かうだち→かうぢ(大言海・日本紀和歌略註・類聚名物考・箋注和名抄・名言通・音幻論=幸田露伴・日本語源広辞典)、
とするのが多数派である。ただ漢字側からみると、
麹子(きくし)が訛って「コウジ」となり、日本語化した、
との見方がある(漢字源)、上述の、
応神天皇のころ朝鮮から須須許理(すずこり)という者が渡来して、酒蔵法を伝えて、麹カビを繁殖させることを伝えた、
とする(たべもの語源辞典)ので、この説も説得力がある。ただ、
かもす(醸す)の連用形「かもし」が、ウ音便化により、カモシ>カウジ>コージと、転訛した(https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%BA%B9・語源由来辞典)、
カムシの転(語簏)、
口の中で噛んでつくったものであるから、カムダチである。カムダチ(醸立)がカムチとよばれ、コウヂとなった(たべもの語源辞典)、
とする説も、一応の説得力がある。特に、たべもの語源辞典の説は、
カビダチ→カムダチ→カウダチ→カウヂ、
の転訛ではなく、
カムダチ(醸立)→カムチ→カウヂ、
と、「醸す」を出発点とする考え方になる。しかし、古代醸造法である、
か(醸)む、
は、
米を噛んで酒をつくったことからカム(醸む)の語が生まれた、
という(日本語の語源)ように、あくまで、
醸造の方法、
を指していて、これ自体は、「麹」の由来の説明にはなりそうにない。
かもす、
の語源に、
かもす(醸す)の連用形「かもし」の変化(『語源由来辞典』)、
カムシの転(語簏)、
カウバシキチリ(香塵)の意から(和句解)、
キクジン(麹塵)の転(日本釈名)
等々の異説もある(日本語源大辞典)。上述したように、漢字側からの、
麹子(きくし)が訛って「コウジ」となり、日本語化した(漢字源)、
との見方があり、
か(釀)む、
のちの、
かも(釀)す、
という言葉があったのだから、それを表現する「麹」があったとみる見方もできるが、物事を抽象化する語彙力をもたない、我々の和語から考えると、
麹子(きくし)→こうじ、
の転訛は捨てがたい。ところで、
かむ、
は、
噛(嚙)む、
咬む、
咀む、
嚼む、
等々と当てる。当てた漢字を見てみると、
「噛(嚙)」(コウ、漢音ゴウ、呉音ギョウ)は、
会意。「口+歯」。咬(こう)と近い。齧(ゲツ かむ)の字を当てることもある。、
で、かむ、意である。
「齧」(ケツ、漢音ゲツ、呉音ゲチ)は、
会意兼形声。丰は竹や木(|)に刃物で傷(彡)をつけたさまをあらわす。上部の字(ケイ・ケツ)はこれに刀をそえたもの。齧はそれを音符とし、歯を加えた字で、歯でかんで切れ目をつけること、
で、かむ、かんで傷をつける意である。
「咬」(漢音コウ、呉音キョウ)は、
会意兼形声。口+音符交(交差させる)」で、上下のあごや歯を交差させてぐっとかみしめる、
で、かむ、かみ合わせる意。
「咀」(ソ、漢音ショ、呉音ゾ)は、
会意兼形声。且は、積み重ねた姿を示し、積み重ね、繰り返す意を含む。咀は『口+音符且(ショ・シャ)』で、何度も口でかむ動作をかさねること、
で、なんどもかむ意、咀嚼の咀である。
「嚼」(漢音シャク、呉音ザク)は、
会意兼形声。爵は、雀(ジャク 小さい鳥)と同系で、ここでは小さい意を含む。嚼は『口+音符爵』で、小さくかみ砕くこと、
で、細かく噛み砕く意である。和語、
かむ、
は、いわゆる「噛む」「噛み砕く」意から、舌をかむ、のように、
歯を立てて傷つける、
意、さらに、
歯車の歯などがぴったりと食い合う、
といった直接「噛む」にかかわる意味から、それをメタファに、
岩を噛む激流、
とか、
計画に関わる意の、
一枚噛む、
という意に広がり、最近だと、
台詞を噛む、
というように、台詞がつっかえたり、滑らかでない意にも使う。また、『岩波古語辞典』では、
鼻をかむ、
の「かむ」も「噛む」を当てているが、
洟擤(はなか)み、
擤(か)む、
と当てる(『大言海』は「洟む」と当てている)。
「擤」(コウ)は、
会意文字。「手+鼻」、
で、
鼻をつまんで鼻汁をだす、
つまり、
鼻をかむ、
意、
「洟」(イ)は、
会意兼形声。「水+音符夷(イ 低く垂れる)」、
で、
鼻じる、また、垂れるなみだ、
の意とある(漢字源)。ただ、涙の意の場合は、音が変わる(漢音テイ、呉音タイ)。
漢字を当て分けるまでは、つまり文字表現を得るまでは、「かむ」だけであった、と考えられるが、直接の対話相手には、それで、微妙な意味の違いは通じ合ったはずである。
かむ、
の由来は、
動作そのものを言葉にした語」です。カッと口をあけて歯をあらわす。カ+ムが語源です(日本語源広辞典)、
カム(醸)と同根。口中に入れたものを上下の歯で強く挟み砕く意。類義語クフは歯でものをしっかりくわえる意(岩波古語辞典)、
カは、物をかむ時の擬声音(雅語音声考・国語溯原=大矢徹・音幻論=幸田露伴・江戸のかたきを長崎で=楳垣実)、
ハマ(歯間)の転(言元梯)、
人の口は下あごばかり動き、上あごは働かないところから、カミ(上)へ向かうのゐか(和句解)、
歯にかけるをいうカケメ(掛目)から(名言通)、
ハム(食)の転声(和語私臆鈔)、
等々あるが、『日本語の語源』は、「かむ」の音韻変化を、
カム(噛む)は上下の歯をつよく合わせることで、「噛み砕く」「噛み切る」「噛み締める」などという。
カム(噛む)はカム(咬む)に転義して「かみつく。かじる」ことをいう。人畜に大いに咬みついて狂暴性を発揮したためオホカミ(大咬。狼)といってこれをおそれた。また、人に咬みつく毒蛇をカムムシ(咬む虫)と呼んで警戒した。
カム(咬む)はハム(咬む)に転音した。(中略)カム(噛む)はカム(嚼む)に転義して食物を噛み砕くことをいう。米を嚼んで酒をつくったことからカム(醸む)のごがうまれた。(中略)
カム(嚼む)はカム(食む)に転義した。(中略)
カム(食む)は母交[au]をとげて、クム・クフ(食ふ)に転音した。(中略)カム(食む)はハム(食む)に転音した。(中略)ハ(歯)はハム(食む)の語幹が独立したごであろう、
と、説いている。
はむ(食)→かむ(噛)、
なのか、
かむ(噛)→はむ(食)、
なのかを判別することは難しいが、いずれも、
噛む、
の語彙の外延にあることは間違いないだろう。ただ、
かむ、
という和語だけがあり、文脈を共にしている限り、会話の当事者には、それが何を意味するかははっきりしていた。文字表現に伴って、漢字を当て分けて行ったのである。
「釀」(漢音ジョウ、呉音ニョウ)の異体字は、
酿(簡体字)、 醸(新字体)、
とある(https://ja.wiktionary.org/wiki/%E9%87%80)。字源は、
会意兼形声。襄の原字は「土+交差した物+攴(動詞の記号)」から成り、土の中に肥料をわりこませること。壌の原字。のち「おおい+口二つ」を加えて襄(ジョウ 衣の中にくずわたをわりこませる、わりこむ)の字となった。釀は「酉(さけつぼ)+音符襄」で、酒つぼの中の材料に、酵母をじわじわとわりこませること、
とある(漢字源)。同じく、
会意兼形声文字です(酉+襄)。「酒器」の象形と「衣服に土などのおまじない物を入れて邪気を払う象形と手の象形」(「邪気を払う、物をつめる」の意味)から、「酒つぼに原料をつめこんで酒をかもす(造る)」を意味する「醸」という漢字が成り立ちました(https://okjiten.jp/kanji1658.html)、
ともあるが、他は、
形声。酉と、音符襄(シヤウ)→(ヂヤウ)とから成る。酒を造る意を表す。常用漢字は省略形の俗字による(角川新字源)、
形声。旧字は釀に作り、襄(じよう)声。襄にふくよかの意がある。〔説文〕十四下に「醞(かも)すなり。酒を作るを釀と曰ふ」とあり、次条に「醞は釀(かも)すなり」と互訓する。合わせて醞醸(うんじよう)という(字通)、
と、形声文字としている。
参考文献;
伊藤博訳注『新版万葉集』(全四巻合本版)(角川ソフィア文庫)Kindle版)
大槻文彦『大言海』(冨山房)
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)
前田富祺編『日本語源大辞典』(小学館)
増井金典『日本語源広辞典』(ミネルヴァ書房)
田井信之『日本語の語源』(角川書店)
藤堂明保他編『漢字源』(学習研究社)
ホームページ;http://ppnetwork.c.ooco.jp/index.htm
コトバの辞典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba.htm#%E7%9B%AE%E6%AC%A1
スキル事典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/skill.htm#%E3%82%B9%E3%82%AD%E3%83%AB%E4%BA%8B%E5%85%B8
書評;http://ppnetwork.c.ooco.jp/critic3.htm#%E6%9B%B8%E8%A9%95
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